見出し画像

本当に役立つものなんかあるのか?

「本当に役立つものを」……
余計なものがあふれている今日、そんな声も聞く

しかし、人間という生物に必要最低限のものとかを体現してるのは、多分であるが究極的にブッシュマン文明とかで
それ以上のものは、多分、よその文明に攻め滅ぼされないならば、余計なものと思われる。

しかし、人生は早死にしなければそこそこ長いので
世界に本当に役立つものしかなければ、人々は退屈かもしれない

英語など、実際にはほとんど役立たない……

まぁ、どちらかといえばそうだと思う。

そう考えると、英語の教師を始め、かなりのものは、本質的には余計なものなのだという考えも成立の余地はある。
しかしまた、余計なものを締めだしすぎると、人生退屈しかねかない

本当に役立つものなんて多分かなり少なく
本当に役立つものなんて、いわゆる商業ベースに乗りはしないのだと思う。

ブッシュマンたちは、おそらく、納豆も麻婆豆腐もスマホもない世界で生存している。
つまり、それらは本質的に余計なものなのだ。

金閣寺など、古代・中世につくられた寺社仏閣も、現代人の多くには余計なものなのかもしれない。
しかし、現代人がつくる多くの建築物の寒々しさを考えると、これらの寺社仏閣を要らないものとして倒壊処分するのは賛成されないだろう

まぁでも、近代兵器の類が殺人を行ってるのを日々見るにつけ
そういうのはどうなんだろうとは思うけど

彼女に彼氏?

それも、多分、究極的には余計なものなのかもしれない
しかし、断捨離ブームで余計なものを排除してる人々の人生模様はどうだろう?
なんて、あんまり人のことも言えないのだが

今日の朝noteは『本当に役立つものなんかあるのか?』でした。

ご一読ありがとうございました。

サポートされたお金は主に書籍代等に使う予定です。 記事に対するお気持ちの表明等も歓迎しています。