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辛いから逃げるは正しいか?

仕事でも、学校でも、人間関係でも辛いことは当然ありますね

で、どんなことにも辛い局面はありますね。
これは仕方がないこと
好きなことを仕事にしてる人
意中の人と結婚できた人でも
それなりに辛い局面はどこかで出てくるでしょう。

で、これは仕事とかに関してだけど
恒常的にそれが辛い
たとえば、接客を何年やっても辛いとかは
資質的に合わないか、本当はやりたくないことなんだと思う。
で、凡人だと、資質に合わないこととか、本当はやりたくないことというのは、いくらやってもイノヴェーションが起こらないことが多いと思う。
イノヴェーションがまったく起こらないと仕事って楽しくならないから
そうすると、クビにはならないレベルを何年もひきづったりする

で、そういう場合の辛いことも、
あらゆる辛いことに言えると思うけど
辛いことは、忍耐力や我慢力を養うことはあると思う。
で、忍耐力と我慢力しか養えない辛いことは退屈してくることが多いと思う。

で、自殺が多い年代は20代だって聞いたことがあるけど
20代の「辛い」は外界(仕事や恋愛の希望と現実がズレてる)に「こころ」がついていけなくて
「こころ」が辛いことが多いと思う
45をすぎると、外界のこと(仕事とか介護とか)に対して
「肉体」が(も)辛いとなってくる

で、逃げるか否かは、どのくらい辛いかにもよると思う
または、「死」以外に逃げる場所があるかにもよると思う

地球はものすごく大雑把に、「人間界」と「自然界」でできてると思う。
で、辛いことの多くって、現代だと「人間界」に起因することだと思う。

で、「人間界」ってぶっちゃけ強者に有利に出来てて
そこはあんまり覆んないことが多いけど
かなりの高齢で肉体がよぼよぼってんじゃなければ
「辛い」ことの何割かは、あるていどその人の場数の問題の場合もある

恋愛とかがめんどくさくて口説く気が起こりません
働くのがいやです
英語が全然だめです

「辛い」の何割かは、単純に場数が絶対的に不足してることもある(場数だけですべてをのりきれないけど)
場数を踏んでることの利点は、ある程度(ある程度でしかないけど)残念なことが起こったときに諦めがついて、現実的な対応策(その人なりに)をとれることが多いということ

恋愛でも英語でも、場数が足りてない人は、「逃げる」以外手がないこともある。
やったことにケチをつけられるとか、クレームがつくとかも、やっぱり場数のことが多くて、「怒られる」ことが多い人は「怒られる」ことに対して場数を踏んでるから、「怒られた」ときに、よりマシな切り抜け方ができる可能性がある。
もちろん、老齢期になれば場数だけでどうにかなることは少ないと思うけど

家族が苦手!
これも、言語道断の醜い虐待を受けてるとか以外は
平均的な人の家族が苦手も単純に場数のこともある
長くいると
「どうしてこの人は、ここでこういう対応をするのか?」が多少は見えてくることもある。
または「こうされると、どうして自分は腹を立てるのか」が見えてくることもある
または、そのいずれでもないけど、諦めがつくとか

老齢期ではないのに、場数ではまったく乗りきれない事態に直面してる人は、本物の不幸かもしれない

「どうしてこの人は、こんなことができるんだろう?すごいなぁ」っていう人まわりにいくらでもいますよね。
ゴミの収集人でも、YouTuberでも、近所の人とたのしくお喋りしてる人も
「自分にはこんなことできない!」って思うこと多いですね
でも、当人にしてみれば、ある程度場数なことが多いと思う。

場数ですべてを乗り切れるほど人間界は甘くはないかもしれないけど
平均的な人のコンプレックスは単純に場数

もちろん、石川の災害で、救援に人が絶対的に足りないとか
実の親に指の骨を折られるような虐待を受けてるとか
学校で超絶いじめを受けてるとか
場数などでは到底乗りきれない困難も沢山ありますけど

僕は、50代でわけあって派遣のバイトやってますけど
数だけをやたら増やすのは肉体的に限界を感じることが多くて
日数や時間を減らして「逃げて」います
でも「逃げない」と死ぬ気がすることからは「逃げる」べきだと思う。

ただ、コンプレックスに起因する「逃げ」(恋愛力・英語力・仕事力とか)は、単純に場数の場合もあるから、
場数に起因する「逃げ」は、それを諦めきれないなら場数に積極的になるのがいいんじゃないかな

向かないことややりたくはないことも、場数を踏んでることは、認められなくてもその人なりの長所を形成すると思う
または、その人なりの切り抜け方を会得してると思う
「人間界」がもう絶対的にイヤだ!って人も多いけど
イヤな「人間界」も、少しはこれは「いい」と思うことがあると思う

大抵の出会いは、その人の場数をかけてることとリンクすると思う。
僕は、バイトやってるから、まずバイト先の人
あと、noteとXやってるから、はてなやってるけどnoteもXもやってないという人と出会う確率は少ないと思う
英語サークルで場数を踏もうとすれば、そのサークルにいる人と
たとえば、被差別みたいな自己境遇に場数を(?)踏んでる人は、それに関連した人と出会っていくと思う

多分、逃げてもいいんだと思う
逃げた先で、何らかの場数を踏むはず
場数だけですべてをのりきれるとは思わないけど
その人が逃げ回ってるのは、単純に場数不足に起因するコンプレックスがあるだけのことも多いようですね
「場数なんかじゃない、ホント死ぬ!」
いますぐ逃げたほうがいい
んじゃないですか

就活から逃げた
恋愛・結婚から逃げた
英語・読書から逃げた

いや、そんな世間の10人中9人がどうしてるかみたいなことは多分どうでもよくて
恋愛や読書を諦められないなら、いまからでも場数を踏めばいいし
逃げた人も、逃げた先で何かを培ってるハズで、それをテコにできるかどうかかもしれないですね。
婚活で場数を踏んでるけど、どうにもなんないですとかもあるから
場数だけでどうにもなんないことも多いですけど(恋愛感情って、しょ中顔を合わせてると芽生えるものだから、婚活ってそもそもがムリゲーな気もしますけど)

致死レベルの「辛い」か
場数(経験数)に頼ればどうにかなるものか

「不安」や「コンプレックス」とかも単純に場数が不足してるだけのものもある

とりとめがなくなってきたんで、ここで締めます
もし、何か参考になることが書かれてたら、もう一度読んでみてください

ではまた

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木月まこと
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