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本棚の中身「戦争ってなんだ」

招待するだのしないだの、参列するだのしないだの、一体誰の祈念式典なのか。さぞ安らかに眠ることなんかできないでしょう、過ちを未だに繰り返していますから。もちろん原爆水爆のたぐいだけが「過ち」のわけはないので、人間は一時たりともこの世界から戦争・紛争を駆逐したことはない。

ロシアがウクライナに侵攻すればニュースはそれ一辺倒、そこにイスラエルとハマスの闘いが加わって大手メディアなんかこれでもう戦争報道はおなかいっぱいのような顔をしている。夥しい虐殺が行われた(あるいは未だに行われている)スーダンやナイジェリア、ソマリアなどアフリカの紛争なんてトピックスでもない限り雀の涙ほども取り上げられない。話を広げれば、ウイグルで起きていること、アフガンで続いていることなどキリがないのに。メディアにとって命の価値にはずいぶん差があるものだ。

この人間の宿痾のような戦争の正体は一体なんだろう。近頃はやりの地政学などを持ち出してもきっとわからない。現地に赴くことができないかわりに頼りにするのはやっぱり本なのだ。「物語ウクライナの歴史」(黒川祐次著/中公新書)「ガザ」(中川浩一著/幻冬舎新書)などは、フラットな視点で「そもそも」を教えてくれるのでこのカボチャ頭にはやさしくありがたい。「日本軍兵士」(吉田裕著/中公新書)なんかも軍隊の実相がよくわかる。

その砲火の下で何が起こり、人々は何を強いられたのか、それを少しでも身近にしてくれるのがルポやドキュメンタリーの類いだ。「女の国になったカンボジア」(大石芳野著/講談社文庫)「サハリンの少年」(奥田博昭著/教養文庫)「女たちのシベリア抑留」(小林ちひろ著/文春文庫)「娼婦たちの天皇陛下」(佐木隆三著/徳間文庫)「妻たちの二・二六事件」(澤地久枝著/中公文庫)「私たちは敵だったのかー在米ヒバクシャの黙示録」(袖井林二郎著/角川文庫)「サラーム・平和を!」(三留理男著/集英社文庫)「さすらいの<未復員>」(吉永春子著/筑摩書房)「ウクライナにいたら戦争が始まった」(松岡圭祐著/角川文庫)などみな誰かが語らなければ忘れ去られてしまう人たちの記録だ。小説はよりエモーショナルに戦争を感じさせてくれる。「黒い雨」(井伏鱒二著/新潮文庫)「ガ島」(小田実著/講談社文庫)「アメリカひじき・火垂るの墓」(野坂昭如著/新潮文庫)など。

戦争がなくなればこの世は平和とおいそれとはならない。それでも戦争は最大の人権蹂躙で、蹂躙される側にワタクシは間違いなくいる。じゃあどうしたらいいのと本を読む。「殺される側の論理」(本多勝一著/朝日文庫)、「あの戦争は何だったのか」(保阪正康著/新潮新書)「ヒロシマ・ノート」(大江健三郎著/岩波新書)などが本棚にあるが、決定打にはほど遠い。「戦争倫理学」(加藤尚武著/筑摩新書)は現実論からのアプローチではあるかも知れない。しかし「暴力の哲学」(酒井隆史著/河出書房新社)なんかを読んでしまうと、答えは風に舞うどころかたやすくふりだしに戻るのだ。戦争ってなんだ。

見出しは「wsd983320987」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。






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