小説『虹の振り子』<全文>
【本作品は、2021年8月より連載を続け、先日、完成した『虹の振り子』を#note創作大賞に応募するため、加筆修正したものです。】
* * * * *
<登場人物>
翔子:主人公
芳賀啓志:翔子の父
芳賀朋子:翔子の母
芳賀登美子:啓志の母、翔子の祖母
芳賀仁志:啓志の父、翔子の祖父
ジャン:翔子の夫(イギリス人)
鳥越玲人:翔子の従兄
鳥越貴美子:玲人の母、啓志の姉
鳥越瑛人:玲人の息子
鳥越彬人:玲人の兄
第1章:翔子
まだ、機内は暗い。
だが、窓の縁からにじむ光が夜明けを告げていた。
翔子は隣のジャンが一定のリズムでひそやかな寝息を立てていることを確認して、そっと自分のリクライニングをもどした。
周囲を気にかけながら、ほんの数センチだけ窓のシェードをあげる。
たちまち淡い光がきっちりと窓枠の幅で躍りだす。翔子は上半身だけ斜めに窓の方に向けて、光を遮った。
ふふ、いたずらをしている子どもの気分ね。
ためらいがちにシェードを半分まで持ちあげると、眼下に確かな厚みで波打つ雲の海原が見えてきた。闇に慣れた目には、まぶしい白さだ。生まれたばかりの光に照らされ、雲は波頭よりパウダーをはたいたように、ほんのりと薄く淡く染まりはじめている。
この光景を目にするといつも、「春はあけぼのやうやう白くなりゆく」という『枕草子』の一節を口ずさまずにいられない。季節はすでに春をとうに通り過ぎ、初夏を迎えようとしていても。雲の上から眺めているのだとしても。そうして、みずからの中に日本人であることのよろこびがまだ色褪せずにあることに、翔子は少し安心するのだ。
ジャンと結婚してイギリスに住むようになって、かれこれ二十年は過ぎた。日本で成長した歳月よりも、イギリスで過ごした時間のほうが長くなっている。今では日本語のほうが考えなければ咄嗟には出てこない言葉も多く、帰国すると数日は、日本語ばかり使うことに疲れるくらいだ。
「英語で寝ごとをいうようになると、本物だって」
学生時代、英文科の友人たちとランチを食べながら、そんな話題で盛りあがった。ウォークマンにはいつもクイーンやケイト・ブッシュのカセットが入っていた。リスニング力はどんどんついていったけれど、英語を話す機会には飢えていた。
それが今では、日本語に不自由を感じるなんて。
あのころの私に言ってやりたいくらいだわ。
幼いころ、家族旅行で出かけた高千穂ではじめて雲海を見た。
雲が自分の足よりも下にあることが理解できず、両親に何度も「どうして」「なぜ」と、しつこいくらい尋ねた。
「くもは、おそらにあるでしょ!」
回らない舌でそう言い張って、真上の空を指さしてゆずらなかったらしい。
そんな幼い娘に、学究肌の父は、子どもだからと適当にごまかすことはせず、高千穂の峰の高さからはじまって、雲のできるしくみまでを学生に講義するかのごとく語って聞かせた。専門は天文ではなく経済学だったが、生来の好奇心のなせるわざか、様々な分野のことによく精通していた。
「いいかい、翔子。ここ高千穂はね、標高が。ああ、標高というのは、海からの高さのことなんだが…」
滔々と語る父の話の半分も、翔子にはわからなかったが、それで十分だった。
「いいかい、翔子」
父の話は、いつも、そうはじまる。
「いいかい、翔子」は、いつ途切れるともしれない話のはじまる合図だった。
母はそっと立って、台所にむかいケトルで湯を沸かす。しばらくすると、ティーポットにカップと、まだしゅーしゅーと湯気をもらしているケトル、それと砂時計を盆にのせて戻ってくる。
母が盆を置くと、父はポットの蓋を取り、その口にケトルの先をそっと添わせたかと思うと、斜め右上にすっと引き上げる。その動作に合わせて、ちょうどケトルの注ぎ口幅の半透明の湯の糸がするすると斜めに伸びていく。
手品みたい。パパはまほうが使えるんだ。
幼いころ、翔子はずっとそう信じていた。
父が紅茶を注ぐよどみのない一連の所作は、子ども心にもため息がでるほど美しかった。翔子はいつも恍惚とした表情でながめた。ポットが湯で満たされると、父は砂時計をひっくり返す。
「これはね、ジャンピングといって、こうすると紅茶の葉がポットの中で踊って美味しくなるんだよ」
「はっぱが、おどるの?」
踊りといえば、幼稚園で習ったお遊戯か、当時、夢中になってテレビにかじりついて見ていた『赤い靴』のバレエぐらいしか、翔子には思い浮かばなかった。
葉っぱはどんなふうに踊るんだろう。
父に負けず劣らず好奇心の旺盛な翔子は、そう思うと、もう手がポットへと伸びていたが、蓋にたどりつく寸前で大きな手にからめとられた。
「蓋を開けてはいけないよ。茶葉が踊りをやめてしまうからね」
そんな父と娘のやりとりをかたわらで微笑みながら見つめていた母は、翌日、ガラスのティーポットを買い求めてきた。季節はもう秋だったから、かなり探し回ったらしい。
「次からはこれを使いましょうね」
なぜ次はガラスのポットなのか、翔子には不思議だった。
だが、父は季節はずれのガラスポットが盆にのっているのをみて、
「ああ」とうなずいた。
「では、紅茶のダンスを披露しようか」
ガラスポットの底に散らばっていた葉は、ケトルの先から少し湯を注がれると、たちまち目覚め、そわそわと動き出した。ケトルを斜め上に引きあげるにつれ、湯がポットの中で激しく回転する。すると、はじめは底でたむろしていた茶葉たちが、いっせいに思い思いの方向に跳ねあがったかと思うと、湯の大きな波に翻弄され、互いに近づいたり離れたり、くるくるとスピンしながら戯れる。やがて、頑なに閉じていた葉がふわりと開きはじめる。さなぎから羽化したての蝶が、縮こまっていた羽をゆっくりと広げるようだった。葉のダンスの軌跡をなぞるように、湯が紅い筋を引きながら染まってゆく。
砂時計の砂がすっかり落ちてしまうころには、紅茶の香りが漂いはじめる。ひそかに鼻から喉までを満たす香り。それが、どんな香りなのか、表現すべき言葉を幼い翔子はまだ持ち合わせていなかった。だから、長らく翔子にとって、これこそが紅茶の香りだった。
父の紅茶はいつもアールグレイだった。
そして、この独特の香りの正体はベルガモットだと教えてくれたのも父だった。
「ブレックファストだよ」
ジャンに耳もとでささやかれて、我に返った。
どうやらいつのまにか再び眠りに落ちていたらしい。朝焼けの雲海を眺めながら、遠い日の追憶にふけっていたのだが、どこからが夢だったのだろうか。
ジャンと出会ったのは、ロンドンに留学してまもないころだ。
その朝は寝坊してあわてていた。キャンパス前の信号がウォーキングに変わるのを、せわしなく足踏みしながら待っていた。信号が変わるやいなや走り出したのはいいが、おろしたてのヒールがいけなかったのか、向こうから歩いてくる人の群れをうまくかわし切れず、肩がぶつかり、勢い余って小脇に抱えていたテキストをばらまいた。
ああ、もう最悪。
日本語でつぶやきながら、ちらばったテキストやレポートを拾い集めていると、目の前にさっと数枚のペーパーが差しだされた。はっと顔をあげると、典型的なアングロサクソンのブロンドの青年が、風で飛ばされたレポートの何枚かを集めてくれていた。「ジャパニーズ?」と訊かれたので「イエス」とこたえると、「グッドラック」といってにっこり笑って反対側に去って行った。長いストライドで足早に去る後ろ姿は、かなりの長身だった。一陣の風のようなできごとに、礼すら言えてなかったことに翔子はあとになって気づいた。
「運命だと、思ったね」
出会った日の話をするたびに、ジャンはそう言う。
あの日、なんとか講義にまにあった翔子は、キャンパス内のカフェでランチをとりながら、テーブルをひとつ占領して次の講義の下調べをしていた。日本の大学とちがって、授業はシビアだ。それでなくとも言葉の壁がある。食事にはほとんど手をつけず、辞書を片手にテニスンについての論文と格闘していると、ランチのトレーを手にした男性が、テーブルの前で足をとめるけはいを感じた。
「座ってもいいか」と訊くので、「どうぞ」といいながら、乱雑に広げていたテキストやノートを手早く片付け、顔をあげておどろいた。目の前には、朝の横断歩道の青年がにこにこしながら立っていたのだ。
通りの向かいで信号が変わるのを待っていたジャンによると、翔子はかなり目立っていたらしい。
肩の下で切りそろえられたワンレングスの黒髪に、東洋系のエキゾチックな面立ちの少女が、歩道の最前列から、今にも駆けだしそうなようすで足踏みをしている。
「初めはね、ガールに見えたんだよ」
翔子は平均的な日本人女性の身長だったが、欧米、それも特に北欧系の人の横に並ぶと、彼らの肩にも届かなかった。横断歩道前にたまっている学生の塊の中で、そこだけが谷のようにすとんと落ち込んでいた。そして、その低い位置にある頭がせわしなく動いているのが、気になったらしい。遠目では、背格好から十歳かせいぜい十二歳くらいの少女にしか見えなかった。
だから、驚いたのだ。風に舞ったレポートを集めて手渡したとき、顔をあげた翔子の長いまつ毛の下の凛とした黒い瞳にやどる色気に。
「実にチャーミングだったよ」
美術史を専攻しているジャンは、日本美術に興味があった。
菱川師宣の『見返り美人図』をはじめて目にしたときは、全身に稲妻が走った。カートゥーンのように平面的で、背景ひとつ描かれていない絵画なのに、その後ろ姿には立ち昇る体温が感じられ、振り向いた顔には点のような目と口が添え物のように描かれているだけなのに、妙になまめかしかった。構築的な西洋絵画を見慣れた目には、写実の根底を覆される強烈なブローだった。
横断歩道の真ん中で、ジャンはあのときと同じ衝撃を受けた。
日本美術に傾倒するにつれ、日本人に惹かれる傾向はあったけれど。それまでに出会った日本人は皆、どこに意志があるのか判然としないもどかしさがあった。
だが、顔をあげた翔子の大きな黒目がちの瞳には、静かで強い意志の光があやしく輝いていた。化粧の効果によるものではない。アイメイクをきちんとする欧米人の化粧に比べると、翔子はノーメイクに近い印象だった。いや、だからなのかもしれない。まっすぐに向けられた瞳の虹彩はしっとりとした輝きを湛えていた。
濡れたようなつややかな黒を「烏羽玉」というのだと、ジャンは翔子と暮らすようになってから知った。翔子の瞳のことだ。
そこが横断歩道の真ん中でなければ、そして、自分も急いでいなければ、まちがいなくカフェに誘っただろう。クラクションに急かされ、その場を走り去らなければならなかったことを、どれほど悔いたことか。
だから。カフェテリアで翔子を見つけたとき、生まれてはじめて心から神に感謝した。運命の出逢いというものがあるのだとしたら、今がまさにそれだと確信して、トレーを持つ手が震えた。女の子に声をかけるのに、こんなに緊張し、うわずったことはない。
ジャンはイギリス人にしてはシャイなほうだと思う。それでも、こういうことを衒いも臆面もなく、事あるごとに語るなんて、日本人男性には考えられないことだ。
父と母は仲が良い夫婦だ。父はよく滔々と語っていた。でも、それは天候のことであったり、庭の草木のことであったり、政治や経済など世の中の動きや学問についてであった。愛の言葉はおろか、母への想いすら聞いたこともない。母はいつも静かに微笑んでかたわらにあった。夫婦とはそのようなものだと思っていた。
だから、ホームパーティーの席でほろ酔い加減のジャンが話しだすたびに、どんな顔をして横にいればいいのかわからず、居たたまれなくなってそっと逃げ出すこともしばしばだった。
この国には勉強をしに来たのだからと。はじめは頑なにあらがっていた翔子だったが、ひとりで異国の地にいる寂しさがあったことは否めない。
その冬一番の冷え込みになった朝、部屋のヒーターが故障していることに気づいた。イギリスの冬は寒い。セーターを重ね着しマフラーを巻いて布団にくるまったが、それでも、古いアパートの窓のすき間から容赦なく侵入してくる冷気に、体はガタガタと震えた。翔子の育った京都も、冬になると雪が積もる日があったが、そうそう氷点下にはならない。寒さの質がちがった。
棘のような冷気がしんしんと細胞を蝕んでいく気がした。体が凍えるにつれ、寂寥が胸をつらぬく。助けを求めに出かければよいとわかっていても、動く気力もわかなかった。
ベッドの上で膝を抱え布団を頭からかぶって、昔読んだ絵本の『雪の女王』を思い出していた。女王の氷の宮殿のページをうっとりと何時間も眺めていたこともあった。絵本の中の遠い国の絵空事だからこそ美しいと思えたのだ。そういえば、フィッツジェラルドの短編『氷の宮殿』で、主人公のサリー・キャロルは氷の迷宮で迷子になっていたけれど、きっと今の私よりも、もっと寒くて心細かったでしょうね。助け出されたとき、サリーは気が狂ったように「家に帰る」と叫んで、凍てつく北部から生まれ育った太陽の降りそそぐ南部ジョージアへと帰って行ったのだっけ。ああ、その気持ちがよくわかる。
そう思った、ちょうどそのとき、電話のベルが鳴った。
当時はまだ携帯電話がなかったから、ダイヤル式の電話はベッドと反対側の壁のライティングデスクの上だ。今は地球の果てよりも遠く思えた。何度かけたたましいコールを繰り返して切れた。ほっとしたのもつかのま、また、無音の部屋にコール音が鳴きわめきだし、いっこうに静まらない。三分ほど鳴り続け、ようやく止まった。だが、またすぐに鳴りだす。しだいにインターバルの間隔が短くなっていく。
日本で何かあったのだろうか。残してきた両親のことが気になった。次に鳴ったら出よう、そう思っていたのに、ぴたりと鳴らなくなった。
無音は時間まで止めてしまうのだろうか。いっこうに時計の針が進まないように思えた。時刻は朝の七時半を少し過ぎたところだ。日本との時差は九時間だから、日本は午後四時半過ぎ。母なら家にいるだろう。
ベッドの下をさぐって、スリッパを探した。
部屋の中でも土足というのが、日本人として、どうにもなじめない。だから、部屋を決めたときに、まず取りかかったのは床を水拭きしてラグを敷くことだった。入口に下履き用のスペースを作ったけれど、ジャンでも時どきそこで靴を脱ぐのを忘れるから、誰かが訪ねてくると、翔子はいつもドア前でスリッパに履き替えるようお願いしなければならない。たいていは、「オオ、ジャパニーズ・スタイル!」と喜んでくれるから、いいけれど。
スリッパに素足をのせると、一瞬、その冷たさに身震いした。
その時だった。
ドン、ドン、ドドドドン。ガチャガチャガチャ。
アパートの扉が壊れるんじゃないかと思うほど激しく叩かれ、ドアノブがもげるほどせわしなく回される。
強盗か。翔子は寒さだけでなく恐怖に震え、身構えた。体が足の先から硬直して動かない。
「ショーコ! ショーコ!」ドンドン、ガチャガチャガチャ。
ジャンだ。気づいた瞬間、糸が切れた。
両のまなじりが決壊し、涙が幾重にも筋となり、滂沱が止まらない。
ガチャリ。
ジャンが靴のまま駆け寄り、ベッドに腰かけたまま、声を立てずに涙を流す翔子をきつく抱きしめた。ジャンの体温が冷え切った翔子を包む。
それが決定打になった。
ジャンに強く勧められて、というよりも半ば強引に押し切られて、ジャンの暮らすシェアハウスに引っ越した。あとから考えれば、ひとりに耐えられなくなっていたのだ。
もちろん正式に結婚したし、日本から両親を招いてイギリスの小さな教会で式も挙げた。だが、翔子の意識のなかでは、今もまだ、この同棲がずっと続いているような感覚だ。
自分でも気づかないほど硬く凍りついていた心を溶かしたのは、ジャンだった。
「だから、言ったじゃないか。運命だったんだって」
ジャンは卒業すると教授の紹介で美術館にアシスタントキュレーターの職を得た。その翌年に学位卒業した翔子は、小さな古書店に勤めた。ジャンと暮らしていたアパートはシティの近くだったから、金融機関に就職すれば、もっと良い給料が得られただろう。だが、古書店は翔子にとって憧れであり、イギリス留学のきっかけでもあった。
学者である父の書斎は本であふれていた。
窓のある北以外の三方の壁はすべて天井までの書棚になっていた。幼い翔子に読めるものはほとんどなかったけれど、それでも、本に埋め尽くされた父の書斎が大好きだった。
北向きの日当たりの悪い部屋を書斎にしたのは、書物のためだ。昼でもうす暗い書斎は、それだけで秘密めいていた。
――おばけがでても、へっちゃらよ。
――ゴブリンと目があったら、にらめっこするの。
ほんきで何か不思議が起こらないだろうかと小さな胸をふくらませていた。
絵本や子ども向けの本を持って父の書斎にもぐりこむ。そうして、そこから物語の世界へと飛び立つのだった。
「今日はパパがお仕事をしているから、本のお部屋に入ってはいけませんよ」
母から注意されると、翔子の胸はどきん、と跳ねあがる。
「はぁい」と、ことさら大きな声で良い返事をするのだが、頭のなかはたちまち「今日の冒険」でいっぱいになり、ふわふわしだす。
「本のお部屋」は、底なしの森になったり、空に浮かぶ城になったり、魔法使いの住む島になった。背を向けて机で仕事をしている父は、天狗のときもあれば、あるときは海賊、あるときは魔物になった。大きな背中に気づかれてはいけない。どんな冒険の旅でも、それがルール。ドキドキを抱えながら、翔子は嵐の海に船出し、天使の翼を手に入れて大空を飛びまわる。風がゆらす庭の木々の葉ずれは、妖精たちの笑い声。父が書き損じて捨てた原稿用紙は、宝の地図だ。
ある日、絵本を読み終えた翔子は、父の書棚を端から順に見て回った。
父は留守で、書斎には翔子ひとりだった。
午後も随分と過ぎていたのだろう。部屋はうす暗かった。
色とりどりの背表紙。書かれている文字のほとんどは、まだ読めなかったが、眺めているだけで胸がきゅっとなった。
それを見つけたのは、東側の書棚だった。
西側の棚から出発して、ようやく最後の壁にたどりついたとき、その本は、まるで翔子を待っていたかのように、そこにあった。
ちょうど翔子の目の高さ。
少し手垢で汚れて黒ずんでいたけれど、つややかな真紅のビロードの表紙が、翔子をとらえた。金色の箔押しでアルファベットが並んでいる。外国の文字で書かれた書物はたくさんあった。でも、それらは紙や革の表紙で、ビロードの表紙なんて他になかった。
赤いビロードの背を小さな指でそっとなでる。指の動きに合わせて、起毛が波打ち夕刻の淡い光を反射する。
はじめは息をとめて、うっとりと眺めているだけだったが。好奇心が手を伸ばす。ビロードの背に手をかけると、慎重に本棚から抜き取った。
本を絨毯の上に置き、ひとつ大きく息をはいて気づいた。
ビロードの本には、鍵がついていたのだ。心臓が跳ねあがる。
鍵のついている本!
