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アンノウン・デスティニィ 第11話「越鏡(2)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第11話:越鏡(2)

【2035年5月10日、鏡の裏】
 ざりっと左足首に鈍い痛みが走りアスカはよろける。
 ――攻撃? どこから?
 末端神経の感覚を研ぎすます。あらかじめはずしていた白衣の第3ボタンから手をいれ、腰にさしたS&Wのリボルバーのグリップを握り、ぱっと振り返る。
 誰もいない。午後の光に明るい空中回廊が静かにあるだけだ。
 アスカはその場にへたりこむ。
 ――ボスとシンちゃんは帰っちゃったのか。失敗したみたい。向こうの世界へは行けなかった。透の……遺言メッセージだったのに。
 じわりとぬるい液体がまなじりからこぼれる。
 ――帰ろう。山際調査事務所に。あのログキャビン事務所に。ボスは「どんなことがあっても、帰って来い」といった。シンちゃんにも謝らなきゃ。透からのメッセージの意味を解読してくれたのに。
 アスカは立ちあがろうとして、足首に傷があることに気づいた。砕けたガラスか何かでこすったような裂傷が幾筋も不規則に走っている。意外に深くぴりぴりする。ストッキングに血がにじんでこびりついていた。透の陰部につけられた無数の傷痕を思い出す。苦いものが喉を逆流する。それを飲みくだし、アスカはのろのろと立ちあがった。
 
