谷川俊太郎がこの世を去った(あえて敬称をつけずに、だって普段「さん」付けでなんか呼んでいない)。いつのまにか92歳になっていた。大往生なのだ。哲学者のひとり息子は「どうやって生活していこうか?」と考え、詩人という職業を選んだ。そして数々の「仕事」を世に出し、生涯現役で「生きていること」を打ち止めにした。酒浸りの日々の、あるいは血を吐くような苦しみの中から生み出された言葉ではない。だから、どこか明るい。そして少し嘘つきだ。ただ、どこが嘘かを見つけるのはたやすくない。
谷川俊太郎は言葉を100%信じてはいない。詩というものを常に疑っている。だからすぐれた職業詩人になれた。桑田佳祐は「ただの歌詞じゃねえかこんなもん」と言っていた。言葉を疑える者だけが言葉を操れる。
小室等の歌唱もあって最もポピュラーな作品のひとつになっている「生きる」。「そんなによくできた詩とは思っていない」と本人はいうが、やっぱりいいなと思う。「こんな感じで書いてみればいいんだよ」と言われているような・・・。「かくされた悪を注意深くこばむこと」は中でも好きなフレーズ。そして「ぶらんこがゆれるということ」の不穏。
ラッパを吹く河童を書いたのは画家の原游さん。数年前に市原湖畔美術館で購入した「物語のなかの動物たち」という卓上サイズのリング作品集から。
真摯に、ファンキーに言葉を紡いだ職業詩人・谷川俊太郎という人に感謝と哀悼の意を表します。