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アンノウン・デスティニィ 第29話「ラストファイト(4)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第29話:ラストファイト(4)

【2055年5月15日、鏡の世界、つくば市・アンノウン・ベイビー学園】
 ノゾミは廊下を跳ねるように歩む。アスカはその背を追う。2階の教室も使われている形跡がない。
 手をつなぎたかった。4歳のノゾミにはしぜんとできたことが、女子高生のノゾミにはためらう。18歳のノゾミの人生のわずか数時間しか知らない。遺伝子の共有だけでは母娘にはなれない。あたしだって、と唇をかむ。産みの母だと名乗る女性が現れても、いまさら母娘になれっこない。これは報いなのだと思った。安易に卵子を提供した愚かさへの報いなのだと。
 A棟へ続く光の回廊を渡る。バンクラボの回廊で犯人が光に消えた場面がフラッシュバックする。受精卵を奪還できていたら。あたしの子宮で育てていたら。後悔が光にのまれそうになり、アスカは走ってノゾミの手をとる。ノゾミは前を見つめたまま口角をきゅっとあげて握り返す。
 
 A棟の2階と3階はフロア全体が体育館だった。
 扉を開いた瞬間、アスカは反射的にリボルバーを抜いた。
 ライフル、ショットガン、マシンガンさまざまな銃口が狙っていた。アスカはノゾミを背に隠し、戦闘体勢に入る。車いすからライフルを構えている生徒もいる。生徒による武装蜂起か。
 ノゾミが手を挙げると、銃がいっせいに降ろされた。
 体育館の中央に、後ろ手に拘束された白衣の人物たちが集められていた。 教師だろう。前列に長塚大臣と森山たか子がいた。森山は14年の歳月が口もとや目もとにはっきりと現れている。一方の長塚は、両頬のたるみもなく20年前よりも明らかに若返り鼻筋も高い。二人のちぐはぐさにアスカは首をかしげる。
 
