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散文詩のように歩く。

心臓の負担を軽くするためにももう少し痩せなさい。診察のたびに言われているので、努めて歩くようにしている。おかげで、一定規模以上の市内の公園にはかなり詳しくなった。桜や紅葉の頃もいいが、新緑の季節は掛け値なしに気持ちがいい。命がめいっぱい輝いている。大病を経験しなければ、こんな日常はいまもって訪れていなかっただろう。近頃は自然の地形を生かした大規模な公園も増え、散策の場所には事欠かない。一方で、子どもたちが思い切り「暴れる」場所は限られてきているようで、休日の小学校の校庭など使い放題だったわが少年時代を振り返ると考えさせられることも多いが、これを言い出すと長くなりそうだ。

「歩く」といっても、いわゆるウォーキングのようにしっかりと腕を振り、前を見据えてサッサッと進むわけではない。よそ見わき道ぶらぶらよれよれと、まあ暇を持て余した近所のオッサンの風体だ。

七井戸公園のカメ

先日は、とある公園で池にご帰還されるところと見受けられるカメに出会った。せっかくなので途中までご同伴させていただいた。ググってみると、日本固有種のニホンイシガメ(幼体時は「ゼニガメ」)らしいが、詳しくはわからない。邪険にはされなかったが、特にどこかへ案内してくれるということもなかった。また会おう。
「歩く」と、頭の中に散乱していた思いや考え事が洗濯機のようにグルグルと動き出すことがある。それを拾い上げてうまくクリッピングできたときは全くもって気分がいい。家に帰ったらしっかりとシワを伸ばして干すのだ。

ところで、わが町は城下町で、城跡を城址公園として整備しているのだが、天守閣のあった「本丸跡」は、広い芝の空間になっていて、休日ともなれば家族連れや友人同士がシートを広げ、バトミントンなどに興じたりランチをしたりしている。いわば市民の「憩い・癒しの場」になっているのだが、かなり前からここに天守閣を復元しようという声がある。街のシンボルとしてそれを願うのは当然という論調もあるが、果たしてそうだろうか。天守閣を立てれば、観光施策上そういう「場」も奪われるのだろう。現在、具体的な計画は進んでいないようだが、器ありきという考え方は、あぶない。



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