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雨読

雨の一日に本を読んでいる。別に晴耕雨読ではないが、今日は雨なので読んでいる。そもそも晴れたら耕すような生産的なことはしていない。「そこの老いぼれ」と呼び止められないように、せいぜい若いふりをしてそぞろ歩くだけだ。

風はなくしとしとと街を穿つ音が聞こえてくる。すると、黙読している物語たちが雨音とシンクロしたように「すっ」と頭の中に入ってきた。こういう経験はあまりない。どんな物語でも雨は雨、あくまで外界の異音だった。どう転んでもショパンの調べになったことはない。

シンクロしたのは雨のシーンではない。ただ物語は静かに深く進行していた。そしてその時の自分はといえばどっぷりとペシミスティックだった。そもそも常に少しだけ後ろ向きなのだ。シンクロしていたのはほんの数分間だけだったかも知れない。「あれ」と気づいた時にはいつもの雑念まじりの読書に戻っていた。不思議な時間。

いつでも前向き、我こそはオプティミストという人はどんな本を読むのだろう。そういう人には読書なんかいらないんではないかとさえ思うことがある。いずれにしてもあまりお付き合いはしたくない。

読んでいたのは「街とその不確かな壁」、彼の作品を読んでいれば多くの人が「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を想起するだろう。雨の日にもう一度読んでみようか。

そうだ、雨も影を消すな。


見出しの画像は「Junichi  Mae」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。


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