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アフター『急に具合が悪くなる』の世界へ③

磯野さんから第三便 標準治療と代替医療

「別に何か決断したわけじゃない。そうなっていただけです」
そう語ったというプロボクサーの話で磯野さんのお手紙が始まる。
この便で磯野さんはがんの標準治療(弱い運命論)と代替治療(強い運命論)について「強い運命論に引っ張られたことが何回かあったのではないでしょうか」と、哲学者が見ているであろう標準治療と代替医療の風景を問うた。
なぜ、患者は科学的根拠(エビデンス)がない(あるいは少ない)とされる代替医療を選ぶのだろうか。なぜ、標準治療を施す医学は代替医療を退けようとし、時に失敗するのだろうか。そこで医療人類学の祖の一人であるアーサー・クラインマンの「ヘルス・ケア・システム」3つのセクターが紹介される。

クラインマンの3つのセクター
①民間セクター
家族や知人・友人といった自分の日常で構成される
②専門職セクター
保険診療を施せる医療者など。権威ある組織が付与する資格の保持者によって構成され、もっとも大きな権威が与えられている。
③民俗セクター
権威はないけれど独自の理論をもち、その中で展開される医療。薬草や骨盤の歪みを直すなどの代替医療。

ヘルス・ケア・システムの中でこの3セクターがどのように関わり合い、どんな役割を果たしているのかを考えないと、病者の行動を理解することは不可能だとクラインマンは述べる。(p58)

代替医療(トンデモや高額ビジネス、詐欺的なもの含む)は、患者や家族など関係者に何を与え、医療は何を与えなかったのか。

磯野さんは「私たちが確率に基づく判断を手放す時は、経験に基づく判断が不可能な時」だという人類学者のメリー・ダグラスの示唆から、患者たちが標準医療から離れる時は専門職セクター(医療・標準治療)への信頼がくじけた時、その代わりに信頼と希望を与えたのが民俗セクター(代替医療)ではないかと考える。

だから、お金といのちを浪費する可能性が高い代替医療に患者を行かせないためには、専門職セクターがエビデンス第一主義ではなく、希望と信頼の位相で話すべきであると。(p60)
エビデンス第一主義は医師にもプレッシャーがかかることもあり(訴訟リスクなど)、決定疲れした患者さんに成り代わり、ある程度の方向性を医師が決められること、その責任を一人で担わなくて済む仕組みが必要ではないかと磯野さんは考える。(p62-3)

「特に異常はありません」では、辛さも変わりありません

本書に出会う前から代替医療(エセや詐欺、高額ビジネス含む)の問題について、私は関心を寄せていた。「SNS医療のカタチTV」の前身といえる「やさしい医療情報」のイベントに参加し多くを学んだ(noteにもイベント・レポート等書いています)。そもそも何故この活動に乗ったかというと、私自身がここ2年ほどで代替医療と親密になったからだ。

代替医療と親密になる前、乳がんの標準治療が終了して3~4年は絶好調といっていいほどで、年1回の定期チェックを除けばめったに医療機関にかかることもなく、人並みに健康だった。が、急に体調は悪くなる。ガマンしがたい関節痛やお腹の具合悪さ、初めてのPMSなど。引っ越したばかりで「かかりつけ医」も何も存在しない地元の各専門クリニックへまず行き、時に専門病院を紹介されたり直接行ったり。で、どこに行っても「特に異常はありません」で、「無理のない生活を」や「鎮痛剤で様子を見ましょう」となる。私としては無理のない生活はしているし、鎮痛剤はいっとき助けになっても、お腹を壊したりむくみが出たりする。何より、どうしてこうなっているのかを誰も説明できないという不安を抱えたままになった。

そのうち、生活習慣にまつわることをネットや本で調べるようになっていった。食べ物や睡眠、運動を改めたり新しく取り入れるため、具合の悪い中で探し回り実践した。中医学、アーユルヴェーダ、中高年向けの運動…その中でスッと寄り添って来たのがトンデモに近い「なんちゃら療法」。自分から発掘していないのに善意の誰かが親身になって勧めてくれて…アッ! と思った。こういう時に、やってくるのか。

はっきりした重病でなくても、苦痛に息も絶え絶えな生活をしていると、なんかキャッチされるオーラを放っているのかもしれない。

ちょうどその頃に読んだ記事にあったこの一文に、深く頷いていた。

「骨盤矯正をはびこらせたのは、慢性腰痛に向き合ってこなかった医師の責任」と、ある整形外科医は自戒を込めて打ち明ける。

代替医療は、専門職セクターから何ももらえなかった人や、放り出された人たちの受け皿になっている。

結局、私はおもにお金がないという理由で「なんちゃら療法」は受けなかったが、それから漢方の専門外来(専門職セクターのもの)に通い、そこの主治医をかかりつけ医的にしている。鍼灸通いを復活させつつ、ヨガに行く私は、今も民俗セクターの代替医療とも親密なままと言える。だからトンデモ方向の代替医療を選ぶ人のことは否定できないし、なぜ悪いのかと感じることもある。もちろん、家1件が買えるほどのお金をつぎ込んで破産寸前になったり、そのお金がどこに行ってしまうのかを考えるとよくないときっぱり言うけれども…。

