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【今日の読書】『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(上下)』 増田俊也

格闘技に詳しい方ならご存じかもしれません。
木村政彦という戦前から戦後にかけて無敵を誇った不出世の柔道家の存在を。
そして、日本のプロレスの揺籃期に、力道山と戦い、敗れた男のことを。

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は、その木村政彦の評伝であり、力道山と勝負の真相に迫ったノンフィクションです。

今から60年前の1954年12月22日に行われた力道山対木村政彦の対戦3本勝負は、視聴率100%、文字通り全国民注視のもと行われました。

結果は10分余りで力道山のKO勝ちでした。

この本の上巻は最強の柔道家木村政彦が誕生し、戦争によってそのキャリアが中断されるまでを書いています。

そして、戦争が終わり、食っていくために木村はプロ柔道家として世界を連戦し、ブラジルではグレイシー柔術のエリオ・グレイシーと戦います。
このとき、数名の日本人柔道家がエリオを戦っていますが、唯一勝利をおさめたのが木村でした。

ブラジリアン柔術では木村に敬意を表して、木村の決め技の「腕がらみ」は「キムラ」または「キムラロック」と呼んでいるそうです。

下巻ではプロレスラーとなった木村が力道山と戦い破れ、名誉を回復できず失意のまま1993年に亡くなるまでを書いています。

力道山と木村の勝負ははじめから筋書きの決められた八百長で、引き分けとなることが決まっていました。

しかし、力道山の八百長破りによって、準備不足の上不意を突かれた木村は完膚なきまでにやられてしまいます。

マットには血だまりができていたと言います。

このときの様子は不完全ながら現在でも映像に残っているようです。

著者の増田俊也は、北海道大学で七帝柔道の経験者で、それ故に木村への肩入れが強く出ています。
そのことを本書中に明言しています。

そもそもこの本の執筆動機は、木村の名誉を回復するためと書いています。

ところが、著者は真相に迫れば迫るほど、真実を解き明かし公にすることが本当に木村にとって良いことなのか迷いを見せてきます。

そのあたりの機微も楽しめる快作と言えましょう。
木村を慕った空手家の大山倍達の存在も見逃せないポイントです。

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