「きっと、ひみつのまほうが書かれているんだ」翔子の胸が高鳴る。
鍵といっても、錠前がついているわけではなく、表紙の扉の右端中央に丸い鋲のような金具がついていた。鋲のまわりを、縦横五センチくらいの板状の金細工が飾る。そこに裏表紙から蝶番でつながっている同じ透かし模様の板の穴を嵌め込むようになっていた。だから、鍵というよりは、留め具といった方がいいだろう。
でも、翔子にとっては立派な鍵だった。
ドキドキしながら鍵を開けると、外国語の文字の美しい連なりのあいまに天使が描かれていた。
父が帰宅するのを待ちかまえ、「パパ、まほうのご本を見つけたの!」と、ビロードの本を両手で抱え、興奮しながら翔子は一大発見を告げた。
「ああ、それは、讃美歌集だよ」
「さんびかしゅう?」
「神様に捧げる歌が書かれている。『きよしこの夜』も讃美歌だよ」と教えられた。
「神さまのお歌ね」
讃美歌がどういうものか理解したわけではなかったし、それに、長らく翔子は、「サンビカシュウ」を魔法の呪文のひとつだと思っていた。
赤いビロードの本は、翔子にとって特別な一冊で、宝物になった。
イギリスに留学するとき、スーツケースに真っ先に入れたのは、真紅のビロードの讃美歌集だ。あの日からずっと、翔子のかたわらにあった。英語に興味を持ったのも、古書に惹かれるようになったのも、すべてあの本が原点だった。
隣でジャンがトーストにベーコンとソーセージをのせてかぶりついている。
キャビンアテンダントが朝食の注文をとりにきたとき、ジャンはしばらく悩んでいた。ごはん、みそ汁、鮭の塩焼きのザ・日本の朝食にするかを。
あら、家に着いたら、炊きたての、もっと美味しいごはんが食べられるじゃない。そういうと、「それもそうだ」とイングリッシュブレックファストを頼んだのだ。
ジャンは日本が好きだ。シティのはずれに彼が開いたギャラリーは、浮世絵や日本画をメインに扱うほどに。バースデーのディナーには和食をリクエストするほどに。
だから。日本で暮らしたいと言えば、「うん、それもいいね」とすぐに快諾してくれただろう。
だが、翔子から提案することはなかった。ギャラリーが軌道に乗った、というのもあった。イギリスに居てこそ、日本画の知識や鑑識眼が価値をもつということも、あった。ジャンの母親が病弱ということも、あった。でも、どれほどたくさんの理由があったとしても、それが言いわけでしかないことは、翔子がいちばんわかっていた。
翔子はピンクグレープフルーツのジュースをグラスから直にあおる。
かすかな苦みのまじった酸っぱい果汁が、喉を滑り落ちていく。
まもなく関空に着く。
第2章:父・啓志
芳賀啓志は、書斎の北向きの窓を開けた。
さっと風がカーテンの裾を舞いあげる。庭では雀が賑やかな声を立てていた。
朝の五時を回ったところだ。あたりはうっすらと透けはじめているが、空はまだ薄墨のヴェールをまとっている。陽は東山の峰の向こうにあるのだろう。書物を日焼けから守るために植えた孟宗竹が、風に葉ずれを掻き鳴らしている。
北向きの書斎は三方の壁に天井まで書棚が造りつけられている。それでも、収まりきらない書物が机の周りにいくつかの山脈を築いていた。
がっしりとした書斎机の上のライトをつけ、啓志は腰かける。読みかけの厚い英文の天文学書のページを風がめくって戯れる。
そういえば、翔子もこの書斎が好きだった。
まだ文字もロクに読めないころから、気づくと書斎にもぐりこんでいた。
啓志は論文の執筆に取りかかると、文字どおり寝食も忘れる。耳に届くのは、風が竹をゆする声と気ままな鳥のさえずりだけだ。
書斎の扉は、窓とは反対の南の壁にある。扉に背を向けて論文に没頭していると、闖入者に気づくことはない。小用を覚えて、席を立ってはじめて、床に転がり本を抱えて寝息をたてている翔子を見つけることもしばしばだった。
翔子は壮年になってから授かった一人娘だ。そもそも啓志は結婚に興味がなかった。
だが、この家の一人娘だった母の登美子は違った。
「結婚しなければ、この家の跡取りはどうするの」
登美子にとって何より優先すべきは、「芳賀家」だった。
母がお家自慢をはじめると持ち出すのが、桐箱に収められた芳賀家系図の巻物だ。一年に一度、正月になると披露された。
古代紫の袱紗に包まれた桐箱が蔵から出され、親戚が一堂に集まる席で、登美子の手によって家宝でもあるかのように広げられる。それによると、芳賀家は藤原北家の流れを汲んでいることになる。それを登美子は嬉々として語るのだが。これほど眉唾物はない。家系図が流行した時代に、それらしく拵えられたものだろう。およそたいていの日本人の元をたどれば源平藤橘のいずれかに行きつくともいわれるくらいなのだから。
芳賀家は儒学者から転じて三代続いた医者の家だ。陸軍の軍医も務めた二代目の登美子の父がけっこうなやり手で、医業のかたわら土地の売買や借家経営にも乗りだし、資産をふくらませた。登美子はその恩恵を受けて、そこそこのお嬢様として育った。
その誇りが彼女を形作っていた。
家の存続は登美子にとって至上命題であり、何をおいても優先すべきことであった。
一人娘だった登美子は迷いもなく婿養子をとる。夫の仁志は医師としては優秀だったが、土地経営の才はなかった。戦後の混乱もあって、二代目が築いた資産のほとんどは露と消え、残ったのは石造りの医院を備えた和洋折衷の屋敷とわずかばかりの土地だけだった。
啓志が医者にはならないと宣言したとき、登美子は半狂乱でわめきたてた。
「何のために、男の子を産んだと思ってるの!」
俺は「家」のためだけの存在なのか。久々に芳賀家に誕生した男児として大切に育てられてきたけれど。それを差し引いても、母がいきりたつほどに、啓志の心はしんと冷えていった。姉の貴美子は、母と弟の確執の火の粉をかぶりたくないと、さっさと結婚して家を出た。
好奇心が旺盛な啓志は、決して医学が嫌いだったわけではない。むしろ、人体の構造や細胞の働きには少なからぬ興味をもっていた。
幼い啓志は父の診察室によく忍び込み、棚に並んだ薬瓶を眺めていて飽きることがなかった。
「まあ、また坊ちゃんが」看護師に見つかっては、つまみ出される。
医院と屋敷をつなぐ廊下の壁にもたれて図鑑のページをめくりながら、診察が終わるのを待った。患者がいなくなると、父の膝にのり、古い顕微鏡をのぞく。プレパラートの中には、肉眼では見ることのできない小さな宇宙がうごめいていた。
「いいかい、啓志。ペニシリンというのはね‥‥」
父は午後の診察が始まるまでの時間、よくいろんなことを語ってくれた。
なかでもペニシリン発見の話が啓志は好きで、何度も同じ話をせがんだ。
アオカビが生えて捨てようとしていたペトリ皿から、イギリスの細菌学者フレミングはペニシリンを発見した。有名な話だ。失敗からの偶然の発見。まさにセレンディピティだと、この話を思い出すたびに啓志は思う。フレミングはよほどの強運の持ち主だったのだろう。リゾチウムも、うっかり吐いたくしゃみから発見している。冗談のような発見の逸話に、おのずと笑みがこぼれる。
そういえば、この話を翔子にしてやると、必死になってくしゃみをしようとしていたな。
セレンディピティなんていう舌を噛みそうな言葉を幼い啓志は知らなかったけれど、失敗が生んだ発見の物語にわくわくした。
「この薬もそうだよ」
薬瓶を手にしながら、父は啓志に語る。
「それにね、アオカビは薬になるだけじゃなくて、チーズも美味しくしてくれる」
「ほら、食べてごらん」
ペニシリンの話の最後にいつも父は「お母さんには内緒だからね」とウインクしながら、診察室の冷蔵庫に隠しているブルーチーズを透けてみえるほど薄く切って、啓志に食べさせてくれた。しょっぱくて独特の匂いのするブルーチーズは、子どもの啓志には美味しいとは思えなかった。
でも、「どうだい?」とでも言いたげに見つめている父をがっかりさせたくなくて、息をとめて飲み込む。そんな啓志を父はにこにこしながら眺めている。
今から思えば、父は啓志のやせ我慢をわかっていて、それを面白がっていたのだ。
それにしても、戦後まもないあの時代に、父はどこでブルーチーズを手に入れていたのだろう。
勝ち気でわがままなお嬢様として育った母のかたわらで、凪いだ海のごとく穏やかに微笑んでいた父は、案外、いたずら好きだったのかもしれない。訥々と語る父の話は、いつでも好奇心の扉を開いてくれた。
啓志は父のあとを継いで医者になるつもりだった。一族のほとんどが医者の芳賀家の跡取りとして、まわりは誰もがそれを当然のことと思っていた。
敷かれたレールが嫌だったわけじゃない。青い反抗だったのだ。異常なまでに家にこだわる母に辟易していた啓志は、医者になることを拒み、医学とは最も遠いところにありそうな経済学を選んだ。
父は「啓志の人生なのだから、お前の好きなように生きなさい」と言ってくれたけれど。そのことを思うと、いまだに苦いものが喉の内を滑りおりる。
「いいかい、啓志」というのは父の口癖だった。
それを、啓志もいつしか受け継いでいたようだ。そのことに気づいて、口の端がゆるむ。
書斎机に置かれた写真立のガラスが朝の光を反射する。セピア色に変じた写真の中で父が穏やかに笑っている。
啓志は目尻の皺を濃くして、同じ笑みを浮かべながら、写真立の右隣に並べている古い顕微鏡の鏡筒を指でなぞる。
父は、翔子の誕生を待つことなく、古稀を前に逝った。
春の海のような人だと思った。
はじめて朋子に会ったのは嵐山の料亭だった。淡い縹色の訪問着がよく似合っていた。
庭園の桜が風に舞って二、三片うすい水色のきものの肩に乗ったのが、水面に舞い散る花びらのようにみえた。その光景を、五十年経った今でも、色つきで覚えている。桜吹雪のなか、はしゃぐでもなく、照れてうつむくでもなく、ずっと以前からそうであったかのごとく啓志のかたわらでやわらかな笑みをこぼす朋子に、「ああ、この人となら」と思った。
啓志が大学院の博士課程を卒業すると、母の登美子は、待っていましたとばかりに、次から次へと縁談を持ち込んだ。三十歳になっていたとはいえ、まだ、研究者としての一歩を踏み出したばかりだ。
「僕には、まだ、そんな甲斐性はありません」と言っても、「あら、あなたの甲斐性なんて関係ないのよ。これは芳賀家の問題なのですから」と取り合わない。
学会の準備があるからとか。論文の執筆で忙しいからとか。母が縁談を持ち込むたびに、のらりくらりとかわしていた。同僚からは、「見合いぐらい気軽にすればいいじゃないか、嫌なら断ればいいだけだろ」と言われた。
だが、母のことだ。啓志の気持ちなどおかまいなしに話を進めることは容易に想像できた。だから、あれこれ理由をこじつけてかわしてきていたのだが、抵抗するのも面倒になって、三十三歳の年にはじめて見合いをした。
その相手が、朋子だった。朋子は十歳下の二十三歳だった。
はじめての見合いの相手が朋子だったことを、啓志は今でも神に感謝している。
といっても、啓志は信心深いわけではない。学者として、民俗学的あるいは社会学的観点から神の存在に関心はあるが、疑いもなく神を信じるには、啓志は理が勝ちすぎていた。
まだ大学院生のころに、退役軍人のアメリカ人パイロットと話す機会があった。研究室の教授の受賞記念パーティの席だったと記憶している。
飛行機という文明の最先端の乗り物を操縦していた元戦闘機パイロットが、キリストの復活を「真実」として心から信じていることに啓志は驚いた。
「この世界は神が創った」と真剣なまなざしで言う。
啓志が宇宙はビッグバンによってはじまったと宇宙物理学の理論を持ち出すと、「それこそ、物理学者の空想でしかない」と声を荒げた。
啓志も若かったから、最新の知見を披歴し、理路整然と反論したのがいけなかった。冷静に理論を語るほどに、相手は激昂していく。やがて二人の周りに人だかりができた。
そこではじめて、啓志はまずいと思った。
だが、まだ学生の啓志には、その場をおさめる器量がなかった。激していく相手を前になす術もなく立ちつくしていると、その日の主役の教授がにこにこしながら啓志と元パイロットの間に割って入った。
「やあ、ボブ」
「お取込み中のところ悪いけど、『マタイによる福音書』でわからない箇所があるんだ。向こうでゆっくり、これで一杯やりながら教えてくれないか」
教授はジャック・ダニエルのブラックボトルをかかげ、がっしりとしたボブの肩を軽くたたきながら、啓志に目配せして、人の輪をかきわけボブを連れ去った。「すまないねぇ。あれは、うちの研究室の学生でね‥‥」教授の声が遠ざかっていくと、人波も潮のように引いていった。
あれは良い経験だった、と苦笑がもれる。
正論ほど危ないものはないのだと、あの日、啓志は悟った。
それがきっかけだった。聖書はもとよりキリスト教についての書物を片っぱしから読みあさった。最先端のテクノロジーを扱う人間が盲目的に信じるのはなぜなのか。それを知りたいと思った。いくら書物を読んでも、当時の啓志には、神という存在を信じる機微はとうとう理解できなかった。
その心理が多少なりともわかるようになったのは、朋子と結婚し、翔子を授かってからだ。守るべきもの、大切なものができてはじめて、人知を超えた神にただ祈る気持ちがわかった。
「ジャンがね、私たちの出逢いは運命だって言うの」
翔子はそう言って、結婚相手のイギリス人青年を紹介してくれた。
運命。そうだ、それが最もしっくりする。
気乗りしないまま臨んだ見合いの席で、まっすぐな瞳を向けて座っていたのが朋子だった。ひと目で恋に堕ちるというのとはちがう。欠けていたピースが見つかったような感覚だった。劇的なものは何もなかったが、私と朋子の出逢いも運命だったのだ、と啓志は思う。
翔子とジャンは、互いをハニー、スイーツハートと呼びあっている。
イギリスではそれがふつうらしい。日本男子の常として、細君を「おい」とか「おまえ」としか呼ばないことには、女性をひとりの人として敬していないと反発する気持ちが啓志にはあった。だから、妻のことは、はじめから「朋子」と名前で呼んだ。それでも、翔子たちのように、甘ったるい呼称で呼びあったこともなければ、愛を語ったこともない。
結婚当初から変わらぬ形がある。
居間のソファに腰かけ、紅茶を飲みながら啓志は本を開く。その隣で朋子は編み物や刺繍をする。時折、啓志はケルト神話からはじまって中谷宇吉郎の映画『霜の華』のことや果ては古生物のアノマロカリスまで、ふとした瞬間に去来するあれこれを語りだす。
啓志の話がはじまると、朋子は編み物をかたわらに置き、少し首をかしげながら顔を向ける。「まぁ」と驚いたり、「それで?」と先をうながしたりするだけでなく、ときに本質を突く鋭い質問をする。それが啓志の思考を刺激する。朋子はなかなかの聞き上手だった。こんな時間を持てるならば、もっと早くに結婚すれば良かったと思えるほどに。
翔子が生まれるまで、ふたりで知識の海をのたりのたりとただよう時間を重ねた。
はじめて会ったとき、朋子は二十三歳だった。啓志がボブと口論になったのと同じ歳だ。
あの場にいたのが自分ではなく朋子だったら。上手にボブの気持ちをなだめたのではないだろうか。
東の書棚から聖書を手に取り、啓志は考える。
いや、そもそも朋子ならば、あんな知識だけを披歴するような議論はしなかったはずだ。
陽が昇ってきたのだろう。オークの木目が美しい机に笹がシルエットを描き、光が揺れる。
おそらく本人に自覚はないのだろうけれど、朋子はすべてをあるがままに受け入れ、受けとめる。
静かにたゆたう春の海のように。
翔子が生まれた朝のことを、啓志は近ごろよく思い出す。
日付の変わった深夜に陣痛をもよおした朋子を親戚が営む産院に車で連れて行った。
暦は三月をめくっていたが、前日には淡雪が舞っていた。昔からこのあたりでは、「奈良のお水取りがすんだら春が来る」といわれている。東大寺の修二会は始まっていたが、クライマックスのお水取りはまだ二週間ほど先だった。
闇に吐く息が白く消える。エンジンがなかなか温まらなくて焦った。
そのまま待合に居座る心づもりでいたのだが、初産は一日以上かかることもあるからと帰宅をうながされた。「生まれたら連絡するから。啓志君でもうろたえるんだな」と大叔父に小突かれた。
立ち合い出産など思いもよらなかった時代だ。
うろたえていたつもりはない。妊娠から出産までの医学的知識のおおよそは頭に入っていた。原初の海からはじまった命の連鎖。種の保存のための稀有なシステム。卵は細胞分裂を繰り返しながら、遥かなる進化の歴史を早回しでたどる、その不思議も。胎児が子宮を出てからの旅が最も危険に満ちていることも。
いったん目覚めた脳はますます冴え、帰宅したからといって眠る気には到底なれそうもなかった。妙にそわそわした頭を抱えたまま、車を車庫に入れ、見上げた群青の空に白い月があった。天頂はまだ夜の帳におおわれていたが、山の端はうっすらと透けはじめている。
玄関の格子戸に手をかけると、鍵をかけ忘れて出かけたとみえ、からからと音を立ててすべった。
広いあがり框の正面に桃の花が舞う屏風が立ち、その前にみごとな親王雛が座している。格子戸からさしこむ月明かりに照らされた雛飾りに目をとめて啓志は、「桃の節句に女の子が生まれたらすてきね」と朋子が大きくなった腹をなでながらつぶやいたことを思い出した。「あら、でも、芳賀家の跡取りを産まなくちゃいけませんわね」とすぐに言い直してくすりと笑う。
奇しくも今日が桃の節句だ。生まれてくる子は、どちらだろうか。
とりあえず紅茶でも飲んで落ち着こうと台所でケトルに湯を沸かしていて、離れの明かりがついていることに気づいた。
産院へ向かう前に母には声をかけて出たから、待望の孫の誕生を起きて待っているのだろう。
春というには、まだ底冷えがする。
コンロの火に手をかざしながら、啓志は母と紅茶を飲むのも悪くないと思った。
昨春に父が亡くなってから、母の登美子は勢いを失いおとなしくなった。
勝ち気でプライドの高い母はつねに威丈高で、なにごとも命令口調だった。たいていのことは、母の意向によって決められる。登美子は感情の襞も大きく、機嫌が悪いと小さなことにもささくれだつ。ここ数年、その集中砲火を浴びていたのが朋子だった。
嫁姑の関係は、結婚して一年が過ぎるころまではとても良好だった。
なにしろ、はじめての見合いで啓志が「あの人と結婚したい」と承諾したものだから、登美子は「ほら、ごらんなさい。わたしの選んだ人にまちがいはないのよ」と誇らしげだった。
どこに出かけるにも朋子を伴い、あちこちに嫁を吹聴してまわった。西陣の織問屋の娘だけあって、茶道や華道はむろん礼儀作法をきちんと躾られていることも、「どこに出しても恥ずかしくない嫁」と登美子を満足させた。
だが、一年を過ぎ二年を迎えるころから風向きが変わった。
はじめは妊娠のきざしがみえない朋子を、嵐山の野宮神社からはじまって岡崎神社、わら天神さんと少しでも子宝祈願のご利益があると伝え聞いた社に連れて詣でていたのだが。それでも、いっこうに身籠るけはいもないと、しだいに言葉に棘が刺さるようになった。
「月のものが、また来はったんですか。ご不浄だからお参りにもいけないわね」ぐらいで済んでいるうちは、啓志も放っていた。だが、三年を超えるとあからさまに「嫁して三年子無きは去れと、世間では言いますやろ」とか、「うちには石女は要がないわ」などとまで言うようになり看過できなくなった。
ただ、お嬢様育ちゆえの無頓着さなのか、持って生まれた気質なのかわからないが、登美子には表裏の別がないことは救いだった。
啓志の居ないときを狙って嫌味を吐くといった姑息さはなく、啓志が目の前に居てもおかまいなく言う。幼いころから周りにちやほやされ、たいていのことが意のままに通ってきたからだろうか。深く考えるより先に言葉が口の端にのぼる。遠まわしな物言いがならいの京都にあっては、めずらしい気質といっていい。
