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かくして、丸刈りにならずに済んだ。

1972年を迎える小学生最後の冬休み、私は欝々とした日を過ごしていた。それというのも進学する予定の地元の公立中学校が「丸刈り」だったからだ。生まれてこのかた坊主頭にはなったことがなく、思春期の入り口に差し掛かっている少年が丸刈りなぞ望むはずもない。何の因果でこんな目に遭わなければならないのか、頭の中は「坊主頭にはなりたくない」それでいっぱいだった。

両親に相談したかどうかは憶えていない。しかし、高校教師であった父親の行動は素早かった。子供が悩んでいることをいち早く察知していたのだろう。早速中学校に異議申し立てをした。「中学校は軍隊ではない。髪型は自由であるべき」というのがその骨子。中学校からは「丸刈りは非行防止の一環として有効」という回答。予測していたかのように父親は次の行動に出た。進学を控えた父兄に丸刈り強制への疑問を訴えて回り、同時に主要新聞社の支局に連絡し、記者を集めて地方欄の記事にしてもらった。父兄からも一定の賛意を得られ、あっという間に中学校の丸刈り強制は地元の小さな騒動に。慌てた中学校は、何回かの父親らを代表とする父兄との折衝を重ね、入学式まで指折り数える段階になって「丸刈りにするかどうかは各家庭の判断に委ねる」という回答をし、近隣の中学校では唯一の「頭髪自由化」となった。

もとよりまだ「丸刈りは当然」という風潮も強い時代、入学式に髪を伸ばしてくる子供はどの位いるのか。両親も一抹の不安はあったようだが、5割位だったろうか、相当数が髪を伸ばして入学してきた。「髪は耳にかからないこと」という制約はあったものの、それも厳密なものではなく、入学当初一部教師がこれを理由に廊下に立たせるという事はあったが、ほどなくして見られなくなった。ちなみに当の私は小うるさい親(と学校には映ったであろう)の子どもとして教師や同級生からのいじめ、あるいは忖度もなく、あるべき思春期の悶々を「謳歌」できた。

それから10年もの月日を経て起きたのが「熊本丸刈り訴訟」。1990年代にはその後も続々と丸刈りに関する人権問題が噴出した。時代は全く進んでいないじゃないかと暗い気持ちになった記憶がある。丸刈り校則はいまだに一部の学校で生きている。支持する大人もまた少なからずいるのだろう。当たり前の話だが、丸刈りにするのもまた自由なのだ。Wikipediaによると、丸刈り校則の目的は「非行の防止」「伝統の維持」「頭髪の清潔感の維持」「勉学への集中」「経済格差の解消」があるらしい。いずれも、合理的な説得力に欠けると言わざるを得ない。トンデモ校則が近年よく取り上げられるようになった。どうか、「校則」が「拘束」になっていないか、大人たちはよーく考えてほしい。

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