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吉田謙吉CollectionⅠ「考現学の誕生」

本棚の奥で静かな眠りについている本を突然起こしたくなることがある。これだからなかなか本は処分できない。1986年刊。吉田謙吉とは大正から昭和にかけて活躍したデザイナーにして舞台装置家。関東大震災の前後から街の人・モノ・事をスケッチして今和次郎とともに「考現学」の祖と言われる人物。その業績が一冊の本にまとめられている。監修は建築家・藤森照信、この本が出た頃は赤瀬川源平や南伸坊らと「路上観察学会」を結成している。彼らにとって吉田謙吉はあこがれのレジェンドだったに違いない。

街で採集した人・モノ・風景を、細部に宿った神も逃げ出しそうな細かさで活写し、ピン止めされている。銀座の二人や女給から貧民窟の人々、ファッションのみならず仕草や行動経路までをつぶさに追う。店があればその内側を、採寸も含めて詳らかに書き写し、作家の書斎も大公開。

上は飾り窓をのぞき込むルンペン。右下は酔っ払いの妙齢の男女「フーフーイッテル」男の手を女が笑いながらしっかりつかんでいる。
駄菓子屋の内側。「二寸八分」などしっかり採寸。たいがいのものは一銭と店のおばさんが言っていた。
下水口を調べて歩き「石垣の汚れの研究」をする。「東京という一生活体の機能に就て、解剖学的説明をきいている如くだ」と記している。
「銀座界隈のミス及びマダム東京の脚線オンパレード」と称した女性の脚の観察。「舗」は舗道、「車」は省電、「B」はバスの車掌さん。この流れで「最も靴下のシワの多い箇所」や「脚の動き」も詳細に記されている。
江戸川乱歩の書斎。林芙美子や徳田秋声の書斎も。

巻末には藤森氏と妹尾河童(やっぱり出た)の対談が収録されている。そこで彼らは「細部にこだわってしまったら全体が見えない」という批判に、自分たちがしていることを「別に役立てようとしてやっているわけじゃないから」と前置きしながら「垣間見た人のほうが、実はその実体を見ていることだってある」と返している。まして吉田謙吉のように膨大な採集となれば、黙っていてもそこらのシッタカな机上の社会時評などは尻尾を振って退散せざるを得ない位的確に時代の空気が写し出される。

あんまり気楽に写真が撮れるものだから、ついつい「とりあえず」気分でろくに対象を見ていない。この数年間の「おかしな風景」をあぶり出すのも、ひょっとしたら写真よりこんな観察の集積かもしれない。植物だってよく観ていなければ水やりや、日当たり、肥料の加減もできはしない。朝顔の観察日記ならみんなつけたことがある。

時には、楽にならざるわが暮らしもさることながら気になるものをじっと見てみるのも大事なのだ。アヤシマレないくらいに。




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