「こいつらに、こんな危ないことをさせたのは、どこのどいつだ」
 反対側の扉が開き瑛士の怒鳴り声が天井にこだました。
 瑛士は男子を背負い、コウモリリュックの女子や片腕のない男子ら7名の生徒を鏑木とアラタが引率し、没収したライフルや拳銃などをかついでキョウカが入ってきた。紺野は外で拘束した黒龍会の構成員たちを見張っているようだ。
「ごめん、タケル」とリュックの女子が車いすの青年に謝る。
「体にハンディもあるし、プロにはとうていかなわない。結果的に彼らを連れてきてくれた。任務完了だよ」
「よくわかってんじゃねえか。早いとこ拘束者を解放しろ」
 リボルバーを腰にねじこみ、両手をジーンズのポケットに入れて瑛士が車いすに近寄る。数人が銃口を向ける。瑛士はそれを歯牙にもかけない。
「到着をお待ちしてましたよ」
 タケルと呼ばれた青年が瑛士と対峙する。
「てめえら、いったい何がしたい」
「そうだ、私にこんなことをしてどうするつもりだ」
 長塚大臣も声を荒げる。
「お宅は誰だ?」瑛士はうろんそうに問う。
「長塚厚生労働大臣だ。私を知らないのか」
「長塚繁雄は頬も腹もたるみまくった老人だろ」
「長塚繁雄は父だ。私は長塚恭介。父は8年前に引退して、私が父の地盤を継いだ」銃に怯えながら早口でまくしたてる。
「世襲四世議員様よ。毎年、季節詣りみたいに視察にお見えになるの」
 ノゾミが丁寧にばかにする。
「この大臣様を人質にして何がしたい。警察に通報すりゃ、こんな茶番あっというまに肩がついちまうぜ」
「かまいませんよ。通報は無理だと思いますけどね」タケルが応じる。
「どういうことだ」
「この山周辺に電波妨害を発動させてるからよ」ノゾミがこともなげにいう。
「そんなことが……」アラタが驚愕し、あっと気づく。「ノゾミさん、あなたは日向透の遺伝子を継いでいるのでしたね。答えが視える透視能力があれば難しくない」
「そういうこと」
「通報されてもいい、とはどういうことだ」瑛士が口をはさむ。
「目的は真実を外部に知ってもらうことだから」 
 ノゾミの言葉をタケルが継ぐ。
「計画ではメディアに生映像を流してもらう予定だった。おまえらが銃撃戦をするから」
「報道陣が逃げちゃったじゃない」とんがった声がどこからか飛ぶ。
「だから」とノゾミがアラタに近づく。「あんたが代わりにカメラを回してよ。そこに持ってるでしょ」
 アラタのバッグを指さし、アスカを振り返る。
「教室を見たよね。B棟は高等部3年生、あたしたち1期生の棟。どうだった?」
「1階と2階に10教室ずつあったけど、使われてる形跡がなかった」
 アスカは教師たちに目をやる。視線を避けるように白衣がうつむく。
「1学年600人の生徒を収容する予定で建設された。各階10教室が3階まである。600人がそろっているのは中等部1年くらい。そこから指数関数的に減っていく。高等部3年は、ここにいる55人で全員よ」
「どういうこと?」アスカが気色ばむ。
「アンノウン・ベイビーは長くても20歳までしか生きられない」と言いながらノゾミが長塚に近づく。
「大臣、知ってんでしょ」ライフルで顎をぐいっと持ちあげる。
「何をだ」長塚は怯えながらも虚勢を張る。
「学者から報告を受けてるはず」
「どうして……それを」
「あたしたちは、遺伝子の異常で欠けたところがある。親もいない。神様も多少は憐れんでくれたのか。優れたところもあるのよ」
「ぼくが官邸のコンピュータをハッキングしました」
 体育館の奥から電動車いすが走ってくる。その音にシンクロするように、
 どさり。
 鈍い音をたてて何かが倒れた。
 白衣がひとり立ちあがる。「保健師です。拘束をほどいて」
 ノゾミがうなずきキョウカが縄を切ると、倒れた生徒に駆け寄る。
「毎日、誰かが斃れていく。それでも法律に従って受精卵は培養され、アンノウン・ベイビーが機械的に生産される。日本の経済を支えるために、働いて税金と社会保険料を納めさせようと作った人造人間が就労する前に斃れちゃうなんてね」
 あははははは。ノゾミの空笑いが高い天井にこだまする。
「あたしたちは同じ子宮器で並んで眠りながら楽しみにしてた。生れることを。世界を見ることを」
「けど、全員に等しくあった宿命が、障害をもって生まれることと、20歳までしか生きられないって。そんなクソみたいなことってある? あたしたちは生きたかった。外の世界を見たかった。愛されたかった。そんなことも望んじゃいけないの? アンノウン・ベイビーは望みのない運命を受け入れろというの?」
 体育館の床に沈黙がしみていく。
「『愛されなかったということは、生きなかったということと同義である』ルー・サロメの名言はぼくたちのためにあるようだ」
 タケルの静かな諦めが、アスカの胸にさざなみを立てる。
「あたしたちの現状を知ってほしい。少子化阻止特別措置法による人工受精を止めたい。あたしたちのような子を誕生させたくない。それだけ」
 この子たちは、すでに深く傷ついている。生れたときから傷ついてきたのだ。勝手に生み出され、過酷な運命だけを押しつけられた。あたしたち大人が20年前に犯したあやまちに向き合うことを求めている。
「走りはじめたものは、流れを止めることができない。だから、法案の成立を阻止しろと」
「そう」
「バカなことをいうな。20年前に成立してるんだぞ」長塚が反論する。
「私ならそれが可能です」アスカが応える。
「何を言っている」
「これを見てください」アスカはストッキングの上から左脚を見せる。砕けたガラスで擦られたような傷が4つある。
「それは何だ」
「越鏡するたびについた傷です。あたしは20年前の鏡の向こうの世界から、越鏡を繰り返してここまで来ました。長塚繁雄大臣に直接お会いし、卵子提供者となりました。その受精卵が盗まれたため、取り返すべくこちらの世界に越鏡してきたのです」
「なんだって」長塚が驚きに目を剥く。
「内務省サイバーセキュリティ局鏡界部の鏑木です。彼らといっしょに14年前の世界から越鏡してまいりました。私の足にも同じ傷があります」
 自身の身分証を提示しながらズボンの裾をまくる。
「大臣」と、森山も声をあげる。
「私も14年前に目撃しました。黒龍会の構成員が突然、園庭に現れるのを。そこにいるアスカさんとキョウカさん、それにノゾミちゃんがみんなをマフィアの手から守ってくれました。あれから私は学園長としてアンノウン・ベイビーたちに向き合うようになった。彼らは障害をもって生まれてくる。生命の冒涜に対する鉄槌だと思いました。だから、あなたのお父様に何度も陳情しました。廃案にしてくれと。思春期を迎えた生徒たちが次つぎに斃れていく現状も、政府に報告してきました。だが、もと弁護士の弁舌と法知識を駆使しても業界団体のロビー活動には勝てなかった」
 森山が唇を噛みしめる。長塚は武器を手にした生徒たちを見わたす。
「おい、さっきみたいに俺に銃をあてろ。カメラ、ちゃんと撮れよ」
 長塚が男子生徒とアラタに指示を出す。
「親父、見てるか。これが親父が百年の大計と豪語して作った法律のなれの果てだ。政界を引退するとき、言ったよな。アンノウン・ベイビーたちをなんとかしてくれと。わかっていたんだろ、プロジェクトの破綻が。親父の志は否定しない。けど、彼らが長くとも20歳までしか生きられないのが現実だとしたら。少子化を阻止して経済を立て直すどころか、この20年で莫大な税金をつぎこんでいる。本末転倒じゃないか。むろん、プロジェクトの恩恵を受けて新規に発展した産業もある。それがあるからこそ、いまさら廃案にできない。法案を成立させちゃいけないんだ。息子が人質にとられる未来は望んでいないだろう」
 長塚大臣の真剣な訴えに気を取られ、扉が開いたことに誰も気づかなかった。
「おまえらが、おまえらが弟を」
 額から血をたらした王龍雲ワン・ロンユンが足を引きずりながら入ってきた。手りゅう弾の安全ピンを口ではずし投げる。だが手錠をした満身創痍の体では投げても、ころころと転がっただけだった。
 アスカがさっと拾い、窓に向かって高く投げる。
 ボン! バキューン!
 鏑木が王龍雲の額を確実に撃ち抜く。
 爆発音と狙撃音が重なった。
「お、お、俺、倒したのに。血も噴きだしてたのに」
 男子生徒のひとりがわなわなと震えていた。
「階段の上から狙ったんだろ。はじめてなら撃った瞬間、銃身があがるんだ。額は血も出やすい。ありがとよ。おまえがアスカを助けてくれた」
 瑛士が肩を抱く。恐怖が全身を貫いたのだろう。うおおおおっと獣のような雄叫びをあげる。勇気の限界がきていたのだ。震えるような泣き声があちこちで湧く。アスカもノゾミを抱きしめる。キョウカも近くにいた子を抱きしめていた。なぜこの子たちは、こんな思いをしなければいけないのか。体育館はしばらく号泣で揺れていた。
 潮が引くように落ち着くのをみはからって瑛士が静かに語りだした。
「20歳まであと2年しかないかもしれない。それでも生きろ。命を粗末にするな。障害があること、早すぎる寿命は変えてやれない。だが、鳥籠はぶっ壊してやるよ。おまえたちが生を楽しめるように」
「私も政治家としてできる限りの手をつくしましょう」長塚がいう。
「あたしが法案の成立を阻止する。そうしたら、あなたたちは生まれないことになるけど、それでもいい?」アスカがたずねる。
「それが、俺たちの望みです」タケルの言葉にみんなが涙でぐちゃぐちゃの顔でうなずく。
「13時31分まで、あと10分か」ノゾミが腕で涙をぬぐう。
「アスカ以外は、もとの時間2041年5月15日に戻ってもらう」
「またカーチェイスのやり直しか」
「黒龍会は片付いてるし、鏡界部とは話がついたんでしょ」
「ああ、そうだった」
「あたしは?」アスカがたずねる。
「アスカは2035年のもとの世界に戻らないと」
「そうね」
「アスカさん、これ」アラタがSDカードの束を差しだす。
「こっちの世界に来てからの隠しカメラでの撮影分です。画像の補正は完了してます。これは今撮ったもの」
「ありがとう、アラタ」
「ありがとう、キョウカ。危険に巻きこんで、ごめん」
「まあた、謝る。あたしたちは分身でしょ」
 泣きほくろの位置だけがちがう同じ顔が笑う。美しい金髪をかきあげる。
「5日間そして20年をいっしょに駆けてくれて、ありがとうございました」
 アスカが瑛士、キョウカ、アラタに深々と頭をさげる。涙があふれてこぼれる。
「それぞれができることをしよう。それが日向透のメッセージだろ」
 瑛士がアスカの肩をたたく。
「鏑木さん、王龍雲を死なせてしまってすみませんでした」
「撃ったのは私ですよ。越鏡については、時のワープも含めてこれから検証していきます」
 瑛士はもう特装四駆のエンジンをかけはじめていた。鏡界部のセダンは紺野がハンドルを握る。
 全員が乗り込んだを認めると、ノゾミがアスカを光庭へとうながす。
 