登美子のお家第一主義に抗する気持ちが強かったのと、親子の遠慮なさも手伝って、「朋子は子を産むための道具じゃありません」とか「三年という線引きに意味はあるんですか」、「男の側に問題があるケースもあります」などと啓志は論理で攻める。
理論で武装したものと、感情をあらわにしたものが手を結ぶことなどなく、どこまで行っても交わることのない平行線でしかなかった。
啓志と登美子の溝は、年を重ねるごとに深くなっていく。そのことを最も憂いていたのが朋子だった。
同じ過ちを繰り返していたのだと、今ならわかる。ボブに正論をかざしたときと同じ過ちを。まことにいつまでも青くて愚かだった。
正面切って母と立ち向かうことで、「妻を守る夫」を演じるおごりがあったのだろう。
誰に対しての虚勢だったのか。世間か。いや、朋子に頼りがいのある夫だと思われたかったのだ。
啓志は朋子から母を責める言葉を聞いた覚えがない。それどころか、こんなことを言われたと嘆く訴えすらなかった。心配になって「今日は大丈夫だったか」と訊くと、啓志が脱いだ背広にブラシをかけながら、朋子は「ええ」と微笑む。「お義母様は、言いたいことをおっしゃっているだけですから」と。
守っているつもりで、かえって朋子を追い込んでいたのだ。四十を前にしてもまだ未熟だった自分を思い返して、深いため息が漏れる。
朋子と母のあいだに入って気持ちの山をなだらかにしていたのは、父だった。
父は、母が朋子を責めている場にひょっこりと現れては、「水無月がもう出ていたからね。買ってきたよ」と菓子匠の袋を掲げてみせる。
「あら、塩芳軒のですか。西陣まで行ってらしたの」
母はほんのひと息前まで気が立っていたことも忘れ、
「朋子さん、お皿を。そうね、あの白に青い筋の入ったガラスのお皿がいいわね、持ってきてちょうだい。皆でいただきましょう」と声を弾ませて朋子に指図する。
手のひらを返したようにぱっと気分がかわる。父は妻の機微を実によく心得ていた。
脳卒中であっけなく逝った父の葬式で、母は柩にすがって「ごめんなさい。ごめんなさい」と絞りだすような声で繰り返し、とめどなく流れる涙を拭おうともしなかった。
それまで母が父に謝っている姿など目にした記憶がなかったので、啓志は驚いた。
意のままに生きているようにみえたが、プライドが邪魔して素直に甘えることのできない不器用な女性だったのかもしれない。父という静かにぶれない支点を失った母は、好き勝手に気分を揺らすこともなくなった。
父の四十九日の法要で朋子は倒れた。
帯で胸を締めつけていたのもいけなかった。親戚一同が介している席で気を張り詰めていたというのもあった。酒のにおいもあったのだろう。酌をして回っていた朋子は立ち上がろうとして昏倒した。
親類のたいはんが医者だというのが幸いした。すばやく帯がほどかれ、脈をとる。誰からともなしに聴診器がわたされる。朋子を囲む輪のなかに産科医の大叔父の姿もあった。
「朋子さん。月のものは、いつあった?」と尋ねる。
朋子がはっとした表情をする。
「仁志さんからの贈りものやな」と大叔父が仏壇に目をやる。
朋子ははらはらと涙をこぼし、「お義父さんが授けてくださったのでしょうか」と細い声でかたわらの義母に顔を向けると、母は童女のように号泣した。
ケトルがけたたましい汽笛を鳴らす。
かぶさるように、電話のベルが鳴った。
産院からの電話を受けたとき、居間のカーテンの隙間から淡い陽がのぞきはじめていた。
電話を切ってカーテンを開ける。東山の峰から今しがた昇ったばかりの陽が、白く輝く一条の光の帯をためらうことなくまっすぐに伸ばす。その清らかな神々しさに得体のしれない衝動が胸をつらぬき、啓志は思わず「翔子」とつぶやき、涙をひと筋こぼした。
「翔子」とは、生まれて来る子のために用意された名前だった。
啓志が考えたのではない。用意していたのは、一年前に亡くなった父だった。
父の文机の周りで山脈を築いている書物の中に、それはあった。
百か日の法要と新盆を済ませると、母は離れに居を移すと言いだした。
母屋には部屋がじゅうぶんあるのだから、と言っても、「孫も生まれるから、私は離れで静かに暮らしたい」とゆずらない。
「あそこはお父さんの匂いがするの」少女のようにつぶやいた母の言葉に瞠目した。
啓志が使っている書斎は、もとは父の書斎だった。
息子が学者としての一歩を踏み出すと、父は母屋の書斎をゆずり、みずからは離れを書斎とした。「本を読んだり、ものを考えたりするには、離れが静かでいいからね」と言って、読みたい本を離れに運んだ。
選んでいる手もとを覗くと、『史記』や『三国志』、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』などの歴史書が多く、サルトル、レヴィ=ストロース、キルケゴールの哲学書など、どれも腰を据えて読むべきものばかりだった。
「歳をとると歴史がおもしろくなるのは、どうしてだろうね」と言いながら、プリニウスの『博物誌』を選んだ書物の頂上にのせた。
開業医は続けようと思えば、何歳になっても現役でいることはできる。
だが、父はみずからの感覚の衰えを重くみた。老眼が進んだこと。耳の聞こえが悪くなったこと。誤診があってはならないと、啓志が社会に出たのをきっかけに隠居を決めこんだ。「朝から晩まで本を読んで過ごせるなんて。これほどの贅沢はないね」と。
そんなささやかな贅沢がたった八年で終わってしまったことを思う。
自分が医者になっていれば、父をもっと早く解放してあげられたのかもしれない、その後悔は今もなお啓志の胸をきしませる。
登美子が離れに移るに伴い、少し改装しようともちかけた。
母は「お父さんだって使っていたのだから、このままでいい」と言った。
「父さんは離れで本を読むだけでしたが、母さんは生活するのだから。食事は母屋でいただくとしても、お茶を飲んだりするのに、湯を沸かせるくらいの水屋があったほうがいいでしょう」
「あら、そんなの、和さんに頼めばすむことじゃない」
もの心ついたころから登美子の身の周りの世話は、手伝いの和さんがこなしてきた。
「和さんも、もう歳ですよ。このあいだも階段で転んで松葉杖をついていたじゃないですか。母さんがお茶を飲みたくなるたびに、母屋の台所まで足を運ぶのはたいへんです」
手こずるかもしれないと身構えていたのだが、「それも、そうね」とあっさりと引き下がって拍子抜けした。父が亡くなってから、母は目に見えて失速していた。
離れには八畳の和室が二間と六畳の和室に手洗いがあり、渡り廊下で母屋とつながっている。六畳の和室を流しとコンロと小ぶりの水屋箪笥を備えた台所に改装することにした。
まだ残暑のほてりの冷めやらぬ日に、啓志は離れの片付けに取りかかった。
離れは平屋で軒が深く、庭に面した東向きの広縁の戸を開放すると風が通る。これなら作業も苦にならない。暑さと悪阻で青い顔をして伏せがちな朋子を煩わすわけにはいかない。さっさと片付けてしまう心づもりでいたのだが、無秩序に積まれた書物の山が父の知識の海への航海をなぞるようで、いちいち手をとめてぱらぱらとめくるから、時間がかかってしかたなかった。
始めてすぐに、一日では無理かもしれないと悟った。
まず啓志の手を止めたのは、文机の右隅に置かれていた真鍮の顕微鏡だった。子どものころ診察室で親しんだカールツァイスの年代物の顕微鏡だ。
あれがここにあったなんて。
午後の診察までの時間、父の膝に乗って何度ものぞいた。カバーガラスの下で姿をあらわにする微小の世界。「何か動いてる」と声をあげる啓志に、「それは微生物という小さな生きものだよ」と教えてくれた。
「いいかい、啓志」父はお決まりの前置きを口にしてから語り出す。
「微生物学の父といわれるレーウェンフックはね、医者でも学者でもなくオランダの織物商だった。ペニシリンを発見したフレミングも、はじめは船会社に勤めて、そのあと医者になってね。お祖父様みたいに軍医として戦争に行って、帰ってきてから細菌学者になったのさ」
「ふーん。どうしてお医者さんを辞めちゃったの?」
「戦場では銃や爆撃で死ぬ兵隊さんも多いけど、同じくらい感染症で死ぬ人たちも多かった。今とちがって薬がなかったからね。だから、フレミングは戦地から帰ると感染症の薬の研究に取り組んでペニシリンを発見したんだよ。ペニシリン発見の話は、覚えているかい?」
ところどころ真鍮が黒ずんだ鏡筒に陽が反射する。
レンズをのぞきながら、父が好んでレーウェンフックやフレミングの逸話を語ったことを思い出した。もしかすると父は、彼らのように研究者でありたかったのかもしれない。
芳賀家に婿入りする前、父は大学病院で将来を嘱望されていた。
その評判を知った祖父が一人娘の登美子との縁談をなかば強引にまとめたという。
蹴上の都ホテルで開かれた披露宴で来賓として列席した名誉教授が「有能な若者を在野に埋もれさせるとは、何たることだ」と針を含んだ祝辞を述べたことは、親戚中で長く語り草となった。
芳賀家のために封印した父の望みを想って、母は葬儀の席で「ごめんなさい」と繰り返したのだろうか。
おそらく父は「そんなことはない」と笑い飛ばすだろうけれど。
啓志は母にあの日の「ごめんなさい」の真意を訊けずにいる。たとえ子であろうとも踏みこんではいけない夫婦の領域の気がして、ゴシップ記者のような詮索は憚られた。
レンズから目を離し、すべらせた視線は文机の左横の山を通り過ぎようとして戻った。
塔の中ほどで異彩を放つ赤いものに目が止まる。
上の三冊をかたわらに下ろして現れたのは、真っ赤なビロードの表紙の書物だった。
手に取って文机の上に置いた瞬間、突風が吹いた。軒の風鈴が高音を鳴らす。部屋のあちこちに積まれている書物が風にあおられ、ぱらぱらと頁をめくる。
だが、今しがた取り出した緋色のビロードの本は微動だにしなかった。
不思議に思ってよく見ると、右端に金細工の留め具がついていた。本というよりも、小函のようだ。表紙には金の箔押しで「The Hymnals」とある。
讃美歌集か。
啓志はボブの一件のあと、キリスト教関係の書物を書斎で物色したが、どうやら見過ごしていたようだ。祖父が登美子への外国土産に買ったものかもしれない。
留め具をはずしビロードの表紙を開けると、扉頁に二つ折りにした便箋が挟まれていることに気づいた。万年筆のブルーインクが裏に透けてにじんでいる。
もしも新しく芳賀家に生まれてくる子が女児であれば、「翔子」という名はどうであろうか。自らの信じるところに向かって自由に羽ばたく子であることを願う。この走り書きが誰かの目に触れることがあれば、一考の末尾にでも加えてもらえれば幸いである。
一画一画を丁寧に書いたとわかる父の人柄を映した文字。
まるで娘を授かることを予期していたかのような文面に、便箋を持つ手が震える。
「自らの信じるところに向かって自由に羽ばたく」それは父の夢だったのだろう。
啓志という名は父がつけてくれたと聞いた。
志を啓く――つまりは「自らの信じるところに向かって自由に羽ばたく」だ。芳賀家の男子は、代々「彰」の一文字を継いできたから祖父は異を唱えたが、それを退けたのは母だったという。母は、父の想いを知っていたのだ。
それにしても、なぜビロードの讃美歌集に、父はこの書置きをしのばせたのだろうか。
急死だったから、みずからの死を予見していたわけではなかったはずだ。父特有のいたずらだったのだろうか。
今となってはその真意を知るすべはない。
手紙の向こうで、口角を少しだけあげて微笑んでいる父が見えるようだった。
「父さんには、かないませんね」涙が静かに啓志の頬をつたった。
五歳になった翔子が赤いビロードの讃美歌集を抱きしめ、興奮気味に駆け寄って来たとき、啓志の心臓は激しく鳴った。
父の手紙は書斎の抽斗にたいせつにしまってあったが、父が名づけの手紙をひそませた赤いビロードの讃美歌集を翔子が見つけたことに、偶然を超えた見えざる手の奇蹟を思わずにはいられなかった。
「翔子はね、お祖父様が授けてくださったのよ」朋子は娘によく言って聞かせていた。
その名も祖父がつけてくれたのだということも。
だが、生きて会えなかった人を想えというのも幼子には無理があるだろうと、啓志はことさら語ることはなかった。
翔子がイギリスに立つ前日、もうずいぶん染みが浮いて変色した祖父から孫へのたった一通の手紙を渡し、それが赤いビロードの讃美歌集にはさまれていたことを告げた。
翔子は今でも、あの手紙を持っているだろうか。
孟宗竹の葉の間を縫って、白い陽が窓辺で踊る。
もうすぐ、翔子が帰って来る。
第3章:帰宅
梅雨入りはまだだったが、リムジンバスに乗ろうと空港ビルを出たとたん、半袖の腕にぬるい空気がまとわりつき、日本に帰ってきたことを翔子は肌で感じた。
ジャンが隣で「うーん、ヒューミッド」と言いながら、この不快ともいえる湿気を愉しむように両手を広げ、飛行機で押し込められていた腰を伸ばす。たいていのヨーロッパ人が嫌う湿度の高い日本の夏もジャンは好きらしい。
変な人、と翔子は思う。
そういえば、結婚して程ないころ、ジャンは菱川師宣の浮世絵と日本の湿度との関係を論文にしていたことがあり、日本人の翔子には思いもよらない視点でおもしろいと思った。学術的には芳しい評価は得られなかったけれど。
海風が空港島をすり抜ける。到着したときにはあんなに眩しかった朝の光が、高く昇って落ち着きを取り戻し、かわりに熱気を撒き散らしていた。
若いころは数年ごとにしか帰国できないこともあり、父と母をイギリスに招いたりもしていたが、両親が高齢になってからは年に一度は帰るようにしている。ところがジャンと二人そろってというのが、なかなか難しい。翔子は帰国すると、片付けておきたい諸事もあって最低ひと月は腰をおちつけたいけれど、ギャラリーをひと月も閉めておくわけにはいかない。「いつも翔子だけ。ずるいね」とジャンが不満を漏らす。
今回は父の米寿の祝いを兼ねているから、ジャンもいっしょ。
だけど、ひと月後には、ジャンが三年かけて力を注ぎこんできた『現代作家による浮世絵展』があるため、二週間後にはジャンはロンドンに帰らなければならない。
せめてこの二週間、ジャンには好きなだけ日本を堪能してもらおう。
着いたら母に美味しい日本茶を淹れてもらって。それよりも、お薄を点ててもらう方がいいかしら。きっとお母さんのことだから、『塩芳軒』か『末富』の主菓子と『亀屋伊織』のお干菓子を用意しているわ。ジャンの好きなものをよくわかってくれているもの。
翔子とジャンは芳賀医院の前でタクシーを降りた。
屋敷の玄関は医院とは反対側にあるが、翔子はいつもここで降り石造りの建物を見あげる。入り口の真上にはそこだけ横長の石材が配されていて、旧字体で「芳賀醫院」と装飾模様つきで刻まれている。曾祖父が羽振りの良かったころに建てた洋風建築だが、周囲の町並みになじんでいた。入り口の脇に大きな樟があり、いい具合にエントランス前の石段に葉陰をこしらえている。
翔子が生まれたときには、ここはもう閉院していた。
レトロな趣きのある建物だから店として使いたいという申し出が後を絶たなかったが、父が首を縦に振ることはなかった。
母屋と扉一枚でつながっているため防犯上の懸念もあったけれど。
おそらく父は医師を継がなかった自責の念もあって、祖父との思い出がつまった場所を手放したくなかったのだろう。母が週に二回は窓をあけて掃除を怠らなかったから、翔子はよく母について診察室に入った。
棚に並んだ茶色い薬瓶も、鍵のかかった戸棚の注射器も、レントゲンも、すべてが止まった時間の澱をかぶって息をひそめていた。
壁にかけられた柱時計は十時十二分で止まっている。
午後の診察を終えると祖父はいつも時計のゼンマイを巻いていたが、最後の診察を終えた日、「お疲れさま」と時計に声をかけるとゼンマイを巻かずに診察室の扉を閉じたそうだ。
物理法則に身をゆだねたゼンマイはゆっくりとほどけて、やがて動かなくなり、十時十二分で眠りについた。
役目を終えてなお、刻々と降り積もる時を両手で受けるように、針を上向きに開いて止まっていた。祖父が扉を閉めたその日から、診察室はタイムカプセルそのものだった。
「どうして、おじいちゃんは、時計を巻いてあげなかったの?」
「さあ、どうしてだろうね」
「パパが巻いてあげたら?」
時を刻まなくなった柱時計を幼い翔子は見あげ、父を振りかえる。
「パパにはね、時計を巻くことはできないんだよ」
「まほうは使えないの?」
「時計を止めてしまったのは、私だからね」
父は寂しそうに時計を見つめる。
時計を巻かなかったのはおじいちゃんなのに、どうしてパパが時計を止めたことになるのか、幼い翔子にはわからなかった。
時計の魔法を解いたのは、従兄の鳥越玲人だった。
玲人は父の姉である貴美子伯母の次男で翔子より十二歳上だ。
翔子がもの心ついたころにはすでに高校生になっていたが、翔子が誕生したときは中学にあがりたてで、生まれたての赤ちゃんを目にしたのも触れるのも玲人にとっては初めてのできごとだった。
籐の揺りかごで寝かされている翔子に、そっと人差し指を近づけるとピンポン玉ほどの小さな手が玲人の指をぎゅっと握って、ふわりと笑った。それが乳児特有の反射なのだと今ではわかるが、中学生だった玲人は柔らかな小さな手の懸命の力に驚き、玲人の指を握る体温に心臓がきゅっとなった。
玲人は祖母の登美子にかわいがられた。
自分が兄の彬人よりも祖母にかわいがられていることは、子どもながら自覚していた。南座での顔見世につきあわされるのはいつも玲人で、野球に夢中の男児に歌舞伎はつまらなかったが、終われば好きなものを買ってもらえたので、それめあてで祖母の供をした。
登美子は、なかなか子に恵まれない啓志たち夫婦に見切りをつけ、ゆくゆくは玲人を芳賀家の跡取りにしようと考えていたのだろう。翔子が生まれる前にはそんな話が出たこともあったと、のちに母の貴美子から聞いた。
「おばあちゃまはねぇ、芳賀家ひと筋の人だったから」
祖母の葬儀で、貴美子は嘆息するように漏らした。
中学三年のほぼ一年間、玲人は些細なことがきっかけで学校に行けなくなり、一日のほとんどを芳賀家で過ごすようになった。
「不登校の走りさ」と今では恰幅のよくなった腹を揺らしながら笑う。
そんな玲人を救ったのは、翔子のあどけなさと書斎の書物だった。芳賀家の誰も、叔父や叔母はともかくとして祖母の登美子ですら、玲人に学校に行けとは言わなかった。
「学校なんてつまらんところに、行かなくてもよろし」
祖母はさも当然のように言ってのけた。
それが、孫への思いやりから出た言葉なのか、お嬢様気質ゆえの考えなのかは、中学生ごときではわからなかったけれど。その一年、玲人は書斎の書物を読みあさり、知識の大海原を航海して過ごした。
かたわらにはいつも翔子がいた。
叔母の朋子について診察室の掃除も手伝った。祖父が現役だったころは、玲人は幼くおぼろげな記憶しかなかったが、祖父の膝に乗って古い顕微鏡をのぞいたことだけは覚えていた。
細長いガラスの板に水を一滴たらして、祖父は上からさらに小さな四角いカバーガラスをのせる。その薄いガラスの板を顕微鏡にセットし、しばらく上からのぞいてから「ほら、玲人もここからのぞいてごらん」と玲人の腰を大きな手で支えて椅子に膝立ちさせる。
祖父にうながされるままに筒をのぞいてびっくりした。透明の水がのっているだけに見えたガラスの上で、何かがうごめいている。驚いて振り返ると、祖父はにこにこして「すごいだろう」という。玲人は夢中になって顕微鏡をのぞき続けた。
あの顕微鏡はどうしたのだろう。
薬品庫や鍵のかかった棚をガラス越しにのぞいたけれど、金色に輝く古い顕微鏡は見当たらなかった。
「玲人君、何か探しているの?」叔母がたずねる。
「じいちゃんの顕微鏡」
「あら、それなら書斎にあるはずよ」
午後の光を受けて、塵が舞う。玲人は翔子の手を握って書斎に向かった。
芳賀医院の前に佇む翔子とジャンの横を、若い母親が男の子の手を引いて石段をのぼる。