 バスを乗り継いで事務所に帰りつくころには、日が暮れかけていた。
 基礎応用科学研究所はつくば駅より南、山際調査事務所は駅から車で10分ほど北上した場所にある。乗り継ぎの待ち時間に駅前で大判焼を買った。できたての熱あつをほおばりながら、駅前のターミナルでバスを待つ。見慣れた光景に微かな違和感がある。何かがひっかかる。シャツを裏返しに着たような肌にしっくりこない感じ。その正体がわからなくて落ち着かなかった。
 「実験林前」でバスを降りた。
 12年前の14歳の夜、点滅する街灯の下、壊れかけのネオンみたいに不規則に消えたり現れたりする山際の背を追いながら歩いた。横に並んで歩きたかったけど、腕一本ぶん離れて歩けといった山際の言葉を守った。その一本ぶんが自分の身を守る距離だと教えてくれた。
 暮れなずむ砂利道を歩きながら、あの夜からここがあたしの帰る場所なのだと思った。山際は親ではない。だが、親以上の存在。アスカにとってのシェルターだ。
 窓からこぼれる明かりがウッドデッキの影を濃くしていた。アスカの長い金髪が残照に妖しく光る。昼に出かけてから2時間ほどしか経っていないのに、長い旅をして戻って来たような懐かしさに溺れそうになる。ワープに失敗しただけで、少し感傷的にすぎる。
 ぱん、と両頬を叩き丸木の階段をリズムをつけてあがる。
「ただいま」元気に明るく扉を開けた。
 ――あれ? また違和感が前頭葉をかすめる。
 山際が目をむいて立ちあがる。
「へへ、失敗しちゃった」とこぼしながら欅の一枚板のテーブルにリュックをおろす。
 いつもは緩みっぱなしの山際の筋肉と背骨がわずかに張る。山際はシンに目配せしテーブルの右角にさりげなく移動する。左手をテーブルにつきながら、右手をテーブルの下に突っこむ。テーブルのあの角の裏には拳銃が隠されている。
「お嬢さん、家をまちがえてないか」
 アスカは耳を疑う。
 ――疑われている、あたしが?
「ボスもシンちゃんも、どうしちゃったの?」
 それには答えず、山際の焦点はアスカを飛び越した背後に向かってうなずいた。と同時だった。
「あたしが鳴海アスカだけど、あんた、誰?」
 右背面から回された腕がアスカの上半身の自由を奪い、左背後から喉もとに果物ナイフが突き立てられた。迂闊だった。奥にキッチンがある。そこに潜んでいたのか。建物に入る際、周囲を確認するのは基本だ。事務所だからと安心して確認を怠った。
 アスカは顎をわずかに動かし、自分をはがいじめにしている女を目の端でとらえる。
 一瞬、息がとまりそうになる。自分と同じ顔があった。
 女はアスカの喉もとを狙うナイフを口にくわえ、空いた手でアスカの腰からリボルバーを抜き取りテーブルの上を滑らす。山際がそれを回収する。女は返す手でアスカの頭頂部をつかみ引っ張る。一連の動作に10秒もかからなかった。
「痛っ、痛い!」アスカは頭ごとのけぞる。
「ウィッグじゃないみたいね」
 変装した潜入者とまちがわれている。そっちこそ偽物じゃない。
「ボス、だまされないで! あたしがアスカ、こっちは偽物よ」
 山際に向かって叫ぶ。
「ふうん」といって、女はアスカを捕えていた腕をとく。
 喉もとにナイフを突きたてたまま正面にまわりこみ、アスカの顔をまじまじと見つめる。アスカも睨み返す。反撃しようにも、リボルバーは奪われ、きっちりと腕一本ぶん距離をとられている。
 鏡で見るのと同じ顔が目の前にあった。
 腰までの長く美しいストレートロングの金髪。つりあがりぎみの大きな目。明るい鳶色の瞳は強い意思を宿して光る。高い鼻梁。厚みのない口もと。右目の下にある色素の薄い泣きほくろ。鏡をのぞいているようだ。
「そういうことね」
 目の前の女がすべてを悟ったようにうなずくと、ナイフをテーブルに置く。山際がすばやく片づける。
「はじめまして、あたしの分身さん。会えてうれしいわ」
 女は握手を求めるようにアスカに右手をさしだす。
「分身?」アスカは身構えたままだ。
「あんたはね、鏡の裏の世界から越鏡して来た、もうひとりのあたしよ」
 座ったら、とうながす。
 大きな欅のテーブルは、食堂にもなれば、シンの作業台にもなる。アスカの読書机にもなる。山際調査事務所の三人がてきとうに集まり好きなように過ごすお気に入りの場所。リュックは山際が押さえている。反撃をあきらめアスカはふだん使っている背もたれつきの椅子に座る。女はスツールに腰かけテーブルに肘をついて髪をかきあげる。
「そのようすじゃ、なんにもわかってないみたいね」
 大きくため息をつく。同じ顔にため息つかれるのは、あまりいい気分じゃない。
「ここはあんたのいた世界のパラレルワールド。わかりやすく言えば、鏡の裏の世界。その証拠に、あんたとあたしはそっくりだけど、よく見て。なんかおかしくない?」
 同じ顔がそこにある。あまりにそっくりすぎて気持ち悪くなる。鏡に映った自分が勝手にしゃべっているみたいだ。
「これで、どう?」
 女はスマホをミラーにしてアスカに手渡す。
「あっ」
「気づいた?」
「ほくろが」
「そう。あたしのほくろは左目の下にあるけど、あんたは右目の下でしょ。鏡に映したのといっしょ。左右対称」
 アスカは事務所を見回す。アスカのいた世界では、キッチンは入り口の右奥で、欅のテーブルのある事務所スペースは左側だ。ずっとあった違和感の正体はこれだったのか。
「こっちのアスカと同じなら、砂糖もミルクもいらねえな」
 山際がふたりの前に湯気のあがったマグカップをふたつ置く。
 アスカは、ありがとうございます、といって山際を見あげる。外見はボスだけど、あたしのボスじゃないんだ。
「なあ、どっちもアスカってふべんだろ」山際が問題を指摘する。
「それもそうね」鏡の世界のアスカはちょっと考え、「じゃ、あたしのことキョウカって呼んで」という。
「いいの?」
 名前を変更したばかりのキョウカがアスカをまじまじと見る。
「捨てられたときにメモ書きされてた名前に執着なんか、ある?」
 それもそうだ。
「ボスたちの名前も区別しといたほうがよくない?」
 キョウカが山際にいう。
「必要か?」
「アスカが、アスカのボスの話をするとき、ややこしくなるじゃん」
「それもそうだ。じゃあ、俺のことは瑛士と呼んでくれ」
 いちど名前で呼ばれたかったんだ、と山際あらため瑛士がいう。
「シンはどうする」山際が隣のシンに顔を向ける。
「本名のアラタに戻せばいいんじゃない」キョウカの提案に、「そうだね」とアラタが同意する。
「オッケー、決まりね」キョウカが晴れ晴れと笑う。
 キョウカはあたしよりずっとリーダーシップがある。

(to be continued)

第12話に続く。

 



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