第三便の磯野さんが問うたヘルス・ケア・システムの関係では、おそらく患者が最小の負担で自分を他者に委ねられるようになるには、どうしたらいいのか? ということかなと思った。患者が各セクターにバランスよく身を委ね、各セクターも委ね合っているようなイメージ。

宮野さんから第三便 各セクターの分断と対立

患者としてまさしく渦中にある宮野さんから投げ返された返信は、ずっしり重いストレートのように感じた。まさか、そうくるか!? という…

患者をとりまく3つのセクター中、夏越の祓えで神社に納めるやすらい人形を大切にするようになったパートナー氏は、民間セクターだ。他にも宮野さんの母親・親戚・友人など、同じセクター内でさまざまな動きが生じる。それぞれがバラバラに専門/民俗セクターとの関わりを持って患者につないでしまう。宮野さん本人は「現代医療に啓蒙された良い患者」として合理的に選ぼうと努力をしているのに、病状の悪化にともなって周囲のつなげ方・つながり方は雑になっていくようである。そのノイズの中で宮野さんの苛立ちは爆発した。

(大学病院の主治医との面談に母が同席した時)標準治療でできる治療がほとんどなくなってきたこと、使える抗がん剤には何があり、しかし、それが効く見込みはあまりないこと。主治医は丁寧に確率の話をしてくれます。ところが母は主治医の話を遮って唐突にこう尋ねたのです。
「先生の家族が同じ状態だったら、どうしますか?」
それは禁じ手の質問だ。
ルール違反だと私は心の中で叫びました。(p69)

なぜ禁じ手の質問だと宮野さんは思ったのか。
主治医のいる専門職セクターの範疇で、「現代医療に啓蒙された良い患者」として合理的に選びたかった(選ばなければならないと思っていた)のに、母上が主治医を、勝手に自分の民間セクターに引きずりおろしたと感じたからだった。

宮野さんは母上が病院に来ることを避け、代替療法に関する雑な情報はノイズとなり、パートナー氏の迷惑にならないようにするために民間セクターをシャットダウンした。そして、専門職セクターにいっそう近づくため医療論文や統計データを読み込む…「現代医療に啓蒙された良い患者」として、専門職セクターに閉じこもった。でも、宮野さんは専門職セクターではないからいっそう孤独になる。

おそらく代替医療を選ぶ患者も同じ構図で、民俗セクターに閉じこもってしまうのではないか宮野さんは考える。

病気をめぐる家族の関係と孤独

宮野さんの第三便はまだ続きがあるけれど、いったん感想を書きます。この便は考えさせられる点が多すぎて、何度目になっても長時間かかってしまう。

母上に怒り爆発された部分を読んで「だよね、そうだろうともよ」と同意しかなかった。がんなど重大な病気になった時、あらわになるのは人間関係で、特に家族の関係は微妙な均衡を保っていたものが崩れることがある。私もある時点から、がんに関わることも他の病気も一切を親に相談しない。当時のパートナーもシャットダウンしていた。民間セクターの中でも特に内側にある家族関係は、患者本人の選択を許さなかったり勝手に進めたり、拒否したりと非常に厄介になる可能性がある。日常空間でとても孤独になってしまうけれど、そうせざるを得ないほどに自分を蝕む強烈なノイズを出す存在になることがあるのだ。
(なので、磯野さんからの第四便での返信に腰が抜けるほど驚いた)

親からすれば子が先に死ぬという「逆縁」の状況は、ひどく辛いし認めがたいことだろう(それは子も同じく辛く思っているのだが)。しかし、関係をシャットダウンするほど強烈なノイズと認定してしまうのは、健康なうちからあまりいい人間関係でなかった可能性が高いと思う。

いっそう専門職セクターに同化しようとする試みは、宮野さんがキャリア20年の研究者でもあり、専門職セクターに比肩する能力を持っておられたから、可能そうに思える。そういえば標準治療を受けずに代替医療を選びがちな人には高学歴の人が少なくないという指摘があるけれど、もしかしたら専門職セクターに比肩する(と自認する)能力がそうさせるのかな…とも思う。

最近は、患者が代替医療を選択した時に主治医や病院が「じゃあ知りませんからね!」と分断せずに「使う薬を見せてください」とか「うちにも通ってください」とつながり続けるケースも増えてきている。専門職セクターが民間、民俗セクターと分断・対立しない態度を示すことで患者を孤立させない(民俗セクターに閉じ込めない)やり方に移行しつつあるのだろう。

