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葉桜の季節に歯を抜くということ。

毎月「お掃除」をしてもらっている歯医者で虫歯が見つかった。もう久しく聞いていなかったので何だか懐かしくその言葉を聞いた。ごく初期の虫歯で2~3回通って簡単な治療をして終わった。そのとき対角線上にある右上の奥歯がもう限界であることが発覚。よく歯茎が腫れるところだったので懸念はしていたのだ。先生曰く「抜いてしまえばおそらく炎症を起こすこともなくなると思う」とのこと。さらにその奥にオヤシラズが隠れていて「抜くことで数年後にはニョッキとでてくくるかもしれません」「タケノコのように?」「そう、タケノコのように」そのときの状態によっては残っている歯とタケノコでブリッジのような処置も可能になるとか。細かいことは忘れてしまったがそのようなことをおっしゃった。とかく悪く言われがちなオヤシラズだが、その昔は普通に生えていたオヤシラズが骨格の変化(アゴが小さくなる)に伴って隅へ隅へと追いやられてしまったわけで、彼にまったく罪はない。70歳近くなってから歯が生えてくるかも知れないのだから、その時はお食い初めとかしちゃおうか。

数秒間考えて「では抜歯ということでよろしくお願いいたします」と伝え、虫歯の治療を済ませてから実行に移されたのが昨日のこと。今は抜歯といってもさしたる大事ではないのはわかっていても当日は「これから起こることに決して狼狽えるではないぞ」と言い聞かせて家を出る。椅子が倒され「いい遺すことはないか」「ございません」と言うや否や麻酔の針がキリキリと侵入してくる。以前はここからもう痛えのなんのだったのだ。本人の緊張とは裏腹にミシミシという音とともに歯はあっけなく抜かれ、しばらく噛んでいてねと脱脂綿が入れられる。抜歯後の痛みもさしてなく、もらった痛み止めも1度服用しただけで済んだ。ただ、わけもなく舌を当てては彼の不在を想い何だか頼りない気持ちになっている。

見出しのイラストは「kumi」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。




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