見出し画像

そうか、雲は天才か。

通勤とおよそ澱んだ日銭稼ぎから抜け出して1年足らず。健康とボケ防止を兼ねたそぞろ歩きも日々の欠かせないルーティンのようになった。近頃やっと見上げるとそこには空というものがあることを知ったような気がする。どれだけ俯いて歩いていたんだ。

空を見ていると、幾層にも重なった光と雲が織りなす光景に心を奪われることがままある。そんな日は、それだけで得をしたような気持ちになるから不思議だ。今のところ、その不思議を解明すべく気象について調べることはない。天才は、手の届かないままでいい。

「雲は天才である」私小説的な小説に、啄木はなぜこの題名をつけたのだろう。自意識の高かった彼にとって、雲はどんな存在だったのだろう。報われない己が才能を、雲に何か重ねていたのだろうか。そういえば、昔あまり好きではなかった啄木という人物像は、年とともにその印象を変えてきたような気がする。プライドばかり高い嫌な奴と否定的に捉えていたのが若い頃、今はその挫折や弱さにシンパシーすら感じられる(エンパシーとなると疑問だが)。

雲といえばもう一つ。ジョージ秋山『浮浪雲』。「おねえちゃん、あちきと遊ばない」といいながら、酸いも甘いも噛み分ける。まさに行雲流水。そんな大人になりたいと今でも思っているが、努力で得られるものじゃあないことは百も承知。だから憧れの人物だ。『浮浪雲』は「1日いくつの気づきで」なんて薄っぺらな志向が簡単に吹っ飛ぶ生きる事そのものへの「問い」がぎっしり詰まっています。

五輪が終わるや否や日本全国を覆っている雨雲。停滞した前線で各地に被害が出始めている。そうか、これも雲の仕業か。みなさん、どうか気をつけて。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?