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あの日に消えた、2つのチョコ。

バレンタインデー 当日。

小学生の頃に、遡る。

出目金の姿を〝人生の最期〟に

目に映した同級生の男の子を思い出す。

親でもなく、仲の良い男友達でもなく、
それは、同じクラスの女の子だった。


柔道着を纏った少年は、
好きな男の子に渡すチョコレートを持ってソワソワしながら家を出た女の子と


偶然にも、あの場で、会った。


そして、あの場で、別れた。




その場所で、事故に遭った。









最期に交わした〝バイバイ〟 は、

2月のカラッと渇いた空気に
吸い込まれていった。




チョコレートを渡した帰り道に、
彼と言葉を交わした場所で見た「事故」の
二文字のテールランプも

家に帰った数時間後に、
鳴った電話の受話器を取り、
瞬く間に、曇った顔をした母親に胸騒ぎがした感覚と、

一呼吸も置かず、
躊躇いもなく娘に伝えた母親の形相も


翌日、

学校には来ない少年の席に置かれた、

小さなホワイトのオーロラ調の花瓶に
不自然なほど生き生きした花と笑顔の写真。


言葉を選びながら、事実を説明した先生。

泣く同級生たち。

一人っ子だった少年の母親は、
ひどい悲しみにくれているに違いない、


そう思った途端に、涙は出てこなかった。


人間として生まれて、たった10年も生きていないのに。


〝人間は儚い〟


いつもパワフルで、優しくて、穏やかで、とても生徒想いだった先生が、

棺の前に、動けずに立ち尽くして、

数分後、

崩れ落ちた姿。




テレビで時折流れる、
彼が好きでクラスのみんなで歌った流行りの音楽は、懐かしの名曲として今も時折、テレビで流れるが、フレーズが耳に入った瞬間に、あの時の状況が蘇り、チャンネルを回すときもある。




恋人たちの
片思いする人たちの日は、


そんな事があったなんて、
まるで知りもしないように
毎年きては過ぎてゆくけど、


それが当たり前なことに、妙に安心した日もあった。




素敵な小学生の男の子は、
ずっと少年のまま、みんなの心の中で生き続けている。



大人になれない子どもがいることに、
憤り、
悲しみ、
虚しみ、
泣く。


仮に世界がどんなに平和になったとしても、
倍率という数字だけが変わるだけでしかないかもしれない。




ひとつの思い出のパッケージとして、
綺麗に包んであるだけの記憶には、


その中にだけ、幼くてあどけない私がまだ存在していた。



そして、数年後。

あの日、渡したチョコの先を失った。



玲子とお互い違う高校指定の制服を身に付け参列した。
すごく暑い夏の日だった。




あの頃、大人と子どもの狭間でもがきつつも、
まだ子どものような気持ちでいた自分が、


あれ以来、会っていなかった玲子と
数十年振りに再会し、




2人に子どもがいる事が非常に感慨深く、


また〝大人〟になった私達を思い出させた。


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