『金沢 古民家カフェ日和』刊行記念!旧別荘地の洋館カフェ「古鶴堂」全文公開
この夏、川口葉子さんの人気シリーズ「古民家カフェ日和」の第3弾、『金沢 古民家カフェ日和』(7月30日刊)が発売になりました。
この刊行を記念して、全3回のnote連載を行います。
連載最終回となる本記事では、金沢から少し足を延ばして訊ねたい、旧別荘地の洋館カフェ「古鶴堂」の本文を全文公開いたします。
なかなか遠出しづらい状況ですが、古民家カフェの物語を通して、つかの間の時間旅行をお楽しみいただけたら幸いです。
古鶴堂
夏の間だけ華やいだ
旧別荘地の洋館に眠る物語
〈白山市〉
「古鶴堂」はひと月に数日だけ開かれる自家焙煎珈琲と古道具のお店。雨だれのような営業スケジュールなのは、各地で開かれる古物市にも出店するためだ。
歳月を経て味わいが生まれたものを愛する武田哲さん、武田つるこさん夫妻は、竹藪の中から発見した古い別荘を自分たちの手で改修し、二〇一五年秋に古鶴堂を始めた。
メニューはスペシャルティコーヒー二種類と自家製シロップのドリンク二種類だけ。スイーツは「おいしくて素敵なお店はたくさんあるので、持ち込み自由。お皿やフォークはお貸しします」という、まことにのんびりしたスタイルだ。
古く美しいものと、がらくたにしか見えないものが交じった佇まいはあまりにも魅力的で、店内で過ごしている間、私はずっとふわふわした多幸感に包まれていた。旅を終え、古鶴堂で撮らせてもらった写真を確認すると、感じていた美しさと写真の間にはずいぶんな落差がある。ひとめ惚れしたお店は、だいたいそうなってしまう。
けれども古鶴堂で聞かせてもらった奇跡のような物語を思い出せば、そんな悲しみは一瞬で忘れられる。個人の別荘だったこの建物には、トーストにバターがたっぷりしみ込むように、遠い夏の幸福な記憶がしみ込んでいるのだ。
JR小舞子駅の周辺には、明治時代から昭和半ばくらいまで、小舞子海岸で夏を楽しむ人々の別荘があり、古鶴堂の建物もその一軒だった。
「昔の小舞子駅は夏の間だけ汽車が停まる臨時駅だったそうです」と、つるこさんは気さくな口調で言う。
武田さん夫妻は年老いた愛犬と最後の日々を過ごすため、二十年ほど前に小舞子に引っ越してきた。土地探しの条件は海が近いこと、白山連峰が見えること。小舞子は条件にぴったりの土地だった。
洋館を発見したのは本当にたまたま。当時、保護犬レスキューのボランティアをおこなっていたつるこさんは、預かり犬と散歩する途中で、竹藪から煉瓦(れんが)の煙突が頭を出していることに気がついたのだ。
それは何十年も放置されたまま廃屋と化した、小さな洋館だった。近隣の住人たちに訊ねても廃屋の存在すら知らないという。夫妻は隣に立つお寺を介して所有者を探しあて、九十歳の女性にたどりついた。
「別荘は、そのおばあちゃんのお父さまが建てたものでした。女性は若い頃にピアノの先生をしていて、フランスからピアノを取り寄せ、戦時中もここで弾いていたそうですよ。部屋の天井を漆喰(しっくい)で丸くアールにして、音が響く造りになっているんです。周りの住民の方々は、夏の間、ピアノの音を楽しんで聴いていたそうです」
フランス製ならショパンが愛したプレイエルのピアノだろうか。家族の裕福な暮らしぶりが窺える。浮世離れしたお嬢さまのような、上品な佇まいのおばあちゃんでした、とつるこさん。
無事に建物を借りることができた武田さん夫妻は、楽しみながら廃屋の改修に取りかかった。哲さんはもともと古道具店やカフェをめぐって旅をするのが好きで、いつか自分でお店を持ちたいと考えていた。
「この建物は自由にリメイクしていいと言われ、漆喰などを塗り放題なのが楽しくて、いつまでも終わらせたくなかった(笑)」
一九六〇年代半ばに増築された部屋のほうが、戦前の建屋よりも傷みが激しかったそうだ。
「戦前の建物はモノが良くて、しっかりつくられているんです。全国から腕利きの職人さんを集めて、床を張ってもらったと聞きました」
準備に四年間かけて古鶴堂がオープン。家主の女性は何度か家族で来店して、コーヒーを前に、この場所で過ごした遠い夏の思い出を語ってくれたそうだ。
いまは工場になっている一帯にかつては松林がひろがり、その先に海が見え、夕陽が沈んでいくのを眺められたこと。夜になると汽車の光が真っ暗な松林を切り裂くようにサーッと通りすぎていく。それを姉と二段ベッドから眺めるのが大好きだったこと。この土地には父親が植えた榎(えのき)の木がたくさん育って名物になり、当時は「榎が丘」という愛称で郵便物が届いたこと。
「全国からご親戚が集まり、おばあちゃんといっしょに当店に来てくださったこともあります。おばあちゃんが昔のことを思い出しながら泣いている姿を見て、私たちも胸が熱くなりました」
貝殻に耳をあてると海の響きが聞こえるように、古鶴堂でコーヒーを飲んで目を閉じると、半世紀前に別荘で日々を過ごした人々の、そして自分自身の幼年時代の、きらめく夏の波打ち際が見えてくる。
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(記事作成:担当編集・大友)