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10分間読書8割実施。ほんまかいな

全国の小中学校・高校で行われる「朝の10分間読書」とやらの実施率は8割になるという。ほんまでっか、なのだ。読書をすることで語彙力、文章力が身に着く、想像力も豊かになる。朝は脳内がリセットされた状態なので、新しい情報が入りやすい。ふむふむ、いい事だらけなのだ。これは是非行った方がいい。

いやいや、私はまっぴらごめんだ。何の因果で斯様な責め苦を受けなければならない。10分で「おおーっ」となったら寸止めせよと申すか。第一かかる秘密の悦楽をどうして一斉に行わなければならない。しかも漫画など下品なプレイは行うべからずと言うではないか。私の豊かに育まれるべき想像力をことごとくシュンとさせてくれることはなはだしい。もう学校に行く事はないけれど。

読書をする効能はそれこそ底無しにあると思う。ではありますが、読書をそれほど特権化していいものかとも思う。読書でしか得られないものがたくさんあるように、釣りには釣りの、天体観測には天体観測でしか得られないものがある。そこに優劣はつけられない。ちょっとググったくらいだと「10分間読書」の素晴らしさ、効果がいかにあったかばかりが目につくのだ。曰く「生徒が自主的になった」曰く「活発になった」曰く「朝の始まりが落ち着く」・・・・・・その割に大人になって本を読む習慣がある人の割合は少ないようですが。眉につば位はつけるようにはするものの、教育でも政治でも自賛が多いのは信用できません。

読書はただ「知の刺激」を求めた行為の一つで、人生のある部分を豊かにしてくれたかも知れないのはあくまで「結果」である。はじめから見返りなどは期待しない。そうでないと思わぬところで官能のツボを開発される愉しみもないのだ。それにしても成年年齢引き下げになった今日び、高校生にもなって「10分間読書」ってお子様扱いもたいがいにせいよ、と思う。

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