適当な値がつかないものは流通しにくい
お金などをいただくには値しません。
困窮層が増加しています。お金などは徴収できません。
経済社会がピークを超えてしまい、このような形で人の善意が発揮されることが増えた。
悪いことではないのかもしれない。
ただ、経済社会では、適当な値段がつかないものは流通しにくい(流通を妨げる)のではないかと思い始めた。
お金をとるとは、「それを売る側の私腹を肥やすだけだろう?」みたいなイメージがあるが
実際は、お金をとるほうが、ある商品なりサービスが受け入れられやすい部分があるようだ。
たとえば、理髪店や美容院を利用する人は多いかもしれないが
これがもし無料だとすると、こちらは気がひけて、そのサービスを利用しにくいだろう。
理髪店の店主にいろいろ聞く機会があるのだが、それなりの厳しい訓練期間を経ている。
適当な値段がついているほうが、そのサービスを利用できる人は増加するのだ。
まったく値段がついてないのに、広く流通するものも確かにある。
わたしの考えでは次の3つである(コ〇ナなどの疫病を除く)
ひとつは「悪事」だ。
「悪事千里を走る」ともいうからこれは容易に理解されるだろう。
もうひとつは「tweet」だ。
これは、無料なのに(無料だから)すごく拡散する。
ひとつには140字で、受け取るほうの負担が少ないからだろう(もちろん、リツイートという機能のおかげでもあるが)
もうひとつは、ギデオン協会が無料で配っている『新約聖書』だ。
これは、キリスト教の主旨を考えれば矛盾はない。
この3つは無料であるにもかかわらず、すごい広範に流通する。
しかし、このような特殊な例外を除けば、無料はむしろ、特に経済社会では、ある商品やサービスの流通の障害にすらなることもあるのかもしれない。
値段(適当な)がついていないものは、たいして、あるいはまったく流通しないのだ。
「適当な」というところも重要で
たとえば、ぜいたく品の類いは原価をかなり上回っている価格をつけたほうが売れることも多い
ぜいたく品は、あんまり安値で売られると、幻想が崩れてしまい「安っぽく」思えてくる。
反対に、ライフラインに属する日常品は、ある程度安いほうが流通しやすい(高いベーカリーがかえって売れるとか例外はあるけど)
ヘミングウェイの『老人と海』とか夏目漱石の『こころ』は文庫本とかで安く手に入るだろう(スマホ版でよければ無料の青空文庫もあるけど)
これらは特殊な愛好者に愛玩されるぜいたく品ではなく、もはやライフラインに属するからだろう。
キリスト教の『新約聖書』も必要とする人たちには重要なライフラインで、だから無料という部分もある。
最後の無料の『新約聖書』を除けばしかし、値段がついていないものは、流通の妨げになる場合もある。
noteで5桁の「スキ」がついてる記事もたまにある。
「スキ」数がこれであれば、PVは相当なもんだろう。
それらは無料な場合がほとんどだ。
いちおう、note界隈ではそこそこ流通したといえるかもしれない。
ただ、それらのバズったすごい記事は、多分、当座の読み捨てになる可能性が高い。
3年前に「スキ」をつけた無料記事は、いまそれを読み返そうとすればかなり大変なことだろう。
無料記事は、そのままではPDFにもなっていないため、エクスプローラーだとかに保存できない。
いや、相当面倒なことをやれば、できなくもないかもしれないけど
無料の記事にそこまで頑張れる人も少ないだろう。
つまり、そうとう昔に「スキ」をつけただけの無料記事は、再アクセスのハードルが高すぎる。
それらは、無料であったために、再アクセスのハードルを上げてしまうのだ。
別の難点もある。
100円なり何なり「値段」が設定されている商品(やサービス)は、買う喜び(消費する喜び)を生じさせもするし
また所有する喜びも生じさせる。
あるカメラマンの撮った写真が1枚単位で(100円とかで)購入できれば、そして買う側のこちらの情報(氏名とか)が向こうに伝わらなければ「欲しい」と思うこともなくはない。
しかし、4000円とかする写真集にして、要らない写真をつけられたり
個展会場にでかけて、直接会ってというかたちになると、その写真には興味があるけど、他の写真や、個展会場で直接会うなどには興味がない場合は、やはりハードルが上がるのだ。
別に写真集をつくったり、個展をやったりしてもいいのだろうけど
アクセスや所有の方法は複数あったほうが、利用者にはありがたい場合もある。
「無料」の情報やコンテンツはしばし再アクセスが困難で買う喜びも所有する喜びもない。
「無料」には、もうひとつの難点がある。
それは、コンテンツを始めとして、「無料」のものが増えすぎると
稼ぐ意欲もその必要もなくなるということだ。
たとえば、僕なんかは、市場に購買意欲をそそるものが若いころより減ったため、稼ぐ動機もすくなく
週3日くらいしかバイトしない。
まぁ、僕は年齢がアラフィフなんで、労働市場とのかかわりはこのくらいが丁度いいのかなとも思うけど
購買意欲をそそるものが少ないため、経済市場で元気になれないところがある。
でも、わたしのコンテンツなんて100円の価値すら……
いや、でも、無料のコンテンツにはいまのところ上述の様な弊害があるだろうというのが、わたしの思うところだ。
もちろん、値段をつけることの弊害も、まだ明確にはなっていない。
たとえば、若い女性の有料コンテンツが、購入者とのあいだで、昔で言う「エンコー」(援助交際)みたいな意味を持ってしまったり
買う側には「エンコー」のつもりなんかはないんだけど、売る側が「エンコー」を疑い不安になってしまうみたいなことがないとも言えない。
noteだと、現状では「買う専」の捨てアカみたいのをつくらないと、買う側の情報も「氏名」と「アイコン」は向こうに伝わってしまう。
もちろん、そのほうがお互いに有益のケースもなくはないだろうから一概には言えないだろうけど。
ただ、「無料」の情報なりコンテンツには、そもそも流通しにくいという欠点があるのも確かなようです。
広く流通しさへすれば、制作者も無条件にハッピーハッピーになるのかも一概には言えないけど、「無料」にはそういう弊害があるのかもしれません。
(あとがき)
「値段をつけた途端に読者が減った」
もちろん短期的にはそうなる可能性が高いでしょう。
ただ、すべてが無料だと、いまやってるような形式以外の可能性の模索に無頓着になる可能性はありますよね。
こちらが見て(読んで)欲しいものだけを一方的に押しつけて、エネルギーが枯渇すれば製作が雑になり、ブラックな状況ができて限界に達しアカウントを閉じるみたいな……
ただ、すべてが有料だと、新規の読者はつきにくいこともあるでしょうから、無料と有料のバランス的な塩梅も重要かもしれません。
以上、「値段のつかないモノ」は流通に限度があるのではというはなしでした。
(製作データー)
書き始め:2022年5月4日午後19時51分
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