「注射、しないよね」男の子が立ち止まって訊く。
「おりこうにしていたらね」母親がこたえながら、「ほら」と男の子の手を引っ張る。
翔子は、ふふと笑いながらジャンと視線をかわす。
芳賀医院が息を吹き返したのは、翔子がイギリスに旅立った直後だった。
内科医として芳賀医院の表扉を再び開けたのは、大学病院での臨床研修を終えた玲人だった。
祖父が扉を閉じてから、実に三十年の歳月が流れていた。
その日、診察室に入った玲人はまっ先に、十時十二分で時を止めたままの時計のゼンマイを巻いた。
れい兄ちゃんの診察が始まっている。
翔子は帰国するたびに、それを確かめたくてタクシーをここで降りる。
「ただいま」と声をかけながら、翔子は玄関の格子戸を引く。低く剪定された五葉松が前庭の景色を整えていた。
からからから、がら、ぎぎぃ。
少し建付けが悪くなったのだろうか、何かが引っかかったような妙な手応えが残った。年代物の建物だからしかたないか。翔子は玄関の黒光りした鴨居を見あげる。
まあ、おおかたこの湿気のせいでもあるわね。
「ワーオ!おひなさまだ、ビューティフォー」
玄関の敷居の前でスーツケースを両手で持ちあげ踏ん張る翔子の手から、真っ赤なそれを軽々と奪い、肩越しに屋内をのぞいたジャンが感嘆の声をあげる。
驚いて振りかえると、檜の柾目が鈍く光る上がり框に親王雛が飾られているのに気づいた。両脇にはぼんぼりの代わりに白い紫陽花が活けられている。
六月だというのに、どうしてお雛様が飾られているのかしら。
翔子は心のうちで首をかしげた。
「お帰りなさい」
控えめにスリッパの音をたてて母が廊下をそそと駆けてくる。その後ろを父がゆらりと歩を運ぶ姿が見えた。
耳慣れた音。見慣れた光景。
たちまち時間が高速で巻き戻されるような、不思議な感覚が翔子をおおう。イギリスに留学してはじめて帰国した日の記憶が、古い映画フィルムのように二重写しで重なる。
子どものころから憧れていた国へ飛び立って、興味と好奇心が錯綜する日々を過ごしていた。
古書店を巡り、ケンジントン・ガーデンズでサンドイッチを頬ばり、鳥のさえずりをBGMに買ったばかりの古書のページをめくる。
石造りの書店の擦りガラスが嵌った重い扉を押す。ガランガランと鈍い音を立てる真鍮のドアベル。うす暗い店内に息をひそめて出逢いを待つ、時に身をゆだねた書物たち。何もかもがビロードの讃美歌集を胸に抱きながら思い描いていたそのもので、心が跳ねあがらずにはいられなかった。
大学の講義がハードなこともあって、翔子は渡英以来、寝る間も惜しんで忙しくも満たされた毎日を送っていた。だから。寂しいという情感が入り込む余地など、これぽっちも感じていなかった‥‥はずだった。
一年ぶりにわが家の玄関に立ち、母の声が耳に届いた瞬間、どうしたことか、ひと筋熱い滴が頬を伝って、みずからの体の反応にとまどった。
そんな翔子を母は何も言わずにそっと抱きしめた。
あの日の感覚と記憶がフラッシュバックし、静かに時を降り積もらせた玄関先で翔子は現と幻との境目がよくわからなくなりかけていた。
「タダイマ」と母をハグするジャンの声で、翔子は我にかえった。
「お帰りなさい、翔子。お帰りなさい、ええっと‥‥」母はそこで少し言いよどみ、すぐに「疲れたでしょ。さあ、おあがりになって」と付け足した。
「ねえ、お母さん、どうしてお雛様を出してるの?」
「虫干しついでに飾ってさしあげてるの。翔子はお節句が誕生日でしょ。あなたが帰って来るから、ちょうどいいかと思って」
ああ、虫干しねとうなずきながら、かすかな違和感がよぎった。
なんだろう。
小指にできたささくれのように何かが引っかかったけれど、ジャンがうれしそうに膝をついてお雛様に見入っているから、まあ、いいかと心にしまいこんだ。
さっそく父がジャンの隣に腰を据え、雛飾りについて語り始めている。きっと、桃の節句の由来や曲水の宴まで、いや、ひょっとすると平安時代の装束や貴族文化についてまで語り出すかもしれない。
翔子は母と顔を見合わせる。
「まあ、ここにティーポットを用意しないと」母が微笑みながらこぼす。
「ほら、もう、お父さん。ジャンは飛行機の狭い椅子に押し込められて、腰が痛いのよ。こんな板の間でなくて、続きはリビングでお願いするわ」
「お母さん、お雛様を居間に運んでもいいわよね」
翔子は親王を畳台ごとジャンに手渡し、自分はお雛様をそっと両手でささげる。
これは翔子のお雛様だ。
蔵には母や祖母の雛飾りも桐箱で収められているが、時代ごとの流行りもあって人形の顔や拵えがそれぞれに異なるからひと目でわかる。
翔子の女雛の十二単は、「蘇芳の匂襲ね」といって、淡い蘇芳色から濃き蘇芳へのグラデーションが美しく、それらを最も内側の深い草色が引き締めていて気高い。
母の実家は西陣の織問屋『匠洛』だけあって、衣装には織元の矜持が随所に込められていた。
桃の節句に女の子が生まれたことをよろこび、別誂えで調えられた十二段の雛飾りは、翔子がまもなく一歳の誕生日を迎えるという立春の日に届けられた。
翔子はやっとつかまり立ちしたころで、ちょろちょろとせわしなく這いまわっては人形やお道具に手をのばすので新米ママの朋子はかたときも目が離せず冷や冷やしどおしだった。雛飾りを届けに来た母方の祖父母は、「そもそも人形遊びするためのもんやねんさかい、壊したら、また、こさえたら、よろし」と、いっこうに妊娠の兆しがなく気を揉んだこともあって、やっと授かった孫のすることに目を細めるばかりだった。
そうはいっても、誤って口にいれ飲み込んだらと思うと、朋子は気が気でなかったらしい。
「翔子はね、パパに似て赤ちゃんのころから好奇心のかたまりだったのよ」
「コーキシンのかたまり?」
小学校への入学を控えた二月はじめの春浅い日だった。
前日に降った雪が庭の隅で静かに溶け、やわらかな陽が縁側からさしこむ和室で桐箱からお雛様を出しながら、母は思い出したようにくすくす笑う。
「コーキシン」て、何の芯だろう。それが塊になるとどうなるのだろう。翔子にはちっともわからなかったが、「パパに似ている」といわれて満足だった。それにママもうれしそうに笑ってるもの。口の端をほんの少しあげてふわりと微笑む母の笑顔を目にすると、あたたかくてやわらかなものに包まれ、翔子の頬にもしぜんと笑みが浮かぶのだった。
母の笑顔を父は「春の海のようだ」という。漱石は「I love You」を「月がきれいですね」と訳したそうだが。父にとっては「春の海のようだ」がそうなのだろうと、翔子はいつのころからか思うようになった。
居間のソファに腰かけ、テーブルに並べた親王飾りを間にはさんで、父はジャンに滔々と語っている。米寿を迎えても声には変わらぬ張りがあり、よどみなく披歴される知識の川には終わりがなかった。
ふふ、お父さんは相変わらずね。
翔子はひそかに笑みをこぼしながら、母の後を追ってキッチンへ向かう。
かつて土間だった台所は、離れの改装の手ついでに土間を閉じ、板間のキッチンに改められた。
朋子のお腹に翔子がいたころだから、もう五十年は経っている。流し台やコンロは十年ほど前に新調されているが、水屋箪笥や食器棚は歳月を経て飴色の光沢をはなつ。イギリスも古いものを大切にするお国柄だから、百年を優に超したカップボードが風格と共にあるのをよく見かける。翔子はそんな時を重ねてきたものたちが愛おしい。
母が手入れを怠らずに磨いてきた水屋箪笥の角を指で撫でていると、ポットを火にかけながら母が後ろ背で翔子に声をかけた。
「和さん、そこの紫陽花柄の急須を取ってくださいな」
翔子はとまどった。
「お母さん、和さんは二十年以上前に亡くならはったでしょ」
「あら、いやだ。そうね。つい、癖で」
振りかえって鷹揚な笑みをこぼす母は、いつもと変わりがない。
和さんというのは、祖母登美子に長年つかえていたお手伝いさんだった。 祖母が離れに居を移してからは、もっぱらそちらにいて、母屋ではあまり見かけた記憶が翔子にはない。祖母よりも十は年かさだったが、働き者の頑丈さもあって、祖母の最期を世話して看取ったのは和さんだった。そこで何かがぽきりと折れたのだろう。登美子の後を追うように、まもなく急逝した。
あれからもう二十年以上は経つ。でも、母の口ぶりは昨日のことのようだ。
そういえば。「雛人形は湿気を嫌うから、お節句が終われば、からりと晴れた日に片付けるのがいいのよ」と昔、母が言っていたことを思い出し、ようやっと「虫干し」に覚えた違和感が腑に落ちた。
梅雨入り宣言が明日にでも出そうなこの時季に、本来、虫干しなどしてはいけないのだ。
母のなかで何かが少しずつ齟齬を来たしはじめているのだろうか。
翔子は胸がすっと冷え、白磁に紫陽花の描かれた急須をもつ手がふるえた。
盆に茶菓子をのせ居間に戻ると、父の講義は途切れることなく続いていた。
庭の築山の裾で鞠の花をゆらす白紫陽花に翔子は足をとめる。周囲の緑に点を打つ白が、ぬるくまとわりつく空気を忘れさせ、ひとひらの清涼を添えていた。高校生のころに母と植えた一株も、もう何代目だろう。
父が語りだすと、母はアールグレイの茶葉をいれたティーポットとしゅんしゅんと湧いたケトルを用意するのが常だったが、日本好きのジャンへの心遣いだろう、人肌に冷ました湯で白磁の器に丁寧に玉露を淹れ、流水をかたどった干菓子を盆にのせた。
涼やかに透ける水の流れをデザインした飴干菓子に、きっとジャンは感嘆の声をあげる。やっぱりお母さんは、ジャンのよろこぶことをよくわかっているじゃない。翔子は安堵の吐息を細く漏らす。
それに。あれは『一保堂』さんの煎り番茶の香りだ。
玉露用とは別のヤカンで沸かしていた湯に今しがた母が茶葉を入れたのだろう。盆をさげた翔子の背を独特のスモーキーな香が追いかける。
煎り番茶は京番茶ともいう。
かなり癖のある番茶で、京都特有のものだ。大きく育ちすぎた玉露用の茶葉を揉まずに開いたまま煎っているので、燻した煙がくゆらす強い香りがする。
好みのわかれるきつい匂いのため店頭には並んでおらず、注文すると店奥から錫色の缶にしまわれたそれを出してくれる。缶の蓋を開けただけで煙草のような濃い香りが辺りに漂う。観光客だろうか。その匂いに顔をしかめる人もいるため、たいていは「えらい申し訳ありまへんが、こちらで」とカウンターの端でそっと用意される。茶色い筒形の紙袋に口をしっかり閉じて詰められているにもかかわらず、袋の外にまで個性的な香が漏れる。
翔子はこの匂いが好きだ。母から頼まれて大学の帰りに寺町の本店で求めるといつも、袋に顔を寄せてスモーキーな香を胸いっぱいに吸い込んでいた。
夏になると翔子は冷やした煎り番茶を好んだ。それを母は覚えている。
うん、大丈夫。と翔子は自分に言い聞かせ、庭から視線を戻して居間へと盆を運んだ。
「日本のスイーツは食べるのがもったいないね」
案のじょう、ジャンは水色の干菓子をつまみ、陽に透かして目を細めている。
「それは流水文様といってね、日本の絵画によく用いられる記号だよ」
すぐに父は日本の文様について解説をはじめた。
「ジャンは浮世絵や狩野派の日本画が好きなようだが、江戸小紋は知ってるかね」
「歌舞伎の人気もあって、『鎌わぬ』とか『斧琴菊』とか、役者紋という洒落っ気のある文様も流行してね‥‥」
いつしか父の話は江戸の文様へと変遷していく。水の流れのごとく自然によどむことなく、そのみごとさが耳に心地よく、泡立ちかけていた翔子の気持ちを落ち着かせた。
しばらくすると、濃く煮だした煎り番茶を氷の浮かんだピッチャーに入れ、母が盆にグラスを添えて運んで来た。
翔子はさっと立って、母の手から盆を受け取る。
「あら、翔子ちゃんはどこに行ったのかしら」
母がソファに腰かけた面々に順に視線を走らせながらつぶやく。膝をついてグラスをテーブルに配っていた翔子の手が空中で静止する。
「朋子。翔子は、お前の隣に居るよ」
父が静かにいう。
「あら、いやだ。気づかなかったわ。翔子ちゃん、かんにん」
母は何もなかったように謝り、ジャンに視線を移して
「そうそう、お風呂も沸かしてありますよ」という。
翔子は息をとめて父を見つめる。
「お父さん、確か書斎にレヴィ=ストロースの『野生の思考』があったと思うの。いっしょに探してもらえない?」
ジャンと母が風呂場に向かったのを見計らって、翔子は湯呑や皿を盆に片付けながら父をうながす。
「ああ、それなら確か‥‥」
父はテーブルに手をついて腰をあげると、すたすたと書斎に向かった。
翔子は洗いものを済ませてから書斎の扉をノックした。
「お入り」
書斎机の椅子をくるりと回して振り返った父の背に、孟宗竹の隙を縫って光量を削がれた陽がやわらかに影を投げる。どんなに陽射しのきつい夏でも、この部屋だけは森閑としている。
翔子はこの書斎が子どものころから好きだった。赤いビロードの讃美歌集を見つけたのも、ここ。物語の世界へと旅したのも、ここだった。
書斎の扉を開けてはじめて、わが家に帰って来たことを実感する。そうだ、ジャンもはじめて書斎に足を踏み入れると、「アメイジング」とつぶやき無言で壁から壁へと眺めて回っていた。
レヴィ=ストロースの『野生の思考』は、すでに本棚から抜き出され、オークの木目が美しい書斎机の上に置かれていた。白地にパンジーの絵が描かれた表紙に、窓から射し込む光が陰翳を重ねている。
翔子は表紙をそっと指の腹で撫で、手に取る。
表紙のスミレは、フランス語の「思考」と「パンジー」が同じ「パンセ(pensée)」という単語であることの隠喩だよ、と高校生になったばかりの翔子に教えてくれたのは父だった。
「お父さん、もう、見つけてくれたのね。そう、これこれ」
翔子は書斎机の角にもたれてページをめくる。啓志は娘の姿を椅子に腰かけたまま静かに見つめ、おもむろに口を開いた。
「その本は口実だろ。まあ、掛けなさい」
啓志はかたわらの安楽椅子をすすめる。翔子はページを閉じて、革張りのアームチェアに浅く腰かけ、前のめりで父を見据えた。
「お前も気づいたんだね、朋子の変化に」
翔子は膝に置いた『野生の思考』をぐっと握る。
喉が渇いて、言葉が出ない。
ああ、お父さん、その先を言わないで。
十時十二分で止まっていた診察室の柱時計を不意に思い出した。
止められるものなら、時間を止めたいと思った。いや、止めるのではなく巻き戻したいと願った。
でも、いったい、いつに?
それはほんの数分の、おそらくは瞬きするほどの時間だった。
時の流れがぐにゃりと歪められ、プールの底を水圧に抗しながら歩いているような感覚にとらわれた。目の前が白く透けるように揺らぐ。意識と視点が肉体を離れ、視界一面が白く霞んだ空間にいるような錯覚にとらわれた。手も硬直し動かない。呼吸すらできているのか、怪しかった。
二重写しになって彷徨っていた視点がようやく戻ってみると、網膜を占拠していた白は、『野生の思考』の白い表紙だったのだとわかった。視線をずらすと濃い紫と黄色のパンジーがあり、瞳はうっすらと薄い靄にかすんでいた。
うつむいて固まっている翔子の頭上から、父の言葉が降ってきた。
「玲人君に診てもらったんだがね、認知症の初期だそうだ」
大きな滴がひとつ、パンジーの絵の上に落ちて崩れた。
「暑くなってきたね」
陽は射しこまずとも、ぬるく居座る熱気はすべりこむ。
父は立ちあがると、書斎机の前の窓を閉め、エアコンのスイッチを入れる。モーターが眠りから覚める鈍い音がする。
書斎にクーラーが付いたのはいつだったかしら。もう、機械も年代物だわ。
翔子はぼんやりとそんなことを思った。何もかもが昨日のことのように思えるけれど、時間は確実に経っていたのだ。
『野生の思考』を握る手をつっかえ棒にして、ようやく言葉を絞り出す。
「いつ‥‥から」
「はっきりと気づいたのは、去年の秋だ。玲人君の診療所に来た女の子を翔子とまちがえてね。『れい兄ちゃんの邪魔をしちゃだめですよ』と言って、手を引いて母屋に連れていこうとして、ちょっとした騒ぎになった。今から思えば、それ以前も河原町の高島屋でトイレに行ったきりなかなか戻らなかったりもしていたから。確かなことは、わからないんだよ」
翔子は昨年の春に一時帰国していた。
だが、ひと月後に控えた『古書フェア』の準備もあって、珍しく二週間滞在しただけでイギリスに戻った。慌ただしい滞在だったこともあって、母の変化に気づく余裕がなかった。
その迂闊さに、みぞおちがぎゅっと痙攣する。
だけど。去年の春に気づいていたとして、私に何ができたのだろうか。
「お母さんは‥‥自分の病気のことを知っているの?」
「ああ。それを病気と呼ぶかどうかは別にして。玲人君と相談して、診断結果を伝えたよ。認知症の初期であること。記憶と理解にときどき齟齬が起きていること。それは人が老いていくふつうの過程であるということをね」
父の話は年老いて尚、理路整然としている。変わらぬ淡々とした整然さが、今は翔子の胸を掻きむしる。
書物で埋め尽くされた書斎の棚をぐるりと見渡す。ここには祖父をはじめ代々の蔵書であった医学書も多数並んでいる。けれども、それらを紐解いたところで、母をもとに戻すことはできないのだ。
ずっと逃げてきた。
老いていく両親をどうするかということから。芳賀家をどうするかということから。
日本に帰って来ることもできたのだ。ジャンなら「それも、いいね」と言ってくれるだろうことは、容易に想像できた。
それを。
また後で考えようと一年、二年と先延ばし、ずるずると時間が過ぎていくほどに、ギャラリーのお得意様もでき、顔なじみも友人も増え、しだいにイギリスに居ることの方が普通になって、日本語よりも英語の方が自然になったあたりから、日本へ帰るタイミングが潮の引くように遠のいていった。
まだ、大丈夫よね。
根拠もなくそう言い聞かせ、イギリスの暮らしを楽しんだ。
時が解決してくれるとよく言うけれど。時が難しくする問題もあるということを、若かった翔子は考えもせず、ずっと目を逸らし続けてきた。
だって、お祖父様の希望でもあるのだからと。
イギリスに留学する前日、翔子は書斎に呼ばれた。
「いつ渡そうかと、長い間、悩んだがね」
父は袖机の一番上の抽斗を引いて、丹塗りの漆の文箱を取り出した。蓋の中央には、長方形の枠内に蔦が絡まる植物文様がデザインされた金箔が嵌め込まれている。翔子はその模様に見覚えがあるような気がして、そっと指先で金箔をなぞる。
「おや、気づいたのか」
いたずらがばれた少年のような顔で父が笑っている。
「翔子のお気にいりの赤い讃美歌集があるだろ。あの本の留め具の透かし模様に似せて、知りあいの京漆職人に拵えてもらったものだ」
確かに似ている。ビロードの讃美歌集は深みのある真紅のため、漆の丹色とは色合いと風合いが異なるが、あの讃美歌集をイメージしているのだとわかる。
父が両手で蓋を持ち上げる。
うっすらと黄ばんで、明らかに歳月を経たとわかる紙が一枚だけ収められていた。
他には何も入っていない。
たった一枚の紙を収納するには器が立派すぎ、翔子は怪訝な顔で父に視線を移す。
啓志はその紙をそっと取り出すと、翔子に手渡した。
「お祖父様から、翔子への手紙だよ」
祖父は翔子が生まれる一年前に亡くなっていた。
万年筆のブルーインクが滲み、ぽつぽつと染みが浮いている。
「これはね、あの赤いビロードの讃美歌集に挟まれていた。翔子が生まれてくることを願って、予言した奇跡のような手紙なんだよ」
翔子という名は、祖父がつけてくれたと教えられてきた。
幼いころは、「ふーん、そうなの」ぐらいの関心しかなかった。長ずるにつれ論理的な思考が身につくと、自分の誕生よりも前に亡くなった祖父が、どうして名前を付けることができたのか疑問だった。
新しく芳賀家に生まれてくる子が女児であれば、『翔子』という名はどうであろうか。自らの信じるところに向かって自由に羽ばたく子であることを願う。この走り書きが誰かの目に触れることがあれば、一考の末尾にでも加えてもらえれば幸いである。
こんな手紙があったの?
