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音楽版SNS「Chooning」で感じた音楽の居所 ~誰も何もしないコラム3 skitkr

 ぐちゃぐちゃになった雪道に「つるはし」で水の通路を開通し、喜んだ数日後に怒涛の雪、雪。

雨で溶けた雪はまた固まり、自分の行動に意味がないとわかり絶望している数日。
つるはしというワードなんて「カエルの為に鐘は鳴る」くらいでしか使わない人生でしたが、、、、


 「落ち着いた」「もう誰もいない」と最近clubhouseに対する言葉を聞きますが、僕はまだ時間があれば小室哲哉さんの話や、ジャニーズに対して熱弁するルームで楽しんだり、少ない所に入って会話したりしています。

 そんななか、入ったルームのタイトルにあった言葉

「Chooning」

 Spotifyで自分が聴いた曲を、コメントと共にあげれる音楽版SNS。

音楽のみに特価したシンプルな使い方は、「音楽を聴く」という重要性や、すぐになんでも聴ける現代、音楽の居所を自分の中で確認できたのでそれを書こうと思います。


 Chooningでの画像はこんな感じです。

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Spotifyと連動されているので、自分が直近で聴いた曲の中からコメントすることが出来ます。(この画面に行くと、コメントを読むと同時に楽曲が流れます)

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de la chick 広報担当なので、皆さんに知ってもらうため。

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Chooningを使っているユーザーさんのブログに、使い方や期待することが綴られていてます。


使った感想

 そもそもの間口が「音楽」なので、利用しているユーザーが限定されている点、居心地の悪さを感じることは全くなく、今年からいろんな音楽を聴いてみようと思っている僕には好都合のアプリです。
UIも見やすく、すぐ曲が聴けるのは「検索していく楽しみ」をあたえてくれます。
 
 Spotify側、または楽曲の時間の問題だと思いますが、
・再生されない曲がある
・聴かせたいタイミングでかけれない
特に思い入れがある楽曲は、自分好みの「フック」があると思います。
ここが出来れば個人的には大満足です。


 TwitterやInstagramなど、SNSのメインストリームが存在するなか、この音楽のみに特化したChooningが「他のSNSとの使い分け」をどうされていくのか。

 仕事、授業、家事の合間のひと時、24時間の中で「現代人はスマホを見過ぎている」と言われますが、限られた時間の中で様々なアプリを利用すると、ひとつのアプリを利用する時間は僅かだと思います。Chooningユーザーも例外ではなく、数多抱える状況でいかに音楽の素晴らしさを「再確認」できるか。。。。


音楽の居所

 音楽の接し方は十人十色で、だからこそ振れ幅を知るたびに魅力を感じるものです。

Chooningアプリで音楽に向き合うという「自分が聴いた感触を再確認、または再構築する」には、音楽と自分の関係性がとても重要です。

音楽を手にする方法が今と昔では異なり、サブスクリプションやyoutubeが「最初から身近にある」方と、フィジカルを購入やレンタルで聴く方では、音楽そのものにある価値とは別にある「労力とおかね」という「音楽に支払った価値」が後者にはある(あった)ことも事実です。

僕も昔は、お小遣いをもらい、音楽雑誌を読み、定期的にCDショップへ行って新作情報のPOPに心躍らせ、待ちに待った発売日には授業中からワクワクして、いそいで買いに行ってました。

今ではSpotify三昧で、Twitterで知ったアーティストはすぐ検索し、楽曲を聴くようにしています。
 おそらくこの行為が「音楽の消費」と言われるものかもしれませんが、
・いつでも聴ける
・だれでも作れる
・すぐアップできる
 
 音楽制作の敷居が低くなったことで、たくさんのアーティストが誕生し、その楽曲をサブスクですぐ聴けるというのは、むしろ「音楽を聴く」ということだけで話せばとてもいい世界だと思います。

圧倒的な曲数がある中で心に残るものは「作品と情景がひとつになって記憶される」という個人の心に寄り添う楽曲だと思うので、近年言われていた「未来に残る曲はない」より「未来に残る曲は、表面化されない個人の中で一生奏でられている」というアーティストにとっては難しい現実をかってに感じています。

 戻りますが、音楽と自分の関係性を考えたとき、例えば楽しみにしていたCDを買って初めて聞いたときに感じた崇高さや貫禄が、サブスクを利用してからなくなってしまった気がします。

単純に作品によるものか、多感だった時期だからかはわかりません。
それこそ、沢山の情報量を日常的に摂取しているのが要因かもしれませんが、個人的には
「音楽を聴く前のワンクッション(労力とおかね)が作品に対する評価を真剣にさせてくれた」かもしれないと思っています。

これは僕個人の音楽の居所ですが、そこを踏まえたうえでサブスク等「最初から身近にある」方達は、楽曲が今の自分と重なり親近感を感じたり、悲しい時に寄り添ってくれたりと「音楽が最も近い場所に居てくれる」と感じて、正直うらやましい思いです。
音楽を意識するようになった時に、スマホで調べてすぐ楽曲が聴けるということは、ライフスタイルの一部になっているし「自分にあった楽曲がすぐ手に入る」というのは、それだけ「曲と共に成長できる楽しみ」が沢山あることだと思います。

音楽が身近になったことで威厳や風格の角が取れ、そっと優しく手を取ってくれるようになったことは、SNSがもたらした生きにくい現代にあった形態へと自然にシフトしていったかもしれません。

そして個人とアーティストがお互いに真剣に向き合う場所というのはライブやフェスなど「支払った価値を人生の大切な瞬間にできる空間」なので、サブスクで大量の楽曲を聴けるようになった今、未曽有の事態から立ち直った未来には、今以上にアーティストの前で聴くという行為が素晴らしいものになっていくのではと個人的に感じています。


 最近聴いた中でグっと来た崎山蒼志




歌詞にある哲学的な思考が、あどけない中学生から湧き上がってくることに衝撃を受けてます。

 メロディの起伏を制限して楽曲を構築していくことをさらっとやり遂げているのは、彼独特の震える声質(これがたまらない)が関係しているかわかりませんが、おそるべし才能だと思います。

 「日村がゆく」を観てみんなが
「とんでもない人が出てきた」と思ったはず



iPadのGarageBandで制作している姿は、現代のどこにでもいそうな高校生ミュージシャンでしたが、4歳から始めたギターと経験、そして天賦の才といいたい直感力を武器に、無限の可能性を秘めたこれからの道のりを目撃できそうでワクワクしています。 


de la chick での新曲もちょくちょくあげます。
よろしくお願いします。


skitkr


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