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マルチタスクの恐怖は克服できるか

自分自身、基本的に不器用なので目の前にあるひとつのことにしか集中できず、とてもではないがマルチタスクなどこなせたものではない
難解なマルチタスクをこなしている人は、肉体的な消費カロリーとは別に、脳の消費カロリーが凄まじいことになっていると何年か前に知った
だからこそ、頭脳労働は最低限尊重されるべきなのだろう
それはさておき、マルチタスクをこなせないと仕事どころか炊事、洗濯、掃除などをはじめとする日常生活にすらあらゆる面で支障をきたすこともある
例えば、料理や洗濯の最中に電話が鳴ると、それらを一時中断して応対しなければならない
ひと昔前でいうところの「ながら族」の最たる例のようなもので、電話応対しながら何かをやるという行為は自分的には最も苦手とするまるでクソのようなマルチタスク業務のうちのひとつだ
十代の若かりし頃、まだネット社会が全盛期を迎える前、連日のように振り込め詐欺の電話がかかってきたことがあった
当時はとにかく初めて見るもの全てが新鮮だったので、つい若気の至りと怖いもの見たさで欲に負けてその手のエロサイトを覗き込んでしまったのが運の尽きだった
友人との会話中、下校途中、自宅学習中etc...
一時期、とにかく四六時中携帯が鳴り止まなかったので、痺れを切らした私は、何かをしながらクソの手先の相手をしてしまうこともあった
彼らの正体は悪徳業者だったが、クソ人間とて無視するのにもある程度のエネルギーは必要だと痛感した
そうしてだんだんと、少しずつ恐怖心や不安に駆られ、だんだんと何かをしながらクソの相手をする機会が増えていった
一度はうっかり指定された口座に大金を振り込んでしまったが、それからしばらく経っても振り込め詐欺の電話は止まることはなかった
日々何かに怯えながら生活し、失った金と時間はもう二度と戻ることはない
このように、常軌を逸した電話攻撃は本当に人の時間とエネルギーを奪うこともあれば、激しい混乱を誘発してしまうことさえある
場合によっては自分のように精神疾患を発症する原因ともなり得るし、ここ数年の厳罰化の話とは別にしても、一度通話の恐怖に陥ってしまった人間的には運転中の通話など、はなから無理があるケースもある
堀江貴文さんのノーテレフォンの哲学は既にスタンダードになっている向きもあるし、全部が全部じゃないにしても、少なくとも私にとって良薬となって作用するときもある
今となっては私自身、不器用な人間が意外と多いことを知れば知るほど、相手の身になればなるほど、電話することを躊躇してしまう
それでも、通話という行為そのものが言葉のニュアンス、感情などがはっきりと伝わりやすいツールであることに変わりはないので全時代的に未だに通話でのやり取りは存在するし、まだ辛うじて真人間として生きていきたいのであれば、不器用なりに法的に許される範囲内でのながら通話をはじめとするマルチタスクはゆくゆくはある程度はできるように日々、ある程度の心身への負荷は覚悟しなければならなくなる
しかしながら、結論から言ってしまえば今の時代は連絡手段はいくらでもあるし電話に出る/出ないの選択権は受信者側に若干分がある
それを考えれば、不要なマルチタスクなど全て投げ出してしまえばいいのだ
とにかく同時進行は諸刃の剣だ
現状はこなせない人間の方がはるかに多く、実力以上のことをやろうとすれば、必ず負荷が起きる
仮に「こなせた!」という達成感や快感があったとしても、それはテトリスに例えるなら待ちわびていた長い棒がうまいこと落ちてきてくれて、幾つかの面倒が解消されただけであって、あくまでも実力ではなく悪運の強さや人的、もしくは環境的要因が味方してたまたまうまくいっただけだと思うようにしている
あまりにも同時進行にこだわりすぎると、それらをこなしているうちに何かが犠牲になってしまうかもしれない
とりあえず、まずはノーテレフォンなくしてマルチタスクはありえない