翔子は息をのむ。
生きて会うことの叶わなかった祖父の筆跡をそっと指でなぞり、手紙から顔をあげ父を見つめる。
「もっと早くに渡そうと、思っていたんだがね」
「小さかったお前が赤いビロードの讃美歌集を持って駆け寄って来たときには、ほんとうに心臓が飛び跳ねそうになった。まさか、手紙が挟まれていた本を見つけてくるとは思いもよらなかったからね。信じ難い奇跡に、目をみはったよ。この手紙はあの時に渡そうと思った。でもまだ、お前は小学校入学前で、読めない漢字もたくさんある。だから、読めるようになったらと。初めは、そう考えた」
父はそこでひと息つくと、サイドテーブルに置いていたアイスペールから氷を二つのグラスにたっぷり入れると、ティーポットの熱い紅茶を注いだ。 グラスの中の氷山がたちまち崩れ、アールグレイの薫りがただよう。
翔子はイギリスへは七夕の朝に出発すると決めていた。
梅雨があけてから京の町は日に日に暑さをつのらせている。父の淹れてくれたアイスティーが、喉に清涼な流れとなる。
「中学の入学祝いに渡すつもりだった」
「だが、お前が成長するにつれて、言葉の持つ力を考えるようになってね。言霊信仰は、翔子も知っているだろ。日本は『言霊の幸ふ国』と万葉集に柿本人麻呂が詠んでいるように、言葉には力があると考えられてきた。だからね、お祖父様の願いが、翔子を縛ってはいけないと思うようになって、渡すことをためらった」
カラン、カラン。
父がグラスを揺らす。氷がぶつかる音が響く。
「でも、お前はこうして今、飛び立とうとしている。名前に込められたお祖父様の想いを知らずとも」
「やっと翔子に渡すことができて、良かったよ。心のおもむくままに自由に羽ばたきなさい」
父が乾杯するようにグラスを目の前にかかげる。
祖父の手紙は、明日、まさに飛び立つ翔子に大きな勇気となり、その後、翔子にとって、自らの生き方を肯定するお守りとなった。
以来ずっと、手紙を心の免罪符にしてきた。
「いいかい、翔子。人は揺れながら生きているんだよ。現代と過去、未来との間を、振り子のように」
――えっ?
翔子は膝に抱えた『野生の思考』のパンジーから顔を上げる。
窓からうすく射しこむ陽に、机上の顕微鏡が鈍く光るのが目の端に映る。
母の変化へのとまどいと自責の念。
その間をふらふらと行きつ戻りつしながら、気がつけば、留学前日に祖父の手紙を受け取った光景を思い出していた。丹色の漆の文箱は袖机の抽斗に、今も収められているのだろうか。
クーラーのモーター音が、翔子の思考の邪魔をする。あれからもう三十年も経ったけれど、エアコンが取り付けられた以外、この書斎は変わらない。だからかもしれない。無意識にあの日の自分に還ってしまっていた。
父の声は、凪いだ水面に起きた波紋のように翔子の耳膜に広がる。小石による大きな波紋ではなく、池畔でそよぐ一枚の葉がはらりと落ちて起こした静かな波紋だった。
「いいかい、翔子」で始まる話に、これまで幾度耳を傾けてきたことだろう。それは、翔子をいつも未知の世界へといざない、知識の扉が開くことを告げる鐘だった。
でも。今日はまったく意味がわからない。
肌にまとわりついて離れないこのぬるい空気のせい?
いや、母が崩れていくかもしれない不安のせいだ、たぶん。脳内回路が接続不良を起こし、霞がかかったように頭がうまく回らない。
お父さんは、いったい何を言いたいのだろう。
目の前の父は、顔に茶色い斑が所どころ浮かび、皺が深い渓谷を刻む。豊かだった髪もずいぶん薄く銀にしずまる。それでもすくっと背は伸び、姿勢は美しい。滑舌もはっきりとして、かつて講義で鍛えた腹式呼吸の腹から深く響くバリトンの声。そして、相も変わらず冗舌だ。
「これは私の持論だから、科学や医学の根拠はまったくないよ」
そう断ってから、父は語りはじめた。
「過去を振り返ると言うだろう。振り返るというのとは違ってね。人は『今』という時間だけを生きているわけではない。今と過去、そして未来のあいだを振り子のように振れながら等時性で生きていると思うのだよ」
父はおもむろに足を組み替え、黒革のチェアのアームレストに肘を乗せ、手を胸の前で合わせると、そうそう、とでもいうように、三角に組んだ両手をゆらして、少し前のめりになる。ひとつ短く息を継ぎ、「そうだ、あの話がわかりやすいだろう」と独白をはじめた。
「このあいだ市役所に行こうと河原町通りを歩いていて。そういえば、以前はこのあたりに『丸善』があったと思い出した。今は通りの向かいのビルに入っているが、閉店したときは本当に残念だった、ということも一緒に。それが引き金だったんだね。不意に学生時代のことがよみがえった。もう六十年以上は経っている。大学生だった私は木村と森という悪友とよくつるんで、バカなことばかりやっていた。その日も、森だったかな、『丸善』の店先でニヤリとしながら、コートのポケットからレモンを取り出したんだよ」
「梶井基次郎の『檸檬』‥‥」翔子がつぶやく。
「そう」
「丸善とレモンとなれば、それしかない。梶井の小説に描かれた丸善は、三条麩屋町にあった初代だから、河原町の丸善とは場所も店構えもちがうんだがね。そんなことは問題じゃない。小説と同じいたずらがしたかったのさ。入り口近くに平積みされた雑誌の上にレモンを置いて‥‥」
「どうしたの?」
「そりゃ、もちろん、逃げたさ。てんでばらばらに走り出して。『敵は本能寺にあり!』って喚きながら、本能寺の境内で合流してね。大笑いしたよ」
父のあざやかな青春時代。
写真はセピアに退色しようとも、記憶はいつまでも色褪せない。肩で息をしながら笑いこける青年たちに会ってみたかったと、翔子は思う。
「そんなことを映画でも観るように思い出しながら、現実の私は河原町通をまっすぐに北上していた。かつて丸善があった場所はとっくに通り過ぎても、ずっと頭の中で、あの日の映像を追い続け、ニタニタと思い出し笑いをしながら、気づくと、御池通りの交差点に着いていた」
そこでひと息入れると、父は立ち上がって書斎机の隣に置かれている腰高のサイドボードからティーポットとカップを取り出す。
「お父さん、私が淹れるわ」
翔子があわてて立ちあがる。
「そうか。じゃあ、お願いするよ」
サイドボードの上には電気ポットが置かれている。
父がケトルを使って紅茶を淹れなくなったのは、いつからだっただろう。
ケトルの先からひと筋の滝となって湯の糸が斜め上にするすると伸び、ティーポットに向かって落ちていく。あの手品のような美しい所作は、もう披露されることはない。
「手もとがおぼつかなくなってね。電気ポットでも、ちゃんと茶葉はジャンピングしているよ」そう言って笑う。
「さて、どこまで話したかな」
ティーカップを揺らしてベルガモットの香りに満足そうな笑みをもらすと、翔子の淹れたアールグレイをひと口すすった。
「河原町御池の交差点よ」
「ああ、そうだったね」
啓志はカップをソーサーの上に置いて、椅子に深く腰掛け直し、答えを探すように天井へと視線を走らせる。
「物理的な私の肉体は、現実の『今』という時間に在って、すたすたと河原町通りを歩いていた。けれども、頭のほうは六十年昔の『過去』の時間をなぞっていて、私の視覚は現実の河原町通りの光景を見ているようで、そこに二重写しで過去の映像を見ていた」
「あの数十分、私は今と、六十年前と、どちらの時間にいたことになるんだろうね」
啓志は問いかけるように翔子を見つめる。
「人は、たった今、目の前で起きている事象だけを見て生きているのではないと思うのだよ」
「肉体は時空を超えることはできないけれど、意識や心は、わりと自由に今と過去、未来の間を無意識ともいえるくらい自然に行き来している」
「うまく説明できないけれど、わかるかい?」
ああ、それならばわかる。
だって、ほんの今しがた翔子は、三十年前の留学前夜、祖父からの手紙をこの書斎で渡されたシーンをありありと思い浮かべていたのだもの。思い出そうとして思い出したのではない。気がつけば、あの日のことが胸に去来していた。
そんなことは、日々、いくらでもある。
「だからね、朋子が昔の時間や思い出にぱっと行ってしまうのも、きわめて自然なことで、幸せなことだと思うんだ。今と過去との境目がときどきわからなくなるけれど。昔の時間を楽しんでいることにはちがいないだろ」
「朋子はね。昔から、どんなことも、あるがままに静かに受け入れてきた。私にはかなわないくらい大きな器をもった春の海のような人だよ、君のお母さんは」
「だからね。こんどは私が、静かに朋子の変化を受けとめ、ありのまま見守ってやろうと思っている」
「それにね。また、昔の朋子に出会えて、ともに懐かしい時間を過ごせるんだよ。こんなに素敵なことはないじゃないか」
父は穏やかな笑みを浮かべながら、アールグレイを飲みほした。
第4章:母・朋子
翌日は、朝から細い雨が降っていた。
軒を跳ねる規則的な雨音で翔子は目を覚ました。
朝食の準備を手伝うつもりでいたのだが、時差の影響が抜けず、起きるのが遅れた。あわててキッチンに駆け込むと、割烹着をつけた母が最後のひと品の塩鮭を焼きあげ皿に盛りつけているところだった。
「お母さん、おはよう。手伝おうと思ってたのに」
「ほな、これ運んでちょうだい」
テーブルに並べられた膳には、すでにジュンサイの酢の物に小松菜の煮びたし、それに茄子と胡瓜と茗荷の漬け物、生麩の吸い物が調えられていた。
翔子が鮭の塩焼きを膳に配っていると、藍の縮の作務衣姿でジャンが「オハヨウゴザイマース」と鴨居に額をぶつけぬよう、高い背を少しかがめてキッチンに入ってきた。
すばやく膳に目を走らせると顔をほころばせ「サンクス、マーム!」と感嘆の声をあげる。馴れたもので、素足でぺたぺたと歩いている。
ジャンはこの家ではスリッパを履かない。畳の感触をぞんぶんに足裏で堪能したいらしい。板の間は冷えるでしょ、と翔子が気遣うと、ノープロブレムと返す。廊下も縁側もよく磨かれているから、素足に心地いいらしい。
結婚前にはじめてジャンを実家に伴った日、彼は畳を目にすると興奮し感動をあらわにした。ちょっと大げさ過ぎない?と、翔子はジャンの昂ぶりに驚いた。畳など古くさいものと思っていたから。
「何をいうんだショーコ。すばらしいじゃないか! 写真で見たことはあったけど、さわったことがなかったんだ」
スリッパを脱いで玄関からすぐの広間を歩き回ると、翔子のかたわらで声を落として「靴下も脱いでいいかな」とささやき尋ねる。いいわよと答えると、とたんに目を輝かせ、両足から靴下をはぎ取ってポケットに丸めて突っ込み、子どものようにはしゃぎまわった。
ヨーロッパでは干し草をベッドにしても、積みあげるだけで、こんなふうに草をきちんと編んだりしない。板とちがって体を横たえても固くないし、冷たくもない。絨毯のように毛羽だってないから夏でもさらっと心地よくて、しかも清潔だ。なんてすばらしい、とジャンは早口でまくしたてる。
それをにこにこしながら聞いていた父が、「畳は平安時代、今から千年以上も昔からあったんだよ」と教えると、「オーマイゴッド!」と絶句していた。
翔子はそれをくすっと思い出す。
ふふ。ジャンのおかげで日本の良いところに、たくさん気づかせてもらったわ。
ジャンの素足が、きゅきゅっと音を立てる。
「季節は過ぎてるけど。好きでしょ?」
母はそう言って、ジャンの前に、目覚めの一杯にと桜昆布茶をそっと出す。湯にほどかされて、薄紅の花びらが透けてたゆたう。中国の工芸茶もすばらしいが、ぼくは桜昆布茶のほうが好きだね、とジャンはいう。工芸茶はパフォーマンス的にも華やかだけど、桜昆布茶の可憐さがいい。それにソルティーだしね。
お茶がソルティーというのは、ジャンにとって衝撃だったそうだ。
そういえば、紅茶にもコーヒーにも砂糖は入れても塩は入れない。ひるがえって緑茶に砂糖なんて考えられない。紅茶と緑茶は、もとは同じ茶葉なのに。不思議だと翔子は思う。
そんなことにも、ジャンが気づかせてくれた。視点が異なると見えてくることの、なんと多いことだろう。
ジャンは隣で淡く開いた桜の花にしばし見惚れ、ゆっくりとすする。
昨夜、母が認知症の初期だということを伝えた。そして、父の考えも。
「さすが、お父さんだね。すてきな考えだと思うよ」
ジャンが好きな桜昆布茶を、そっと出してくれる母の心遣いが、二重の意味で今朝の翔子にはうれしかった。
「お義母さん、えらいお待たせして、すみません」
淡い浅葱色が涼やかな絽の着物に着替えた朋子が、縁側からぱたぱたと翔子のもとへ駆け寄る。
軒が深いので、これくらいの雨ならガラス戸をしめることはない。庭の築山の裾で白紫陽花が揺れている。
朝食のあと、庭に面した和室でくつろいでいた翔子は、はっと父に目を走らす。
――お母さんは、私をおばあちゃまと勘ちがいしている。
祖母のふりをすればいいのか、まちがいを訂正すればいいのか、翔子にはとっさに判断がつかなかった。
芳賀家の一人娘という立場だけでなく、黒目がちの大きな瞳にすっと通った鼻梁、翔子は祖母登美子の若いころに容貌も似ているとよく言われる。母が嫁いできたころ、祖母はちょうど今の翔子くらいの年代だったから、まちがえるのも無理からぬことだ。
「今日は、野宮神社に行くのでしたね」
母が帯揚げを整えながら小首をかしげる。そのしぐさに、翔子は祖母のふりをしようと心に決め、「ええ」と応えかけたそのとき
「朋子、そこに居るのは翔子だよ」と、父の声が重なった。
「あら、ごめんなさい。翔子ちゃん、ますますお義母様によく似てきて」
母が臆面もなく微笑む。そのやわらかな笑顔に、翔子はそっと吐息をもらす。
「お母さん、野宮さんに行くつもりなの? 雨なのに」
あいにくの雨に今日はどうしようかと、ジャンと話していたところだった。
「嵐山の野宮神社か。いいね」父が相槌を打つ。
「ええ。昔、お義母様に連れていっていただいて。ちょうど、今日みたいに出がけは小雨まじりでしたけど、着くころには雨があがって、樹々の梢で滴が光って。それはそれはきれいで」
母がうっとりと思い出すように語る。
何かを思いついたのだろう、父は向かいであぐらをかいているジャンに視線を移す。
「ジャンは、加山又造画伯、マタゾウ・カヤマを知っているかね?」
「猫の絵の‥」
「サファイアブルーの目が印象的なシャム猫の絵。あれは有名だね。猫ではなくて、彼の描いた龍を見たくはないか? 猫の絵とはまったくタッチがちがってね」
「ドラゴン! それは、見たい。どこの美術館にある?」
「美術館ではなくて、天龍寺の天井に居るよ」
「天井画。オー、ジーザス!」
ジャンが目を輝かせる。
「あれ? でも、天井画の龍は、カノウタンユウでは?」
「お、さすがによく知っているな。狩野探幽の雲龍図は妙心寺だね。あれも迫力があるが、天龍寺の加山又造の龍もなかなかのものだよ」
「見たいデス!」
ジャンが啓志ににじり寄る。
「よし、じゃあ決まりだ。みんなで嵐山に行こう」
「翔子、タクシーを呼んでくれないか」
竹林の小径の入り口でタクシーを降りた。
わずかにそぼ降る雨が残っている。
小柴垣に囲われまっすぐ天に伸びる竹が、高い先をしならせ両側からなびき、小径を天蓋のように覆う。このくらいの雨なら傘は要らない。笹が微小な雨粒のヴェールをまとい、下から見あげる緑はいっそうあでやかで清冽だった。
映画やドラマの撮影でよく使われ、嵯峨野の風情をかきたてる竹林の小径は、野宮神社からはじまり大河内山荘へと抜ける。
雨の午前中だというのに、すでにけっこうな人出だった。
バックパックを背負った外国人観光客が多い。
いつからこんなに増えたのだろう。帰国するたびに驚かされる。
でも、まあ、嵯峨野は昔から人気が高いし、彼らが日本に求めるイメージがこれほど揃っているところもないだろう。
小径の辻々からあがる感嘆の言語も多彩で、それらが打ち重なり響き合い、さわさわと竹の隙を縫う風に乗って不思議なハーモニーを奏でていた。
ジャンにとって嵯峨野は、確か二度目だ。
二十数年前、結婚してはじめて帰国した折、どこに行きたいかと尋ねると、「アラシヤマ、サガノ!」と興奮していた。そのリクエストに翔子はちょっとがっかりした。ジャンでも京都といえば嵐山なんだと。定番の場所をまっ先に挙げられたのを、残念に思ったのだ。
でも。とすぐに思い直した。私だって、ロンドンに降りたった日、まず向かったのはタワーブリッジとビッグベンだったもの。同じね。
あの日は、今日とはちがって秋晴れの空がどこまでも高く穏やかだった。
紅葉の季節には早かったのと、インバウンドという単語が流行する前で、京福電鉄の車内はそこそこ混んではいても、窓外の景色を楽しめるくらいだった。終点の嵐山で降りてレンタサイクルで周った。嵯峨野は竹林と渡月橋だけではないのだと、教えたくて。
落柿舎あたりまで行くと、人影もまばらで、畦道ですすきが黄金色に透けて風になびいていた。
ジャンが野宮神社の鳥居前で立ち止まっていると、父が追いついた。
「このあたりは、古くは野宮といってね、とても清らかで神聖な場所とされていた」
父が語りはじめる声を背で聞きながら、翔子は母と「はじまったわね」と目で笑う。
それほど声量があるわけではないのだが、父の声はよく通る。そして、さまざまなことに精通している。
