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職業詩人・谷川俊太郎という人。

谷川俊太郎がこの世を去った(あえて敬称をつけずに、だって普段「さん」付けでなんか呼んでいない)。いつのまにか92歳になっていた。大往生なのだ。哲学者のひとり息子は「どうやって生活していこうか?」と考え、詩人という職業を選んだ。そして数々の「仕事」を世に出し、生涯現役で「生きていること」を打ち止めにした。酒浸りの日々の、あるいは血を吐くような苦しみの中から生み出された言葉ではない。だから、どこか明るい。そして少し嘘つきだ。ただ、どこが嘘かを見つけるのはたやすくない。

谷川俊太郎は言葉を100%信じてはいない。詩というものを常に疑っている。だからすぐれた職業詩人になれた。桑田佳祐は「ただの歌詞じゃねえかこんなもん」と言っていた。言葉を疑える者だけが言葉を操れる。

詩人は鏡があると必ずのぞきこみます
自分が詩人であるかどうかたしかめるのです
詩人かどうかは詩を読んでも分からないが
顔を見ればひとめで分かるというのが持論です
詩人はいつの日か自分の顔が
切手になることを夢見ているのです
できればうんと安い切手になりたいんですって
そのほうが沢山の人になめてもらえるから
詩人の奥さんは焼そばをつくりながら
仏頂面をしています

「詩人」

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

「生きる」


小室等の歌唱もあって最もポピュラーな作品のひとつになっている「生きる」。「そんなによくできた詩とは思っていない」と本人はいうが、やっぱりいいなと思う。「こんな感じで書いてみればいいんだよ」と言われているような・・・。「かくされた悪を注意深くこばむこと」は中でも好きなフレーズ。そして「ぶらんこがゆれるということ」の不穏。

かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた

かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった

「かっぱ」

ラッパを吹く河童を書いたのは画家の原游さん。数年前に市原湖畔美術館で購入した「物語のなかの動物たち」という卓上サイズのリング作品集から。

俺はおとつい死んだので
友だちが黒い服を着こんで集ってきた
生前俺が電話にも出なかった男
まっ白なベンツに乗ってやってきた

俺はおとつい死んだのに
世界は滅びる気配もない
坊主の袈裟はきらきらと冬の陽に輝いて
隣家の小五は俺のパソコンをいたずらしてる
おや線香ってこんなにいい匂いだったのか

俺はおとつい死んだから
もう今日に何の意味もない
おかげで意味じゃないものがよく分かる
もっとしつこく触っておけばよかったなあ
あのひとのふくらはぎに

「ふくらはぎ」

真摯に、ファンキーに言葉を紡いだ職業詩人・谷川俊太郎という人に感謝と哀悼の意を表します。







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