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臭うラーメンと臭わないラーメン

私は関東圏に住んでいるがとんこつラーメン好きである。それも最近はやりのとんこつ醤油よりも九州っぽいスープが白くて、あのちょっと臭うやつである(ここでさようなら!という人、ちょと待って下さい、もう少し読んで下さい。できれば終わりまで)高校生のころ渋谷でおいしいとんこつラーメンに出会って一気にファンになってしまった。わたしの住んでる神奈川はとんこつはとんこつでもとんこつ醤油をウリにしてる店が異様に多いので、そうはいってもあのスープの白いとんこつラーメンを食べる機会は実際はほとんどない。(こんなこというと、ラーメン屋めぐりとかをしてる人に思われそうだが、わたしは飲食店めぐり全般にそれほど積極的な関心はなく、外食となると金銭的な事情も手伝って、牛丼とかのチェーン店とか立ち食いソバとかがほとんどだ)しかし最近は、スーパーなどに売ってるラーメン(インスタントにせよ生ラーメンにせよ)にもあの白いスープのとんこつがにわかに増え始めた(とんこつ醤油にも同様の傾向がみられるようである)これは、もちろん、とんこつ好きのわたしにはうれしいことのハズである。
むかしは売ってるラーメンでとんこつ味を食べようと思えば、エースコックのあの1.5倍盛のカップラーメンくらいだった。なので本来はうれしいことのハズなのだが実際に食べてみると何か物足りない。何故だろうと考えているうちに思い当たったことがある。それは最近メーカーがつくるとんこつラーメンのほとんどはあの臭いがしないのだ。におわなっとうみたいな世界である。スーパーで働いていた頃、白人の外国人がよくにおわなっとうを買ってるのを見かけたことがある。しかし、臭いが気になる人でなければにおわなっとうというのはそんなにメリットがない。わたしは自分が食べてる納豆の臭いはあまり気にならない(あくまでも自分が食べている場合ですよ)
しかし納豆メーカーが納豆が嫌いな人を取り込もうとすれば、におわなっとうというラインナップも分からなくはない。
だが無臭のとんこつラーメンというのはこれは何かいただけない。
しかし、メーカーがとんこつラーメンは嫌い!特にあの臭いがね、という人をも取り込もうとすればこうなるのは仕方ないことなのかもしれない。
そうすると、でもしかし本来とんこつが好きだという人も首をかしげるようなものが出来上がってしまうのかもしれない。
もしかすると商品開発に携わったひとのなかにとんこつラーメン好きはひとりもいなかったのではないかとすら思えてしまう。
「このとんこつラーメンはとんこつ味が嫌いな人にもおすすめですよ。なんとはなればあの臭いがしないんですから」
しかしこれはとんこつ好きの人にしてみれば「いや、ちょっと待って下さいよ。無臭のとんこつラーメンを自信作として推しだすなんて…」とがっかりだ。
もっとも白スープのとんこつラーメンはそんなにニーズが多いとも思えないから、メーカーがそれを商品化したとき無臭にしてしまったのも理解できなくはない。でもそうすると本来とんこつが好きだという人を失望させてしまうこともある。(もしかすると無臭にしたのではなく付属スープであの臭いを再現するのはコスト的に無理なのかもしれないが)
まぁ、言いたかったことは、それが本来嫌いなひとを無理に取り込もうとするあまり万人向けの無難なかたちを選んでしまうと、それが本来好きだという人の支持を失うこともあるということだ。

もうひとつはなしがあります(もう少し付き合ってね)
それは食べ物と臭いの…いや香りの関係です。
まぁ、フツーにストレス社会なんで、何でもやはり無臭のものが有難がられるようです。
しかしラメーンとか、とくにカップラーメン系とかって多少臭うほうがおいしかったりするんです(個人趣味のはなしにすぎないかもしれませんが)
チリトマトヌードルとか社内食堂で食べてて、3回まわりの人に「くさい!」「やだ、なんか臭う!」っていわれたんです。でもチリトマトにせよ担々麵にせよ、まわりが「くさい!」って思うようなもののほうがハッキリ言っておいしいことが多いし、また腹持ちもいいんです。もちろんそれを食べてない人にとってはただ迷惑でしかないというのもわかりますし、僕だってあまり臭いのきつくないあっさり味がありがたいことも無論あります。
しかし、臭いって食べ物の本質のひとつに思えることもあります。
駅の立ち食いそばも最近ではサッシ扉で仕切られてることも多いですけど、むかしはそんな仕切りがないのがふつうで、ただ入口に暖簾(のれん)がぶら下がってるだけのところが多くて、駅を通るとあのつゆの臭いにやられてつい店にはいってしまい「天玉ひとつ、そばで!」とかなってしまうことも多かったんです。しかし最近はサッシ扉で区切られてるところが多いんで、そもそもあの臭いが外に漏れてこないんですね。あの美味しそうな食欲をそそる臭いが駅から消えたんです。
コーヒーとかはどうです?家で飲むにせよ、外で飲むにせよみなさんは、臭いというか香りはどうでもいいというタイプですか?
インスタントとかだと臭いというか香りだけでどんなものか分かってしまったりしません?
最近の大手チェーンのコーヒー店って、カップにふたがついててふたをつけたまま飲む式のものを提供してる店も多いですけど、あれ何なんでしょう?
アイスならともかくホットにもふたがついてて、ふたをつけたまま飲めなんて。コーヒーに対する考え方が根本的に間違ってる気もしますが、でもあれもひょっとするとお客様のジャケットにコーヒーが誤ってかかってしまったみたいな事故を防ぐ苦肉の策なのかもしれません。一日に大量の客をさばかなければいけない大手チェーンコーヒー店が、店員がお客様の衣類に誤ってかかってしまったコーヒーのクリーニングを含む事後対応を一日5件とかやってたたら従業員はノイローゼになっちゃいますよね。(僕はどちらかといえば、スタバもドトールもタリーズも好きですけど、チェーン店にはそういった物足りなさを感じることもあります)
飲食物って臭いも重要な要素のひとつですよね。
もちろん、それを食べてないひとには苦痛な場合もあります。
わたしもフードコートでなにか食べてて、「うっ、なんか臭うぞ」と思ったら、女子高生が納豆ビビンバを食べてて「お願いだよ~う」と思ったことがありますし、焼きそばや焼き肉のソースの臭いが台所から漏れてきただけで胸がムカムカしたりすることは誰にでもあるかもしれません。
でも、飲食物ってもしかすると臭いというのが重要なファクターのひとつなのかもしれません。
様々な事情で、今日では飲食物の臭いを封じ込めすぎているとおもうこともあります。

以上で拙文は終わりです。
ラーメンのはなしから、それを好きではない人をも取り込もうとするあまり好きなひとからの支持を失うこともあるかもしれないというはなしと、飲食物の魅力にはその臭いというか香りも重要なんじゃないかというはなしです。もちろん工場みたいなところで付いてしまった消毒臭のはなしではありません。

御一読ありがとうございました。

(余談:2021年10月15日追記)
これを書いたころ(2019年5月)はまだギリギリ40代で、いまは50代になりました。
50代になって、若干、食の好みが変わりました。
チリトマトヌードルとか担々麵とか味のキツイものにはあまり手が伸びなくなり、日清だとシーフードヌードルとか薄い味のものを好むようになりました。
白内障気味の人が太陽光線のまぶしさが辛いのに似て、刺激の強いもの、味の濃すぎるものはキツく感じて避けることが増えたかなって気がします。

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