翔子は幼いころその話が聞きたくて、父が家に居るとたいてい、息づかいが聞こえる距離にいた。今は、ジャンがそうだ。日本を訪れると、啓志から離れない。
翔子は後ろを振り返って、くすりと微笑む。
ジャンは高い背を少しかがめながら耳を傾けている。熱心な生徒だ。
「日本には古来、斎王というしきたりがあってね」
父の低い声が竹林の風に乗る。
「サイオー?」
ジャンの少し高い声がアルペジオで追いかける。
「神に仕える女性を巫女というのは知っているね。斎王は、日本の巫女のトップだ。未婚の内親王つまりプリンセスが、最高神の天照大神に仕えるために伊勢神宮につかわされる。彼女たちが斎王だ」
「清らかであることが必須条件でね。斎王に選ばれたプリンセスは、宮中で一年間、禊をする。それから、洛外の清らかな場所に『野宮』を建てて、そこでさらに一年禊をしてから、伊勢に向けて旅立つ」
「昔は、野宮の場所は定まっていなかった。占いで決めていたが、どうも嵐山のあたりが多かったそうだよ。平安時代のこのあたりは、美しい草原と竹林の広がる人里離れた清々しい野だったんだろうね」
「ジャンは『源氏物語』は知っているだろう?」
「プレイボーイの物語」
「そう。平安時代はプレイボーイものが好まれたようだ。『伊勢物語』もそうだしね。『源氏物語』に「賢木」という巻がある。六条御息所という『源氏物語』のなかでも断トツに個性の強い女性がいる。身分も高くて、気位も高い。それゆえに生霊にまでなってしまう激しい女人でね。彼女の娘が斎王に選ばれた。幼い娘をひとり伊勢に行かすには忍びないと、六条御息所もこの野宮で娘といっしょに禊をしているところへ光源氏が訪ねて来る。この場面は能にもなっているんだよ」
「今では平安時代の静けさや寂しさとは無縁の人気スポットになっているがね」
雨はもうあがったのだろうか。
鳥が梢を揺らしたひょうしにぱらぱらと滴が落ちてくるくらいで、樹々に深く抱かれた宮にあっては、霧雨はミストとなって空気を清らかにしていた。
背後から切れ切れに聞こえる父の解説に耳を澄ましていると、並んだ隣から不意に、細い声がかかった。
「お義母様、なかなか子が授からなくて、えらいすみません」
母が翔子を見あげている。翔子は足を止める。
――また私をおばあちゃまとまちがえている。
でも、もうとまどうことはない。お父さんが手本を見せてくれた。
「お母さん、私は翔子よ。おばあちゃまじゃないわ」
「あらあら。また、まちがえてしもうて、かんにん」
「お義母様とね、お参りに来た日も小雨が降ってて、今日みたいやったの。それで‥‥」
「まちがえちゃったのね」
「かんにんぇ。それにしても、ほんまにお義母様によう似て。凛としたところも。お義母様が立ってはるみたいやわ」
「じゃあ、おばあちゃまに、なりきろうか?」
「いいや、それは、ええよ。翔子は翔子だからね」
母はにっこりと笑う。浅葱色のきものの肩に雨がひと粒はねる。
「結婚して二年経っても子どもができなくてね。心配したおばあちゃまが、あっちこっちの神社に連れてくれはって」
母と並んで黒木の鳥居をくぐる。石畳が雨に洗われ、朱塗りの社殿も目にあざやかだ。
「いろんなお宮さんにお参りしたのよ。わら天神さんとか、えーっと何て言ったかしら、兎がお守りしてる……」
「岡崎神社?」
「そうそう。あそこは兎の神使が愛らしくて。ついついお守りをいくつも買うてね」
「お参りの後には、ぜんざいやらあんみつやら、甘いものをいただいて。それも楽しみやったの」
「室町の母は、お店があるから忙しくて。いっしょにお参りとか行ったことがなかったのよ」
母の実家は西陣の織元だ。昔ながらの老舗で、とうに有限会社化してはいたが、祖父は名ばかりの社長で、表の暖簾を守っているのは女将である祖母だった。
つくづく京は女の町だと思う。舞妓や芸妓を預かる置屋を守っているのも女将。料亭や料理旅館でも、店の顔として挨拶するのは女将だ。
『匠洛』の暖簾を守っていた祖母は忙しく、娘と出かける暇などなかった。
「だから、嫁いできて、お義母様とあちこちご一緒できるのが、嬉しくて」
ふふ、と母は遠い目で微笑む。
妊娠がわかるまで祖母からキツく当たられていたと、手伝いの和さんから聞いたことがある。「奥様は、歯に衣着せはらへんでっしゃろ。若奥様は、よう耐えはりましたぇ」
和さんの言葉を思い出した。
「私ができるまで、おばあちゃまにキツイこと言われてたんとちゃうの?」
あら、と母が驚いた顔を向ける。
「そんなこと、誰から聞いたのかしらね。おばあちゃまは、思ったことを思ったようにしか言わはらへんお人やった。翔子もわかると思うけど、京都では珍しいでしょ」
そうだ。京都人は、歯に衣を幾重にも着せる。本音をはばかる。
そんな土地で育ったというのに、祖母の登美子は感情がまっすぐに言葉に乗る人だった。機嫌が良いか悪いか、何を望んでいるのかが、幼かった翔子でもわかるほどに。
「芳賀の家に嫁ぐまで、お義母様みたいな女性に会ったことがなかったの。しっかりしたお姉様のようなのに、でも、ときどき子どものようにわがままで。言いたいことをはきはきとおっしゃり、くるくると表情やご機嫌が変わる。お義母様の言葉には、裏というものが微塵ものうて。そのまま受けとめたら、いいでしょ。嫁として、こんなに気持ちの楽なことはなかったから。私は果報者だったのよ」
手水を使いながら、遠い日に目を細める母を翔子は眺める。
父は母のことをよく「春の海のようにすべてを受け入れ穏やかだ」という。それがわかるような気がした。
ふたりして参拝を待つ列の後ろにつく。そのあいだも母は祖母のことを語り続けた。
「何より、私じしんが子どもを産みたかった。お義母様とおんなじ気持ちだったの」
「それにね。芳賀は医者の家で、辰郎大叔父様は産婦人科医でいらしたのだから、不妊治療については、お義母様もご存知だったと思うのよ。でも、不妊治療をしなさいと、言われたことはなかった。私の体のことを思ってくださったのでしょうね。それがわかっていたから、どんなことを言われても平気だったの」
「でもね」と、母はちらっと後ろを伺い、声をひそめる。
「啓志さんは、お義母様が私にキツイこと言わはるたびに怒ってはった。私のせいで、啓志さんとお義母様の仲が悪うなるのが、辛くてね。それだけが、堪えた」
「啓志さんがかばってくださるのも、それはそれでうれしかった。だから、どう伝えればいいのかがわからなかったの。だめね、私って」
「お父さんは、私のことを『春の海のようだ』とほめてくださるけど。そんなことはないのよ。うまく言葉にできないから、にこにこして聞いているだけ。それだけなの」
朋子はため息をつきながら、朱のあでやかな宮を見つめる。
本殿の前で、ふたり並んで鈴を鳴らし柏手を打つ。母は何かを熱心に祈っていた。社殿に向かって深く一礼をすると、振りかえり、こんどは翔子とジャンに深々と頭をさげる。
「翔子ちゃん、あなたに謝らなければ、とずっと思っていたの。ジャンにもね」
「えっ?」
翔子が驚いたそのとき、かたわらを通り過ぎたブロンドの青年のバックパックが、背を曲げた母の帯に当たった。うつむいたままの朋子はバランスを崩しよろける。それをジャンがさっと抱き留めた。
「あら、ごめんなさい。ありがとう」
母は両手でジャンにしがみつく。ジャンが母の脇に手を添えて、少し持ち上げ、そっと石畳の上に降ろす。
「朋子、混んできたようだから、続きは昼を食べながらにしよう。タクシーも待たせているし。『吉藤』はどうかな」
「まあ、嬉しい。あなたとお見合いした場所ですね」
母が少女のように頬を染めて顔をあげた。
タクシーは切妻屋根のある門の前で停車した。
門をくぐると、竹林の小径を思わせる小柴垣に守られた竹がエントランスまで続く。縦長の切り石を変わり短冊に連ねた敷石のすきまを、御影石の玉砂利が埋め、それらの黒白が雨に艶めいていた。
「芳賀様、いつもご贔屓にありがとうございます」
「急ですまないね」
通されたのは、嵐山を借景に桂川を望む一室だった。
「あら、まあ」
母がよろこびの声をあげる。
「あなたとお見合いをしたお部屋ですわ」
「そうだね」
父も相好をくずす。
「そういえば、あの日も、君は水色のきものを着ていて。花のころで、肩に散った桜が水面に浮かんだ花びらのようだった」
「まあ、そうでしたかしら」
「ほら、あの桜だ」
父は広縁に出て、桂川に臨むように枝を張っている桜の古木を指さす。母がその隣に佇む。
少し丈の縮まったふたつの背越しに、歳月を悠然とまとった古木が見え、桜の舞い散るなか、ここで出会った若き父母のことを翔子は思う。
まだ、見合い結婚が主流だったころだ。古い家ほど家と家の婚姻であり、女のほうから相手の不足を申し立てるなど有りえなかったそうだ。
「だからね」と、母は語った。
あれは、翔子がジャンとの結婚の許しを請いに帰国した折のことだ。
離れの茶室で母の点ててくれたお薄をいただいていた。
「私はほんとうに幸運だったの。だって、お見合いの席で啓志さんにひとめぼれしてしまったのよ」
ふふ、と笑みをもらしながら、朋子は志野茶碗を翔子の前に置く。
翔子がそれを三口にわけて飲み干し、「けっこうなお点前でした」と一礼し、姿勢をなおらい膝に手を置くと、母は翔子のその手を上から包みこむように握った。
「ジャンは、あなたとの出逢いを運命だと言っていたわね」
「だから、大丈夫よ。幸せにおなりなさい」
並んで庭を眺めるふたりのもとに翔子が歩み寄ろうとすると、ジャンがそっと肩をつかんで引き止めた。
「座って待っていよう」
翔子ははっとした。
そうね。夫婦の時間に、むやみに入ってはいけない。父と母は、はじめて会った日のかけがえのない時間をなぞっているのだもの。
子どもを家族の真ん中におく日本とはちがい、欧米では夫婦の時間を優先する。イギリスで暮らしていると、子のいないこともあって、カップルの時間を大切にするのは当然だと思っていたけれど。
だめね。日本に帰ると、つい、父と母に両手をつながれ、家族の中心にいた幼いころの感覚にもどってしまう。
私にはジャンがいる。母に父がいるように。
翔子は隣に座ったジャンを見あげる。
「ねぇ、翔子。これは何て書いてあるの?」
ランチョンマットの代わりだろうか、テーブルには手すき和紙が置かれていた。そこに流麗な散らし書きで和歌のようなものが書かれている。
「ごめん、私には読めないわ」
翔子の声に啓志が振り返り、朋子をうながし席につく。
「どれどれ。ああ、これは百人一首だ。それぞれ別の歌が書かれているね」
「桂川の向こうに見えているのは嵐山だが、反対側に小倉山がある。小倉山の別荘にこもって藤原定家が、百首の和歌を選んで編纂したから『小倉百人一首』。ここは百人一首の里だから、それにちなんでいるんだろう」
「ジャンのは、『瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ』だね。有名な恋の歌だ」
「岩にせき止められて川が二つに分かれても、また一つになるように。私たちも今は別れてもきっと結ばれますよ、という意味だよ」
「オオ、運命ですね!」
ジャンが和紙を手にとり感嘆していると、「失礼いたします」と声があり、からからと煤竹の引き戸をあけて女将が入ってきた。
「お待たせいたしました。野点弁当をお持ちいたしました」
女将に続く仲居たちが、野点に用いる竹ひごのついた手提げ型弁当箱を配膳する。抽斗になった竹の三段重が清々しい。椀物もついている。抽斗を一段ずつ取り出し、配膳するたびに、ジャンがよろこぶ。
「これは、女将の筆かな」
「へぇ、そうどす」
「なかなかの達筆だね」啓志がほめる。
「まあ、おおきに。お目汚しですけど」
「ジャンが気に入ったようだから、いただいて帰ってもかまわないかな」
「そんなんでよろしかったら、どうぞお持ちになってください。では、どうぞごゆるりと」
戸が閉まったのを確かめて、翔子は母に向き直る。
「お母さん、野宮さんで言いかけたことは、何だったの?」
「私とジャンに、何を謝ることがあるの?」
神社を出てからずっと気になっていたことを尋ねる。
朋子は取りかけた箸を置いて、姿勢をただす。
「私はね、翔子ちゃん、あなたを授かるまで五年もかかったでしょ」
「きっと、子どものできにくい体質なのね」
「あなたたちが子どもを授からなかったのは、私からの遺伝だと思うの。ごめんなさいね。かんにんしてね」
母は席をずらして、三つ指をつき頭を下げる。
「お母さん、そんなことを気にしていたの‥‥」
翔子は絶句し、すぐに我に返って、あわてて早口で言葉をたたみかける。
「私は、お母さんやおばあちゃまのように、どうしても子どもを欲しいと思ったことはない。ジャンは、どう?」
「頭あげてください、お母さん。翔子は僕にとって運命です。翔子と一緒にいる。それがたいせつ。ヨーロッパでは子どもと大人の世界、分けて考える。生まれればうれしい。だけど、欲しいと願うないです」
顔をあげた母の頬にひと筋、光るものがあった。
いつも凪いでいる水面の下で、母はこんな波を抱えていたのか。
イギリスで暮らしていると子どものいないことを気に懸けることはない。
だから、日本に帰って大学時代の友人たちとランチをすると、話題のたいはんが子どもがらみなのには、正直、うんざりする。彼女たちに悪気がないことはわかっている。子のいない翔子は適当に相槌をうつぐらいしかできず、彼女たちとの間に薄い膜のようなものがあって、ぱくぱくと喋る金魚を見ているような心持ちがしてくるのだ。
日本にいれば、私も子どもを欲しいと願うようになったのだろうか。
「お母さん、私は子どもを欲しいと思ったことはない。これは本心よ。欲しければ、それこそ不妊治療だってできた。でも、そんなこと、これっぽっちも考えなかったし、ジャンから望まれたこともない。子どもがいなくても、じゅうぶん幸せだったもの」
「さあ、お料理を美味しいうちにいただきましょう」
翔子は立って母のかたわらに寄り、手をとって座布団に座り直させる。翔子のその手を、母は両の手で包みこみ押し抱くようにして
「ありがとう、翔子」といい、ジャンに視線を移して
「ありがとう、ジャン。少し胸のつっかえがおりました」といって微笑む。
そうして、翔子が自席にもどったのを確かめると、「でもね」と続けた。
いつもなら「そうね」となるのに、母がこんなに言い募るのは珍しい。
「最近、あなたが小さかったころのことをよく思い出すの。高千穂でのこととか。そうすると、こう、胸がきゅっとなって。ああ、幸せだったなと思うのよ。あなたを授かって、本当に幸せだったと」
「雲海の話ね。雲が足の下にあるのはおかしいって言い張った」
「そうよ。まだ、三歳くらいだったのに。理屈をちゃんと言ってね。おかしかったわ。啓志さんにそっくりって思ったのよ」
「ああ、あれにはまいったね」父も同調する。
「だからね、子どもがいれば、翔子たちも、ああいう幸せな時間が持てたのじゃないかと思ってしまうの」
そういうことか。お母さんが気に懸けているのは。
翔子は母を見据える。
「お母さん、私もその時間にいたのよ。その幸せな時間に」
朋子は翔子の言葉にはっとし、手から箸を落としたのもかまわず、両手で口をおおい目をみはる。
「小さかったから覚えていないことも多いけど。でも、そのとき幸せだったことは確かよ。私は、それで十分なの。それじゃ、だめかしら?」
母は小さな子どものように大きくかぶりを振る。
「まあ、そうね。いやだわ、私ったら。そんなことにも気づかなくて」
と小さな声で独りつぶやく。
「それにね」と翔子は続ける。
「そんなに大切な一人娘なのに、イギリスへと自由に羽ばたかせてくれたでしょ。ジャンとイギリスで暮らすことも許してくれた。私は幸せだったけど、お母さんにはずっと寂しい思いをさせてきたのね、きっと」
翔子は、母とそれから父の双方を見つめる。
「お母さん、お父さん。これまで芳賀家の問題から目をそらしてきて、ごめんなさい。それをどうすればいいのか、話し合いたくて、帰ってきました」
居ずまいをただして、深く頭をさげる。
膝の上で固く握りしめている拳に、ジャンがそっと手を添えてくれた。
話し出すきっかけをつかめないことを言い訳に、ずっと逃げ回ってきた。そのことへの自責の念が深く厚く澱となって胸の奥に巣くっていた。それをようやく吐きだすことができ、翔子は少し息が楽になる。だからといって、どう解決すればいいのか。その答えは見いだせていなかったけれど。
ゆっくりと頭をあげると、視線の先で父が微笑んでいた。
「いい機会だから、私からもひとつ謝っておこう」
翔子の視線を受け止めると、父がまるで世間話でもする気軽さで言う。
雨があがりかけたのだろうか、葉桜の枝先でヒヨドリが甲高いひと鳴きをあげる。
「母が‥‥君にとってはお祖母様だがね、とにかく芳賀家大事の人で、うんざりしていた。啓志を産んだのは芳賀家のためだと事あるごとに言っていてね。『私のレーゾンデートルは家の存続にしかないのですか』と、思春期のころにはずいぶんつっかかったものさ。うちは一族のほとんどが医者だろ。それなのに本家の跡取りである私が医者にならなかったのは、そういうお家第一主義への、まあいわば青い反抗だった。若かったんだね。だから、子どもなんてどうでもいい、要らないとすら思っていた」
翔子は父が何を話そうとしているのか見当がつかず、膝に置いた手に力をこめた。二本の腕がつっかえ棒のように上体を支える。肩が張る。