宮野便 主治医も民間セクターにいる

<かもしれない>の荒野で正しく選ぼうともがいていた私を救ったのは、医師を配偶者にもつ友人の
「主治医とちゃんと話しなよ」
という言葉だった。(p71)

そこで宮野さんは、医師の言葉を肯定し、理解しようとしていただけで、「一緒に考えてくれないか」と問いかけたことがなかったことに気づく。病気を抱えた体を一番見て、知っている人は主治医なのだ。主治医と患者は“ささやかに日常を交換し、時間を共に積み重ねて”いる。それは患者の民間セクター内に医師が存在しておりし、医師の民間セクターにも患者が存在しているということ。そのセクターのつながりの中で、
「先生、何かありませんか?」
と、初めて粗雑な問いを投げかけた。そして、話は動いていったのだという。

“病気というのは、私ひとりの身体にふりかかるものでありながら、私一人にとどまってくれません”(p66)
“私が病を得たことで変化したのは私だけじゃないし、私が選んだ結果もまた、私一人にとどまるものではないから”(p74)

「一人にとどまってくれない」という苦痛から「まず一人でやるプレッシャーを解除すれば、患者も医療者も楽になるのでは」と考えて「選択とはひとりで担うことができるものなのか」と、問いは変化した。

医師の民間セクターを分けてもらうには

宮野さんがたどりついたのは、患者は医師の民間セクターにも存在しているのだから、そのセクター内で関わってみるということだと思う。それは、患者から働きかけることもあれば、医師からの働きかけることもできるだろうが、双方に勇気が必要だし負担もかかる。

「彼女が目覚めるその日まで」という映画がある。原因不明の難病にかかった女性記者の実話に基づく映画で、患者と家族、医師たちの関わり合い方がとても興味深かった。

その中で、主治医が開頭手術を要する検査をしたいと両親に告げるシーンがある。大きな危険を伴うことに悩む両親に医師が

「私の娘なら、ぜったいに受けさせますよ」

と説得する。それで両親は納得して検査を受けさせることになるのだが、これはまさに医師と患者、家族の民間セクターで成しえたことと言えるのではないだろうか。

どこかのセクターに閉じこもってしまうと、「選ぶ」「決める」のプロセスも抱え込んでしまうことになる。プロセスは、多くの人に開かれていてよいのではないでしょうかと宮野さんは述べた。

・良い患者として、正当なサービスを受けようとする
・正しい医療として、エビデンス第一主義の治療を施す

病院の中ではこの2択しかないように思われるけれど、案外そうでもない。もっと2択から解放された方がいいのではないだろうか。患者ではなく取材者として医療関係者にお話を聞いていると「もっと患者に自分の話をしてほしい」と提案している人は多い。でも、患者となるとまだまだ医師の前では硬直してしまう…
パワーバランスのせいだろうか。古い体制の記憶がある世代ゆえだろうか。スティグマのせいだろうか。
硬直しながらも、私はお世話になるそれぞれの医師に、なるべく開けたコミュニケーションで親密な関係を作ろうという努力を始めた。まだへし折られることもあるけれど、確実に患者の私と医療者の関係は変わり、お互いの民間セクターが見えるようになったと思う。これは確実に「アフター『急に具合が悪くなる』世界」での光景だ。

蛇足:プロボクサーとやすらい人形

磯野真穂さんは、プロボクサーでもある。ボクシングはスポーツ…ですよね。ぼんやりした記憶だけど、院生時代に生死について考える臨時ゼミがあって、その中で先生が「そりゃスポーツは死に向かう行為でもあるよね」と言われたのを思い出した。たしかにどうして私たちは心身を酷使し勝敗をかけて、寿命が縮みそうなスポーツをしたり、観戦するのだろう。
ボクシングはスポーツの中でも、かなり明確に命がけの部類だと思う。炎の人類学者が命がけのスポーツでプロにまでなっているのは、なんか「なるほど~」と思ってしまう。

宮野真生子さんが納めた「やすらい人形」。私は京都市の西の端っこで生まれ育って、我が家はその地にある神社の氏子だった(引っ越してきた瞬間に自動的に氏子になるらしい)。やすらい人形と同じように夏越の祓と大晦日に人型(ヒトガタ)と呼ばれる紙の人形に家族の名前を書いて神社に納める習慣があった。結婚して名字が変わっていた間も、私の名前はヒトガタに書かれて夫も加えられていて、なんか変だなあと感じたことがある。他家の人間だからもう氏子じゃないし…でもまあ家族といえばそのまとまりともいえるし…どこまでが家族なんだろう?どこまでヒトガタに加えていいんだろう?なんて。

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