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名残の紅葉を本土寺で。

荒天で中止になった友人との本土寺の紅葉狩りを、散りぬるを、でもいいじゃないかと再度画策。北小金駅前で待ち合わせをする。この日はうって変わっての好天、参道を進む背に陽ざしがあたたかい。12月もなかばの平日、シーズンも終わり左右の店は大方がシャッターを閉めている。視界の先に山門が見えてくると、その四角く縁どられた先に見えたのは黄金に色づく木々の姿。「まだきれいじゃないか」と閉店間際に駆け込みで間に合ったようなヨロコビの俗人初老3人組であった。

木々はまだ黄金色。
陽ざしがあたたかい。

有料期間をすぎたので拝観料はなし。順路に従って境内を回る。思い思いに立ち止まり見入り写真を撮ったりできるのも、人もまばらになったこの時期だからこそ。最盛期はさぞかしと思うものの、なかなかどうして残り物にはなんとやらの眼福を得させていただく。

像師堂と呼ばれる建物の途中には、咲きほこれば見事だろうと思える円形の菖蒲田がある。そういえば本土寺はあじさい寺としても知られている。むしろこちらの方を思い浮かべる人の方が多いだろう。いずれにしても四季折々に人々を癒してくれそうだ。近くに住んでいたら毎日の散歩コースにして、日々10円の賽銭をするというのもいいかと思う。

冬の菖蒲田。奥に見えるのが像師堂。

開山は建治3年(1277年)という日蓮宗の古刹。開山門という建物があり、その丸柱は創建当時の部材だという。江戸の時代には下総や上総などに多くの門人知人がいた小林一茶もたびたび訪れ、この寺で行われた「翁会」という句会の催しに参加していたという記録もあるようだ。

開山門。
開山門の奥にある茶室。蓑笠が掛けてあり、横に「この門に一茶もかけしみのし笠」
と書かれた木札がかかっている。
梵鐘も開山翌年の1278年の鋳造というから驚く。鐘ははじめ印東庄六崎(現在の佐倉市)の大福寺という寺にあったと書かれている。同じ県内とはいえこうして思いがけなく地元の地名が出てくると興趣が増す。人が、モノが動いて歴史なのだ。

昼食を参道を抜けたところにある北小金駅前の蕎麦屋でとる。蕎麦は冷たいほうがいいということで全会一致(3人しかいない)。さてこれからどこを徘徊するかを考える。そういえば一茶の還暦の句に、

春立や 愚の上に又 愚に帰る

というのがあるそうな。一茶の時代の還暦といえば今とは感慨がまったく違うはず。その一茶にしてこの句なのだ。まだ「愚の上に又 愚を重ね」ていてもいいのだと、自分を甘やかすことだけには相変わらず長けている。

五重塔遠景。

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