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なんとなく、地元民

時折空を見上げながら街を散歩する。馬の背に当たる所に市街が出来た佐倉(といっても城下町を中心に広がった古い街区。当たり前だが横浜が全部みなとみらいではないように同じ市内でも地域によってその貌は全く違う)は、無数にある坂のひとつひとつに曰くがある。心臓手術をした身にはありがたくも悩ましい。城下町特有の鍵の字に曲がった通りからは毛細血管のようなおびただしい路地が手招きをする。ふらふらと入ってはかりそめのエトランゼ気分を愉しむ。それにしても空き家が多い。

3歳で移り住み、何度かの引っ越しもすべてこの狭い町中での事。いっぱしの地元民気取りで60年近くも暮らしている。父親が地元の高校教師で市史編纂の仕事をしていたこともあり、家に出入りする人も代々この地に住んでいる人が多くいた。いわば地元にコミットメントをしている環境下で育ったわけで「よそ者」が良しにつけ悪しきにつけ感じるある種の疎外感は、今に至るまで抱いたことがない。

たった3歳ならそれも然りとお思いかもしれないが、さにあらず。しきたりとは言わないまでも連綿と続くその土地の習俗や、長い年月が澱のように人々の心に染み込ませた価値観や倫理観。時として「よそ者」はこれらの圧とも対峙しなければならないのだ。そんな消耗戦を強いられなかったことは幸いだった。

土着の人とは決定的に違う「なんちゃって地元民」。この「なんちゃって」感は案外と悪くない。ウチの目とソトの目が過度な地元愛にブレーキをかけてくれる。間違っても「おらが町の総理大臣」というだけの礼賛はしない。散歩をする自分の目は8割方「ソトの目」を働かせている。そうでないとつまらない。

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