昭和の映画館。臭うぞ、ガメラ。
魚屋、八百屋、蕎麦屋に本屋、写真館。まだ商店街というものが暮らしや文化の大きな支えだった60年代後半。映画館もその例外ではなく、わが街にもその一角に「佐倉銀映」という施設があった。普段はオトナたち(男ども)向けの看板が並び、春・夏・冬の休みだけ子供向けに姿を変える。
折しも怪獣・特撮映画ブームの真っただ中、商店街に歩いて数分の官舎住まいは、小学低学年にとって田園調布のお坊っちゃんも芦屋のお嬢様も敵うまいという好立地。上映作品は見逃すまいと「特別手当」を握りしめて、いそいそと出かけて行った。
いつもは入口でお姉さんが「うっふん」といっていたり、健さんがドスをきかせている(あくまでイメージです)が、この期間だけはガメラ(大映)やゴジラ(東宝)や大魔神(大映)、ガッパ(日活)らが出迎える(「東映」はまんがまつり)。今回はどんな闘いが繰り広げられるのか、胸躍らせながら入場券を買う。
中に入ると狭いロビー(といっても足元はコンクリ―トではなく、凸凹に固まった土。要するに土間)とガラスケースを置いたささやかな売店があり、特別手当の中から菓子を買う。心の準備も整えていざ座席につくのだが、この席取りに失敗すると鑑賞中に「臭気」という敵と闘わなくてはならなくなる。ロビーの奥にあるトイレからの臭いが半端ではないのだ(確かスクリーン向かって右前方だったと思う)。「強いぞガメラ」どころではない。時間には余裕を持って行動せよは鉄則である。
今はトイレの臭気と闘うこともなく快適に鑑賞に集中できる。入退場がしっかり管理されているシネコンなら指示に従い、決められたブースに吸い込まれていくだけだ。牧羊犬に追い込まれていく羊のように。いやいや映画はやっぱり快適に観たい。臭いと2時間も闘いながらなんてまっぴら御免だ。でもあの猥雑さが懐かしいのはなぜ?時は臭いも美化させてしまうのか。
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