見出し画像

海にのりゆく者たち

このタイトルはアイルランドの劇作家ジョン・ミリントン・シングの“Riders to the Sea”(邦題:海に騎りゆく人びと)から。ここ数年、この作品とは似たようで逆のようなことを考えていた。幡野広志さんの『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』を読了して、思うところあり書き出しておきたくなった。幡野さんの作品についてはご本人のこちらをお読みください。

子どもがいる/いない。産んだ/産んでない。この差異は、ものすごく大きい。男女どちらにとっても大きいことだが、やはり現在の日本では女性にとって大きな差異になっているだろう。あらためて書くまでもなくその差異がいろんな差別になり、双方を苦しめているのが現状だ。ただ、ここでは単純に「いる/いない。産んだ/産んでない」に関して2種類の人間がいるとだけ、考える。

私は若年性乳がんのサバイバーで、子どもはいない。がんを患った後に幸運にも結婚したけれど、いまは独身だ。そうなると「産めなかったのね、かわいそう」みたいになるけれど、「できなかった/しなかった」の線引きはとても難しい。がんになっていなければ子どもを産んでいたか? と問われると、はいと即答できない。でもがんになったから産むことをあきらめたという部分もある。ただ、現実としてはアラフィフに足を突っ込んだ今、出産は不可能になったし、もし子どもがほしくなっても養子を迎えるのもかなり困難であるということだ。その「いない、産んでない」の側の人間から世界を眺めてみた。

「いる、産んだ」の人たちは海にのりゆく人々だ。いろんな船に乗ってこぎ出してゆく。大きな船も小さな船も、豪華な船もシンプルな船も。最新設備で出ていく船もあれば、心配になっちゃうようなオンボロ船に乗り込んで行く人たちもいる。でも彼らは当然、海に出るんだよ…といったふうに、直前まで迷っていたとしても、のり出してゆく。未来という海へ。

「いない、産んでない」の人たちは陸にいる。一つの土地ではない、大陸のふちにいる人もあれば、海の見えない山間部や砂漠にいる人もいる。ちいさな孤島にいる人もあるし、どんどん移動している人もあるだろう。けれど、彼らは海へは出ない。海があることは知っているが、のりゆきはしない。

海に出た船は、陸に戻ってくることがある。メンテナンスもしなければならないし、水や食料も補給する。頻度は船によってさまざまだけれど、必ずどこかの陸には戻ってくる。乗組員を増やして出航する船もあれば、降りて陸に拠点を移す人も出てくるだろう。陸にいる人たちは、その陸で生産したものを高くだろうが安くだろうが提供する。水も食料も、メンテナンスも陸でないとできないからだ。そして、また海へと戻ってゆく船に手を振る……私は無事でね、気を付けてねと、せいいっぱい手を振りたいと思っている。

私を含め、陸にいる人にはいろんな事情があるだろう。でも、海に出る人たちを支えることは私たちにしかできない。海に出る人たちには危険がいっぱいだ。そこを勇気と希望で立ち向かう。危険にあふれていても、もう出てしまったのだから。

こんなことを、数年前から考えるようになった。ちょうど親が80歳を超えてそろそろいろんな事を整頓したり、引き継いだりすることを考える時期になってきた。私は、何かを引き継いでもそれをさらに残すものがいない。母がとても価値のある、そしてすてきな久米島紬の着物を持っていて、譲りたいと言ってくれたけれど着る機会がないとかそういう問題ではなくて、引き継いでこそのものを私に与えるのは捨てると同然だと、まず自分が気付いたのが発端だった。価値のある着物というのは難しいもので、売ってもたいていは二束三文にしかならない。だから代々受け継ぐことが多いのだけれど、途絶えるとなれば本当に残念だが、ただの可燃ゴミになる可能性もある。だから、私は着物が好きな従妹だとか親戚にあげてくれと頼んだ。

似たようなことを「陸にいる」友人も言っていて、その人は最近体調を崩して経済的にも厳しい状況にあるのだが、実家に頼るのが申し訳ないのだという。ほかの兄弟姉妹には子どもがいて、さらにその子どももできるであろう年齢の子たちもいる。自分が実家のものを使うと、彼らの配分が少なくなるではないか…それは申し訳ないと。これからの人たちのものをさ、奪っちゃうことになるじゃない? と言っていた。私にも兄弟がいて、それぞれ子どもがいる。同じ兄弟でも彼らは船に乗って海に出ていて、やっぱりメンテナンスやら何やらコストがかかるのだ。私は陸にいて、もはや動くことはない。船にかかるほどのものは必要ないと気付いた。

幡野さんの『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』を読んで、いろんな思いが頭をめぐったけれど、確信したことのひとつは、彼もまた海に出ている人なのだ。ただ途中で航海に携われなくなってしまう。だからなるべく快適な船に、どんな荒海にも耐えられるように準備をなさっていると感じた。それはすごく厳しいタフなことだけれど、同じような病気を経験したとはいえ陸にいる私ができることは、水や食料を提供し、せいいっぱい手を振ることだけだ。なるべくしっかりした船になりますように、なるべく安全な航海でありますようにと。

もう一つ、世間を揺るがした「生産性がない」発言についても触れておきたい。陸にいる人たちはどういう事情であれ、ただ陸にいるのだ。そして大なり小なり海にのりゆく人たちに関わり、支えたり支えられたりしている。陸の人たちなしでは航海はできない。また陸の人たちも海に出た人たちが、その先々でいろんな陸に寄ったり降りたり乗ったりをしてくれなければ、希望だとか発見だとかのワクワクも小さくなり、数を増やすことも(それが目的でないにせよ)できない。ちゃんとお互いの「生産」があってこそ、成り立っている。それを邪魔するのは船にわざと穴をあけたり、陸で畑などにわざと火を放つ者たちだ。

シングの“Riders to the Sea”では、アイルランドのアラン諸島で貧しく厳しい暮らしをしている漁師の一家の男たちが次々に海で命を落とし、最後に残った息子までも嵐の海に出ていく。海には、行かなくちゃいけないんだと必死に止める老いた母を振りはらってのり出す。この息子たちがみな命を落として独り残された母が悲嘆に暮れるという悲劇のパターンが映画「プライベート・ライアン」の下敷きにもなってるんじゃないかしら、と考えたりしつつ、それとは別に私は未来という海にのりゆく人たちを想像した。どんなに荒れ狂った海、困難しか待ち受けていないと見える海に止めても諭してものりゆく者たち。それはシングの作品にあるようにどちらにとっても悲劇に見えることもあるかもしれない。でも、ただ彼らは海へのりゆく。ただ私たちは陸にいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?