「コウモリってね、最長でも20年ぐらいしか生きられないって知ってる?」
 ノゾミが芝生をスキップする。
「あたしとおんなじ。だから、ぴったりの相棒でしょ」
 背中の羽を誇らしげにみせる。
 アスカはこらえきれなくなって、ノゾミを抱きしめる。
「ごめんね、ごめん。あたしがいいかげんな気持ちで優性卵プロジェクトに同意したから。あなたに辛い運命を押し付けた。守ってあげられなくて、育ててあげられなくて、ごめん」
「4歳のときに言ってくれたじゃん。学園から連れ出してあげようかって。いっしょに暮さないかって。すっごくうれしかった。でも、それを拒んだのはあたし。あたしが選んだの。迷路、楽しかったね」
 ノゾミがアスカの体を引き離し、後ろ手で小首をかしげる。緑の迷路からのぞいていた4歳のノゾミがオーバーラップする。
「あたしたちの願いをかなえてくれるんでしょ」
 
 5月のまばゆい光へとアスカの背をぐいっと押しだす。
 アスカは振り返ってノゾミを見つめる。あふれる涙で視界がかすむ。
 ノゾミの頬も涙が川となる。
「ノゾミって名はパパがつけてくれた」
「グッバイ、ママ」
「パパとあたしの望みをかなえて」

(to be continued)

第30話に続く。


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