「そうかしこまらずに、食べながら聞いておくれ」
そういって、父は彩りよく盛られた料理に手をつける。
「お、走りの鱧が入っている。ジャンは、梅干しは大丈夫か?」
「少し、ダイジョブ」
「そうか。じゃあ、この鱧の梅あえを食べてごらん。うまいよ。鱧といえば、祇園祭だね。まだひと月も先だけど」
「ハモ? ギオンマツリ?」
ジャンが疑問符をぶらさげた顔をしている。
「ほら、えーっと、何年前だったかしら、観たことがあったでしょ」
翔子が助け舟を出す。
「山鉾っていう大きなフロートが何台も行進するフェスティバルよ。船の形や、屋根の上に長刀や動くカマキリがいたりして。いちいち感動してたじゃない」
「オオ、あれはアメイジングだった!」
ジャンが思い出したのだろう、興奮する。
「この白い肉? 魚? とマツリ、どんな関係ある?」
「これは、ハモっていって、フィッシュよ。ジャンの好きなウナギみたいにスマートな魚で、夏に美味しくなるの」
そういいながら、翔子は抽斗型の三つの箱に目を走らす。
「あ、やっぱりあった。ほら、この箱寿司も食べてみて。ウナギの蒲焼きと、ちょっとテイストが似ているから」
ジャンがひと口サイズの鱧寿司をほおばっていると、啓志が語る。
「京都はまわりに海がない。だから、昔は海の魚が貴重でね。夏場はとくに痛みやすい。ところが鱧は生命力が強くてね。獲れたてを生きたまま運ぶことができた。京都の人にとって、鱧は夏のごちそうだった」
「祇園祭は七月一日からはじまる。ちょうど鱧がいちばん美味しくなるころだ。だから、祇園祭は鱧祭ともいわれるんだよ」
鱧と錦糸卵を市松に盛りつけた箱寿司のひとつを翔子もほおばる。
祇園さんのころになると、居酒屋でも鱧がメニューにあがるから、鱧祭と呼ばれることは知っていたが。旬だからとしか思っていなかった。そういうわけだったのか。いまだに父に教えられることの、なんと多いことか。
「祇園祭というのは、そもそも、疫病つまり伝染病の…」
父がまた語りはじめる。話題が祇園祭のほうに流れそうなけはいだ。
「お父さん、祇園祭の話はあとにして」
「いや、すまん。つい脇道にそれてしまう。いけない癖だね」
「さて、どこまで話したかな」
啓志が翔子に目をやる。
「子どもを要らないと思っていた、だったかしら」
「ああ、そうだね」
話が長くなると思ったのだろう。
母が父の湯呑を盆にとり、仲居が置いていった急須を手にかけて茶を注いで戻す。さりげなく流れるような一連の所作に、この夫婦の積み重ねてきた時を想う。母は父に茶を出すタイミングを実によく心得ている。
「お家第一主義にほとほと嫌気がさしていたから、芳賀家なんてどうなってもいい、子どもなんて要らないと思っていた」
「ところが結婚すると、母の矛先が朋子に向かってしまってね。子どもができないことを、朋子が責められるようになった」
母が椀物に伸ばしかけた手を引いて、父の横顔を伺いながらいう。
「あら、私はちっとも気にしていませんでしたよ。お義母様は当然のことをおっしゃっていただけですもの。それに、私も赤ちゃんが欲しかった」
「そうだね」
母にちらりと目をやり、父は口の端をほんの少しあげ微笑む。
「ところが、遠慮してひとりで耐えているんじゃないかと勝手に決めつけたんだよ、私は。君をかばいたかったし、守りたかった。それがどんなに高慢な考えだったか。『守る夫』を演じることに酔いしれていた。愚かなことだ」
父はため息をついて、箸を置き、上半身を左隣に向け軽く頭を下げる。
「すまなかった」
「あら、いやですわ。私ではなくて、翔子ちゃんに謝るのでしょう?」
「これだけ生きていると謝るべきことも、いろいろあるさ。これからは、思い出すたびに、謝って回るよ」
いたずらを見つかった少年のように、にっと笑う。
それを見て、まあ、と母がおかしそうにくすくす笑う。
愛の言葉をささやいたわけでもないのに。ふわりと、やわらかな空気がふたりを包む。
母が淹れた茶をひと口すすり、「さて」と父は続ける。
「愚かで短絡的だった私は、いつしか子の誕生を望むようになった」
その何がいけないというのだろうか。
「子どもさえ授かれば、母の責めから朋子を解放できる。それしか頭になかった。生まれてくる子のことなんて、これっぽちも考えてなかったんだよ。自分勝手で、命の軽視もはなはだしいだろ」
口もとに自嘲を浮かべ、真剣なまなざしで翔子に向き直る。
「私たち夫婦にとって、翔子、君の誕生はまさに奇跡だった」
「生まれてきてくれてありがとう、という気持ちは変わらない」
そうですよ、と母もしきりにうなずいている。
それにしても、と翔子は思う。
父と母が手放しでありがたがってくれるほどの価値が、果たして私にあるのだろうか。
イギリスへと自由に羽ばたかせてもらったけれど、何かを成し遂げたわけでも、イギリスを拠点に活躍しているわけでもない。ましてや芳賀家に富をもたらしてもいない。ギャラリーはそこそこ繁盛しているけれど、そんなのロンドンに星の数ほどある一軒にすぎない。
結局、私はイギリスに逃げたのだ。
古書の勉強をするという、それらしい名目はあったけれど。無意識だったにしろ、芳賀家を継ぐことの重みから逃げたにすぎない。日本にいれば嫌でも入ってくる、親戚筋の雑音から。
「君を真ん中にして幸せな時を過ごすにつれ、私はみずからの浅はかさに気づいた」
「浅はか? お父さんが?」
「ああ。お前という宝を私たちは得たけれど、かわりに一人娘である翔子の肩にすべてを負わせてしまうことに気づいた。芳賀家はもとより、老いていく私たちも」
「子どもを望む前に、子を授かるとはどういうことか、生まれてくる命に対する責任について深く考えるべきだった」
「すまなかったね」
翔子は幼な子のように大きくかぶりを振る。
そんなことはない、と言いたかったけれど。何をどう話せば正しく伝えることができるのかわからず、言葉が虚空に浮かんでは消える。
まだ語彙が少なかった幼いころ、言いたいことを表す言葉を持ち合わせていなくて、うまく伝えられないことに癇癪を起して泣き出したことを思い出した。あのときとは比べものにならないほどボキャブラリーは増えたけれど。心を伝えることは、なんて難しいのだろう。
翔子は何かを言いかけては口をつぐむ。また、口を開きかけては虚空でつぐむ。
水面にあがっては、口をぱくぱくさせている鯉のようだと自嘲がもれる。
「いいんだよ、翔子。わかっているよ、君の気持ちは」
「だからね。このことについては、明日、話し合おう。私の米寿の祝いをしてくれるだろう。その席に玲人君も招いている。病院のこともあるからね」
「それにしても、あらためて謝るというのは、照れくさいものだね」
ははは、と照れ笑いをしながら、「お、これもうまいな」と啓志は鱧の肝吸いをすする。
「ワーオ、レインボウ!」
突然、ジャンが声をあげる。
なにごとかと翔子はびっくりしてジャンを見あげ、その視線の先を追って庭に目をやる。
美しい虹が、桜の古木の背後から桂川をまたぐように大きな弧を空に架けていた。虹の向こうで嵐山が緑をいっそう艶やかにしている。
雨はいつのまにか、あがっていたようだ。
「まあ」母がよろこびの声をあげる。
「みごとだね」父が目を細める。
翔子は、すーっと気持ちが晴れやかになる気がした。
「虹は彼岸と此岸、過去と未来、時と時のはざまで思い悩んだり揺れる人の気持ちに、希望の橋を架けるんだよ」
父の顔に光の綾のような笑みが広がる。
「中国では、虹は天に住む龍と考えられていてね。虹という漢字の旁の『工』は、天と地をつなぐことを表している。まさに龍が天に昇るさまだよ」
父が空に大きく「虹」の字を描きジャンに説明する。
「さて、晴れたことだし、天龍寺の天井に棲む龍に会いに行こう」
第5章:虹
翌日は、朝から晴れていた。
長い縁側の端から、朝の光の束が細い筋となってハープの弦のように並び、和室まで射し込んでいる。光の音色が聞こえてきそうだと翔子は思った。
――昨日、梅雨入りが発表されたというのに、空も気まぐれね。
広縁から庭に下りて、空を見あげる。
刷毛ではいたような薄い雲がたなびいていた。築山の裾で紫陽花が白くまるい顔を輝かせている。
翔子は、うーんと大きく伸びをする。
昨日の雨のしめりけを残した地面が、陽にあたためられ細く蒸気をはきだしていた。夏へと近づくねっとりとした空気。いつもなら不快に思うそれも、れい兄ちゃんに久しぶりに会えると思うと、なんだか気持ちが上を向く。
さてと。昼までに縁側のからぶきでもしよう。
両親の健康は、玲人がずっと診てくれていた。
翔子の留学と入れ替わりで玲人が芳賀医院を再開させたことは翔子を安堵させ、心おきなくイギリスへと旅立つことができた。
帰国するたびに、診察が終わるのを待って、両親のようすについて尋ねる。
はじめのころは「いやあ、叔父さんは元気だね。あれで古稀とは思えないよ」だったのが、そのうち「まあ、歳相応の小さな不調はあるけど、おおむね大丈夫だ」に変化してきていた。母が狭心症を患いステントを嵌め込むカテーテル治療で入院したときも、「入院は三日だけだから、翔ちゃんは帰国しなくて大丈夫だよ。手術も一時間もかからないからね」と請け負ってくれた。
そばに玲人がついているという安心は何ものにも代えがたく、甘えることに慣れてしまっていたのだと、翔子はため息をつく。
私はいつまでたっても「小さな翔ちゃん」のままだった。
玲人に甘えるのは、靴を右足から履くのと同じくらい、翔子にとってはごく自然なことだ。もっとも、甘えているという自覚すらないことのほうが多い。小学校にあがるまで、翔子は玲人が実の兄だと思い込んでいた。だから、「れい兄ちゃんどこー?」と家のなかを探しまわり、居ないとわかると泣きじゃくる。あれには、本当に困ったのよと、母が思い出すたびにくすっと笑う。
翔子が生まれた春、玲人は私立の中高一貫校に入学した。
兄の彬人も通う男子校で、鳥越家の男子はよほどのことがない限り、そこに通うのが不文律になっていた。ところが、そもそも望んで入った学校ではなかったためか、進学校特有の雰囲気になじめず、これといった友人もできずにいた。近所の公立中学に通う幼なじみたちとは通学時間帯が重ならず、出会うこともない。急にぽつんと一人になったような錯覚が玲人をとまどわせた。
通学の途上に芳賀家があったこともあり、気づけば学校帰りに寄るようになっていた。揺りかごに顎をのせながら、生まれたばかりの翔子の相手をしているときだけ、玲人は深く息をすることができた。
翔子はむずかっていても、玲人があやすと泣き止む。
「あら、わかるのかしら。玲人君だと、おりこうさんになるのね」
叔母の朋子が、「助かるわぁ」と笑顔を向ける。
それは偶然のできごとだったのかもしれない。それでも、無心に伸ばされる小さな手と、叔母のほめ言葉が玲人の心のすきまを埋めてくれた。
翔子が這いまわるようになり、やがて歩けるようになると、ますます玲人から離れなくなった。
気づけば、ほぼ毎日のように芳賀家に入り浸っていた。
勉強についていけなかったわけではない。ろくに勉強もしないのに、成績は中の上くらい。運動もできるほうだから、バカにされたり、からかわれたりしたわけでもない。それなのに、しだいに学校に行けなくなった。理由は今でもよくわからない。
朝、家を出る。だが、芳賀家の前までくると苦しくなる。はじめは気分が落ち着くと、学校に向かっていたのだが、そのうちまったく行けなくなった。それでも芳賀家には通い、夕方になると家に帰るを繰り返していた。
ひと月も経たないある日、祖母の登美子がいつもの気まぐれも多分にあったのだろう、「いちいち家に帰るようなめんどうをせずとも、好きなだけこの家におったら、よろし。学校なんてつまらんところにも行かんでも、よろし」と言い放った。
祖母のひと言で、すべてが決まった。
母の貴美子は、「そりゃ、おばあちゃまは何もしないから、いいけど。朋子さんは翔子ちゃんの世話だけでもたいへんなのに」と気をもんだが、朋子は「玲人君がいてくれると翔子のきげんが良いから、助かります」とかえって頼みこんだらしい。
私立の中高一貫校だったのが幸いした。高校受験の心配もなく、欠席が続いても進学に影響がなかったから、貴美子も容認せざるをえなかった。
玲人は心おきなく、翔子と庭遊びをしたり、使われなくなった診察室の掃除を手伝ったりしながら、多くの時間を書斎で過ごした。
はじめは図鑑を眺める程度だったが、そのうち歴史書からはじまって文学、科学、美術書や哲学書までジャンルを問わずにむさぼるように読んだ。医学書も人体図などの図版を見ているだけだったのが、診察室の薬品の匂いや診療器具への興味も作用したのか、しだいに本文にも没頭するようになった。するとおもしろいもので、新たにわいた興味が次の一冊へ、また次の一冊へと玲人をいざなう。海図がなくとも進める知識の海は、しんと鎮まったまま動き出せずにいた玲人の気持ちをしだいに揺さぶった。
はじめは小さな渦だったうねりは、やがて、十時十二分で止まっている診察室の柱時計をいつか自分がめざめさせたいという具体的な願いとなり、はっきりと「医者になりたい」という想いへと昇華するころ、玲人は祖母に「学校に行く」と宣言して、家へ帰った。
「あの一年があったから、今の俺がある」玲人は、ことあるごとに言う。
「だから、芳賀家は第二の実家のようなものさ」と。
玲人は従兄であって兄ではないことは、翔子も頭ではわかっている。
それでも、「れい兄ちゃん」は翔子にとってはたしかに家族のひとりなのだ、今でも。
ガラ、カラカラカラ。
玄関の格子戸の音が届き、翔子はグラスを配っていた手をとめる。
「よ、翔ちゃん」
玲人が恰幅のよくなった体を揺らし、案内を待たずに部屋に姿を現した。
「ジャン、久しぶりだな。翔ちゃんのお守り、ごくろうさま」と、ジャンの肩をたたく。
「れい兄ちゃん、お守りって何よ、失礼ね」
翔子が玲人を見あげて、むくれる。
「翔子おばさん、ご無沙汰してます」
玲人の背後から、スーツ姿の青年が頭をさげる。丸顔で愛嬌のある目。どことなく玲人の若いころと面差しが似ている。
「あら、ひょっとして瑛人君?」
「まあ、いい青年になって」
瑛人は玲人の息子で、確か大学病院で研修医をしていたはずだ。
それで六膳だったのか。
親戚の集りがあると昔から贔屓にしている仕出し屋の『田野井』が、先ほど膳を並べてくれたのだが、玲人をいれて五人だと思っていたので、「あら、お膳が一つ多いはね」というと、運んできた店の者が「いえ、六膳とお伺いしています」と注文書を見せてくれた。不思議に思っていたが、瑛人のぶんだったのかと納得がいった。でも、なぜ瑛人がいるのだろう。
「まあ、適当に座ってくれ。瑛人君も、今日はすまないね」
父はにこにこしながら皆に着座をうながす。
翔子は、母が父の隣に座るのを見とどけると、居ずまいを正す。
「お父さん、米寿おめでとうございます。これからも元気でいてね」
祝いの言葉を述べながら、かたわらに用意していた贈り物を差しだす。
「はい、これ。ジャンと私から」
「ありがとう、何かな」
父は眼鏡をかけて、丁寧に包みを開ける。
「お、これは。カールツァイスか」
父がよろこびの声をあげる。
「そう。読書用のルーペは最新のものだけど。顕微鏡のレンズは、お祖父様の顕微鏡のものよ。さすがに古くて、もう製造が中止になっていたから、特注で作ってもらったの」
「いや、これは、うれしいね」
父が鈍く光る真鍮の接眼レンズを手にとり、目にあてる。
「へぇ、じいちゃんの顕微鏡のレンズか」
玲人も身を乗り出す。
「接眼レンズだけじゃなくて、対物レンズまであるのか。すごいな」
たまらなくなったのだろう。玲人は父の隣にまわりレンズに手をのばす。
「お父さん、顕微鏡は書斎の机の上でしょ。取ってこようか」
翔子が尋ねながら腰を浮かしかけると、父が制した。
「いや、酔っぱらう前に本題に入ろう。楽しみは後にとっておくよ」
それを合図に玲人も席にもどる。
父は接眼レンズをケースにもどすと、翔子に視線を合わせた。
「芳賀家をどうするかだが。まず、翔子の考えを聞こう。こうしたい、という希望があれば、遠慮せずに言いなさい」
困ったときの癖で、翔子は上唇で下唇をなめ、おずおずと言葉を口にのせる。
「私が継がなければいけないことは理解しているし、芳賀家の問題を別にしても、お父さんとお母さんのためにも日本に帰るべきなのは、よくわかっている…」
そこでためらい、口をつぐんだ。叱られた子どものように言葉が続かない。
「親子なんだから遠慮することはない。私が確認したいのは、翔子、君の本心だよ。私たちへの気持ちが十分にあることはわかっているのだからね。これまでどおりイギリスで暮らしたいのだろ?」
父のまなざしに気圧され、翔子はちらりとジャンに視線を走らせながら無言でうなずく。
「そうか、それなら話は早い」
父の声が、霧が晴れたように急に軽やかになる。
「実は、玲人君とは少し前から相談していてね。おおむね話がついているんだよ」
翔子は斜め向かいの玲人に目をやる。
玲人は大丈夫だよ、とでも言うように、やさしいまなざしを返す。
「結論からいうと、ここを老人ホームにしてしまおう、と考えている」
父が静かな声で、でも、はっきりと宣言する。
――え?
