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三本の指で命拾い/新井由木子

 伊豆諸島の式根島に暮らしていた幼き頃、よく家族揃って海遊びに出かけていました。
 父と母は食べられる貝類を採り、その間、わたしと妹は海面浮遊を容易にする救命胴衣に似たものをつけさせられて、湾内を泳いでいました。
 泳ぎ疲れて水面に仰向けに浮かぶと、視界いっぱいの青い空と、縁取るような沿岸の松の緑が見えました。耳に響く波の音と共に、忘れられない、というよりも忘れたくない、夏の思い出です。

 そこは泊(とまり)という名の小さな入江でした。沖に向かっての開口部が小さいために、湾内の波は優しく、白砂の海底が日光を明るく照り返して、海水が緑色に輝く美しい浜です。
 そんな浜に一カ所だけ『絶対に近寄ってはいけない』といわれている所がありました。入江を囲む岩が一部だけ鋭く途切れていて、外海に繋がっている場所です。

 どうして近寄ってはいけないんだろうと常々思っていたわたしは、その日、その場所を調べてみることにしました。
 ライフセーバーも常駐していなかった時代のこと、貝採りに夢中になっている両親と妹に気づかれることなく、その場所に近づくのは難しくありませんでした。
 水中眼鏡で海中をのぞくと、狭い隙間を激しく海水が出入りするため、海底の白砂がえぐれて深くなっています。岩の隙間から見える果てしない外海は緑色に透き通り、美しくも凄みがあり、茫然とその光景に見入ったわたしは、次第に引き寄せられていきました

 その時です。ものすごい引き波を全身に感じたのは。
 海面が大きく盛り上がったかと思うと、水は深い部分から強い力で外海へと吸い込まれていきました。わたしの身体も容赦なく、引きずられていきます。

 あわや外海へ連れていかれてしまうというところで、岸壁に向かい命がけで手を伸ばすと、かろうじて指を岩に引っかけることができました。人さし指と中指と薬指。三本の指に渾身の力を込め、必死に堪えるのでした。

 ところで当時、わたしのあだ名は『ミツ』でした。理科の授業で見せられたスライドに映っていた『ミツユビ(ミユビ)ナマケモノ』と顔が似ているというのです。
 学校に行くと悪ガキどもが「ミーツー」と言いながら人さし指と中指と薬指の三本の指を立ててからかうので、本人としては嫌いなあだ名でしたが、
まさに、ミツ!
 と、この時思いました。
 そしてミツの状態も限界となる寸前に、急にブワッと今度は寄せ波がきて、湾の中のほうへと押し戻され、九死に一生を得ることができたのでした。

 恐ろしいのは子どもの好奇心
 教訓としては、とにかく子どもは親に隠れて色々やらかすので、よく見守ること。そして危機的状況においては、何事も諦めないことですかね。

思いつき書店096文中

(了)

草加の、とあるおしゃれカフェの中の小さな書店「ペレカスブック」店主であり、イラストレーターでもある新井由木子さんが、関わるヒトや出来事と奮闘する日々を綴る連載です。毎週木曜日にお届けしています。

文・イラスト:新井由木子(あらい ゆきこ)/東京都生まれ。イラストレーター・挿絵描き。埼玉県草加市にある書店「ペレカスブック」店主。挿絵や絵本の制作のかたわら書店を営む。著書に『誰かの見たもの 口伝怪奇譚』『おめでとうおばけ』(大日本図書)、『まんじゅうじいさん』(絵本塾出版)ほか。
「東京に近い埼玉県の、とあるカフェの中にあるペレカスブックで、挿絵や絵本を作りながら本屋を営んでいます。生まれ故郷の式根島と、草加せんべいの町あたりを行き来しながら、思いつきで巻き起こるさまざまなことを書いてゆきます」
http://www.pelekasbook.com
Twitter:@pelekasbook


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