翔子は思いもかけない話に頭が空回りする。
家を取り壊して、老人ホームを建てるということだろうか。
それとも、屋敷を売ってしまうということだろうか。
翔子の胸に真っ先に去来したのは、じゃあ、書斎はどうなるの?だった。
いつもは深く濃く凪いでいる翔子の黒目がちの瞳が、視点が定まらずに泳いでいるのを、玲人は認めた。幼いころから翔子は動揺すると瞳が泳ぐ。
翔子が何を懸念しているのか、胸のうちが手にとるようだと、玲人は思った。
「叔父さん、ここからは、僕が」
玲人が啓志に目くばせする。
「どの順で話したものかな。まあ、ゆっくり食べながら話そう。時間はたっぷりあるのだから」
明るい声を響かせ、玲人はビールをひと息に飲みほす。三十代後半から二重になった顎の下のたるみが、ぐびぐびと波打つ。
グラスを空にすると、「イギリスのぬるいエールもうまいが、日本の夏にはキンキンに冷えたラガーだ」と満足げに笑い、さて、と続ける。
「相談を受けたのは、去年の秋、叔母さんの症状を診断した直後だった」
玲人はまなざしをいっそう穏やかにして語りはじめた。
「ふたりでどこか有料老人ホームに入ろうと考えている。ついては、この屋敷を処分することになるだろう。そうなったら、病院と屋敷を切り離さないといけない」
「まずは、そんな相談を受けたんだ」
翔子がとっさに顔をこわばらせ、瞳を揺らす。
「僕も還暦を過ぎて一年経ってたし、これからについて考えはじめていてね。ほら、こいつが‥‥」と、向かいの席の瑛人に空になったグラスを向け催促する。
瑛人が「いっつもこれだよ」と文句を言いながら、ビールをつぐ。
それをひと口あおってから
「研修医を終えるころだったからさ。あと二、三年、どっかの公立病院で臨床の修行をさせたら芳賀医院を任せて、自分のやりたいことをしようかと考えていた矢先だった」
「れい兄ちゃんのやりたいことって‥‥」
翔子がかすれた声で尋ねる。
「在宅医療さ」玲人は鮎の踊り串をはずしながらいう。
「今は患者が病院に来るだろ」
「そうね」
「だが、昔は医者が患者の家を訪問治療していた」
「どちらにもメリットとデメリットはある。だけど、自力で病院に来ることのできないお年寄りには、訪問診療がいい」
「歳いって何かあると介護施設か病院だろ。いや、病院も入院を短くしているからな。退院させて療養型施設か、施設と病院を出たり入ったりしている患者さんもいる。いずれにしても自宅で最期を迎える人は少数だ」
「でも、それでいいんだろうか。それっておかしくないか?」
玲人のまっとうな考えが、翔子の胸をちくりと刺す。
自分の体が二つあれば、と何度バカなことを夢想しただろう。
――イギリスで暮らしたい。でも、父と母のことも気にかかる。
欲望と心配のあいだで、イギリスと日本のあいだで揺れてきた。
答えは簡単なのだ、日本に帰りさえすればいい。なのに、私はどうしてそうしないのか。なぜ、いつまでたっても覚悟が定まらないのか。
おそらく、と翔子は思う。
芳賀家を継がねばならないこと。この「ねばならない」が、気持ちにブレーキをかけ尻込みさせるのだ。日本に帰れば、逃れられなくなる。イギリスの貴族の館と比べると、芳賀家なんてたいしたことないのだけれど。
小さなため息がこぼれる。
十年ほど前に、父母にイギリスで暮らさないかと提案したことがある。
父は「ありがとう」と言って、「イギリスもいいね。でも、私はどうも京都を離れられないみたいだ。すまないね」とやんわりと断られた。
コッツウォルズあたりに家を買ってもいいかなとか、あれこれ勝手に思い描いていたので、がっかりしたのを覚えている。
でも、よく考えてみると、これほど勝手な提案もなかった。自分の思いばかりで、父や母の気持ちを何も考えていなかったのだから。長く暮らせば暮らすほど、いつのまにか愛着がじんわりと沁みていき離れられなくなる。私だって、たかが二十数年暮らしただけのイギリスから離れがたくなっているというのに。
「それでさ、叔父さんに、老人ホームに入るかどうかは別にして、譲れない希望は何ですか、と尋ねたんだ」
玲人はちらりと啓志に目をやる。翔子も父を見る。
「どうしても譲れないのは‥‥」と言いながら、玲人は翔子をしばらく見据え、それから続けた。
「翔ちゃん、君に負担をかけたくない。ということだった」
喉の内側を苦く熱いものがすべりおりる。まなじりの端から涙の粒があふれそうになって、翔子はぐっとそれを飲みこんだ。泣くことですべてをチャラにするような身勝手だけは許されない。それだけは、絶対に。
「自分たちの介護だけでなく、芳賀家の問題についてもだよ。とにかくいっさいの負担をかけたくないと」
そうですよね、というふうに玲人は啓志に目をやる。
啓志は「そうだ」と叩頭する。
「お父さん‥‥」
言いかける翔子を玲人は制する。
「翔ちゃん、まあ、ちょっと待って。とりあえず話を聞いてほしい」
「もうひとつの希望は、最期まで夫婦ふたりで暮らしたいだった」
「それで、考えたんだよ。僕も、ちょうど人生をリセットしようと思っていたタイミングだったからね」
去年の秋だった。
午前の診察が終わるのを待って、叔父は離れにふらりと現れた。「祇園の進々堂で玉子サンドを買ってきたんだ、食べないか」と言って。
祖母が亡くなってから、離れは玲人が使っていた。
午後の診察までの時間のたいていは、ここで過ごす。祖父がそうであったように、書斎から抜き取ってきた書物があたりに山を築いている。異なるのは、文机の上に顕微鏡ではなくパソコンがあるのと病院関係の資料が置かれているくらいだ。午後の診察を終えると、ここで入力作業もする。月末に作業がたてこむと、離れで泊まることもあった。
叔父がやって来たのは、叔母の診察をした三日後で、庭の紅葉が色づきはじめていた。
叔母の変化にはうすうす気づいてはいた。
だが、認知症を病気として扱うことに、医師である玲人自身が納得できていないところがあった。むろん、認知症の症状に攻撃的になることや徘徊といった、周囲を困らすものがあることは理解している。だが、困るのは周りであって本人の体に不調があるわけではない。認知症でなくとも怒りっぽくなる老人は多い。だから、ゆるやかな老いの一環だと思ってしまうのだ。
というようなことを叔父に話した。
すると叔父も、「私の考えも同じだ」とうなずいて、「人はね、今と過去、そして未来のあいだを振り子のように振れながら等時性で生きていると思うのだよ」と続けた。だから、朋子は昔の幸せだった時間にふらりと出かけて楽しんでいる、それでいいんだ、と言う。
そのうえで「私も遠からずそうなるだろうから、今のうちに長年の懸案事項に片をつけておこうと思ってね」と笑って、有料老人ホームへの入居を考えていると打ち明けられた。
「叔父さんたちの意向と、僕の意向とを照らし合わせて、数日、考えたよ」
「相談を受けたときに天啓みたいにひらめいてはいた。けど、実際に可能かどうかを検討するのに数日かかった。役所の介護保険課の知り合いにも相談したりしてね」
「で、出した結論が、『この家を有料老人ホームにする』なんだ」
玲人はまたビールをぐいと喉に流し込んでひと息つく。
ようやく話の本題に入るけはいに、翔子は身構える。
「老人ホームといっても、家を壊して建て替えるんじゃない。屋敷も庭もほとんどそのままにして、お年寄りが共に暮らす場所にしようと考えている」
「この家と庭がキーポイントになるんだ」
「翔ちゃんが、たぶん気になっている書斎は、もちろん、そのまま残すよ」
どう?安心した?とでも言いたげに、玲人は頬杖をついてはす向かいの翔子を見つめ、にやりと笑うう。
ちりん、ちりん。
軒につるした風鈴が、ゆるい風が通ったことを知らせる。
「まったくそのままというわけにはいかないけどね。少なくとも、エレベーターの設置と風呂の改装、それから耐震補強工事は必要になるだろう。玄関にスロープもいるかな。だけど、他はできるだけそのままで使いたい。茶室もそのままにする。芳賀医院はこいつに任せて‥‥」
と、玲人はまた空になったグラスを瑛人に向ける。慣れたもので、瑛人は「はい、はい」とビールをつぐ。なんだか親子というより夫婦みたい、と翔子はくすりと微笑む。
「で、僕はホームの専属医というのが基本。そのかたわら訪問診療にも取り組む。ホームは医療法人『仁啓会』が運営する」
医療法人『仁啓会』というのは、芳賀医院を法人化する際に玲人が命名した。祖父の仁志と、父の啓志から一文字ずつ採っている。「私は医者じゃないんだから」と、父はずいぶん難色を示したらしい。すると玲人は、「医は仁術の『仁』と、それを『啓く』で、『仁啓会』。これほどいい名前はないでしょ」と押し切ったと聞いている。
「つまり、芳賀家の土地と家屋は、『仁啓会』が買い取ることになる。芳賀本家は叔父さんの代でおしまい。だけど、叔父さんたちは最期まで、夫婦でこの家で暮らすことができる。ただし、プライベートな部屋は二間だけになるけどね。居間とか書斎とかは共有部分になる。そのほかの部屋は、他の入居者の個室になる。叔父さんたち以外には、あと三組ぐらいの夫婦の入居を想定している」
「翔ちゃん、どうだろう。いいかな?」
玲人が翔子を静かに見つめる。
いいも、何も。こんなあざやかな解決法があったのか。
翔子が長年思い悩んできた芳賀家相続の問題と両親の介護の問題。
それが。オセロの盤面の黒がすべて白にひっくり返ったように、みごとに解決されている。しかも、思い出のつまった屋敷もそのまま残るという。
――手品みたい。
翔子は小さくつぶやく。
玲人は翔子に視線を据えたまま、その返事を待っている。
「れい兄ちゃん、ありがとう。よろしくお願いします」
翔子は頭をさげながら、そっと目尻をぬぐう。
話がとぎれたタイミングを見計らって、瑛人が座布団からすべりおり、姿勢をあらため膝に拳をのせ一同を見渡す。
「そんなわけで、僕が芳賀医院を継ぐことになりました。若輩者ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
瑛人は手をついて頭をさげる。
翔子はようやく、瑛人がこの席に呼ばれている意味を理解した。
「瑛人君は、それでいいの」
「はい。僕は父の夢にのってみたいと思いました。たぶん、これから父が語るホームの構想や理念をお聞きになったら、翔子おばさんもワクワクされると思いますよ」
今聞いた話だけでも、十分にすばらしいのに。まだ、続きがあるというのか。それだけでも驚きだ。
翔子はまじまじと玲人を見る。
「おい、ばらすなよ。感動が半減するだろ」
玲人は冗談めかして瑛人を軽くにらみ、いたずらを仕掛ける少年の顔になる。
――この屋敷を残したい。
その思いは、玲人にもあった。叔父は最後まで口にはしなかったけれど。
だから。「では、考えておいてくれ」と母屋に帰って行く小ぶりになった背を見送りながら、玲人はひとり誓ったのだった。
秋の日は釣瓶落としという。午後の診察がはじまる五時前だったが、すでに陽は傾きかけ、離れと母屋をつなぐ渡り廊下の影が長く尾を引いていた。
その夜、診療を終え、離れで祖父の文机に頬杖をついてうつらうつらしていると、不意に前頭葉の片隅にまばたきほどの光るものが降って来た。まさに天啓のごとく。
今だから思うのだが、何かが耳もとでささやいたような気がした。
――ここを老人ホームにすればいい。
そうだ、なんでそんな簡単なことに気づかなかったんだ。
翔子に負担をかけたくない。夫婦で最期までいっしょに暮らしたい。
叔父が望むたった二つの条件を物理的に満たすには、屋敷を処分して有料老人ホームに入るという叔父自らの案が最も合理的だ。
けれど、と玲人は考えあぐねていた。
それでは、翔ちゃんの心に重い磔刑を背負わせることになる。おそらく翔子が承諾しないだろう。私が日本に帰ってくる、と言いだしかねない。そうなると叔父の第一条件がくずれる。堂々巡りだった。
それが。
パズルのピースがひとつ埋まっただけで、次から次へと、点と点がおもしろいほどつながった。これなら、屋敷も残せる。玲人自身がこれからの人生でやりたいと思っていたこともできる。アドレナリンが滾るのを感じた。眠気もふっとび、夜が明けるのが待ち遠しかった。
――はは、じいちゃんのおかげかな。
低く剪定されたいろは紅葉が、東の光に徐々に姿態をあざやかにする。
夜と朝の交錯するひととき。ひと筋の光はやがてあたりをあまねく照らす陽となる。
「めざしているのは、お年寄りたちがいっしょに暮らす終の棲家。シェアハウスみたいな感じさ」
「役所的な区分では、有料老人ホームになる。でも、そうだなぁ。グループホームと有料老人ホームのあいだぐらいかな」
玲人が膝をくずして胡坐になり、枝豆しんじょをつまみながら、目の前の瑛人に「お前も、もう、膝をくずしていいぞ」とうながす。
「まあ、気がつかなくて、ごめんなさい。ジャンも瑛人君も、楽にしてね」
と言いながら母は、そうね、私もきものを着替えてこようかしら、と席を立った。
「家族の集りだから、かしこまらなくていい。話が長くなりそうなら、居間のソファに席を移すか」
並びの席から父が提案すると、ジャンが
「ここがいいです。タタミがいい」と畳をたたく。
「ま、ということだから。痺れてぶざまなことにならないよう、膝をくずしとけ」
玲人がにたりと笑みを浮かべ、瑛人に空のグラスを傾ける。
さて、と玲人が向き直る。
「グループホームは民家を使っているところも多く、形は似ている。だが、認知症の人が対象で、夫婦でいっしょにというのが難しい」
ほかもね、と玲人は説明する。
特養は要介護3以上という条件があるし、老健はリハビリ主眼だから、暮らすというのとはちがう。サ高住は、そもそも、医療や介護が手薄だ。いろんな形態の施設はあるけど、「夫婦で最期までいっしょに暮らす」となると有料老人ホームぐらいしかない。あとは在宅での老老介護で、これは共倒れも多くて社会問題化している。
ふう、と玲人はひとつ大きくため息をつき、箸で椀をかき回す。
「最期まで夫婦で穏やかに暮らせない、これっておかしくないか?」
「結婚式では、病めるときも、健やかなるときも、死がふたりを分かつまでって誓うのにさ。離婚してもいないのに、現実にはいっしょに暮らすことが難しい」
な、おかしいだろ、と穏やかな目を微かに吊りあげる。
ジャンは私との出逢いを「運命だ」という。そんな運命の相手とでも、最期までいっしょに暮らすのが現実には難しいのか。
――どうして、そんなことになっているのだろう?
翔子の疑問を見透かすように、玲人が語る。
日本は急速に高齢化が進んだから、しかたないと言えばしかたない。けど、介護される側じゃなくて、介護する側の立場から線を引いてるんだよ。画一的というか、効率的というか。日本人の得意とするところだ。でもさ、人生の最期を思いどおりにできないって、なんだろなぁって考えてしまうんだ。
「だから」と、玲人は暖かい雨のような声を響かせる。
「最期まで楽しく穏やかに、わが家に居るように過ごしてもらう。それを実現したい」
気負うことも衒うこともなく、ものごとの本質を見すえて希望を語る玲人に、啓志は目を細めながら、「医者になる」と宣言して家に帰っていった中学生の玲人を思い出していた。
周囲が見過ごしてしまうほどの小さな違和感に気づいて立ち止まり、流れに棹さす。
流されてしまうほうが、ずっと楽なのだ。でも、玲人はそうしない。
母親のお家第一主義に、ぷいっと顔を背け、考えもなしに医学の道から目をそらした自分とは、なんという違いだろうと啓志は思う。父に診察室を閉じさせてしまった後悔が今もなお心に澱となってよどみ、芳賀医院にこだわっているのは、他ならぬ私自身だ。母よりもずっと執着が深かったのだと苦笑がもれる。
甥の玲人はおそらく、そんな私の気持ちも掬いとり、そのうえに自身のやるべきことを見出した。きっと彼なら実現させるだろう。診察室の時計を再び動かしたように。
「その一環として、地域に開かれたホームにしたい」
「コンセプトは、近所づきあいのあるホームだ」
どういうこと?と、翔子は疑問符が貼りついたまなざしを向ける。
翔子のとまどいを愉しむように、玲人はにこにこしている。
「住宅街のなかにあってもね、高齢者施設は陸の孤島みたいに孤立しているんだよ」
「家族が入所しているとか、デイサービスなどを利用していなければ、すぐ隣の家でも無関心だし、ましてや施設に入っているお年寄りのことなんて知りもしない。そこにあるのに、存在が無視されている。施設のお年寄りにとったら、そこだけが世界のすべてで閉じた空間なんだ」
「地域との交流として、近所のコーラスグループとか中学校の吹奏楽部とかが施設に招かれたりするけど。そもそもあれは交流といえるのかな。慰問みたいなもんだから、お年寄りの側は受け身だ。聴くだけ、観るだけ。訪問する側も演奏したら、おしまい。そのとき限りだから、お互いに知り合いになることはない」
そこで玲人はひと息つき、ビールをあおる。
「その関係性のベクトルを逆さまにしようと思う」
と言いながら、箸をくるっと返して、先を翔子に向ける。
「逆さまにする?」
翔子はますますわからなくなり、小首をかしげる。
「そう」
「たとえば。叔母さんは、お茶とお花と琴の師範免状をもっているだろ。それらを格安で教える。つまり、提供する側になるんだ」
「お母さん、お免状はもっているけど教えたことないし、手順を忘れてないかしら」
母が着替えから戻ってくる足音がしないか、翔子は耳を澄ましながら低い声でささやく。
「大丈夫だよ。若いころに覚えた長期記憶は忘れにくいし、体が覚えているからね。一回千円にすれば、習いたい人はいるだろう。人数も二、三人とか、あまり多くないほうが、いい。お互いにうちとけやすいし、話もはずむ。目的は教えることより、知り合いになることだから」
「ほかにもさ。漬け物が上手な人なら、手作りのすぐきなんかを門の脇に置いて、野菜の直売所みたいにして箱に代金を入れてもらう。季節ごとに漬け物の講習会をやったりしてさ」
「そうして得たささやかな収入は、ホームの売上にするのではなくて。作った人、教えた人の小遣いにする。そうすれば、お年寄りのよろこびにも励みにもなるだろ」
玲人の話は、次から次へと、とどまるけはいがない。
アイデアが体の奥から湧きあがり、舌先で言葉に姿をかえるようだ。こんなに興奮して語るれい兄ちゃんを見るのは、いつぶりだろう。
「この庭の桜はみごとだから、花見の会をするのもいいね。近所の人にも、縁側で桜を楽しんでもらう。雛祭りもしたいなぁ。蔵にあるお雛様を一堂に並べたら壮観だよ、きっと」
「町内会にも加盟して、清掃活動や小学生の見守り当番にも参加する」
「そうやって、ふだんから近所づきあいをして、顔なじみになっているとさ。認知症が進んで徘徊がはじまっても、あ、あれはホームのおばあさんじゃないかって、ご近所さんが気づいてくれるだろ。セーフティネットがそこらじゅうに張り巡らされていることになるんだよ」
な、すごいだろ、と玲人が片目をつぶって不器用なウインクをする。
「たいていの高齢者施設では、エレベーターや出入口の扉が暗証番号なんかでロックされている。徘徊対策と安全のため、しかたないんだけど。でもさ、籠の鳥みたいで哀しくなる」
平均寿命は延びたけれど、延びたぶんだけ不自由になるって、どうなんだろうね。
玲人は一瞬やりきれない嘆息を顔に貼りつけ天井を見あげる。それを払うように首を大きく振ってから翔子に視線を戻す。
「だけどさ。ふだんからつきあいがあれば、『見かけたら、連絡してください』とお願いもしやすい。もちろん、門とか必要な箇所に防犯カメラはつけるよ。でも、カメラは『帰ろう』とうながしてはくれない。結局、人と人とのつながりが、いちばん心強い。だから、門は安全のために閉めるんじゃなくて、近所の人が気軽に出入りできるように開けておく」
そうか、と翔子はようやく納得がいった。玲人のいう「近所づきあいのあるホーム」が何をめざしているのかが。
そのときちょうどワンピースに着替えた母が、煎り番茶を入れたガラスのピッチャーと、季節の菓子の「水無月」を盆にのせて入ってきた。煎り番茶のスモーキーな薫りが風に流れる。翔子は立って母から盆を受け取り、切り子のグラスに注いで配る。
「これ、煎り番茶ですよね」瑛人がたずねる。
「あら、ごめんなさい。瑛人君、煎り番茶の薫りは苦手?」
翔子があわてて瑛人のグラスをさげようとすると、「いえ、好きです。これ」瑛人がグラスをひと息に飲みほす。
「一保堂の煎り番茶は、ばあちゃんが好きだっただろ。だからかな。うちでも夏はいつもこれだよ。そういえば、ばあちゃん、西陣の塩芳軒の水無月も好きだったなぁ」
「この季節になると、よくお義母様にお使いに出されましたよ」
母がなつかしむように目を細める。
「けっこう遠いのに、わざわざ。あいかわらず、わがままだったんだ」
「時間がかかってもよろし、とおっしゃって。私の実家が西陣でしょ。だから、お義母様ならではのお心遣いだったんですよ」
「へえ。婉曲表現が苦手な人かと思ってたけど。そういう回りくどい気遣いもしてたんだ」
玲人が妙なところに感心する。
「ふふ。お義母様の言葉には裏表がなかったので、『時間がかかってもよろし』はゆっくりしてきなさい、と素直に受け取ることができたのよ」
玲人は祖母の凛とした横顔を思い浮かべ、優しさを言葉の裏に照れ隠した祖母と、それを受けとめた叔母の関係の豊かさを想う。人と人は、たとえ日々のいざこざがあっても、交わればこういう関係を築くこともできるのだ。
「そうだ、ホームの名前だけど。『虹の家』というのは、どうだろう」
「虹のかかるところに幸せがあるというだろ」
玲人の提案にまっさきに声をあげたのは、意外にもジャンだった。
「オオ、虹! グレイト!」
ジャンが興奮ぎみに澄んだマリンブルーの瞳をまたたかせる。
「お父さん、教えてくれた。漢字の虹、天と地をドラゴンがつないでる」
「そうさ。中国では虹は龍の化身といわれる。虹は天と地、人と人をつないで希望の橋を空にかける」
玲人がジャンのグラスに冷えたラガーを注ぐ。
「いい名だな」
父が満足げに何度もうなずく
「まあ、ほんとうに。すてきな名前ですこと」
母も花のように笑みをほころばせる。
「れい兄ちゃん、ありがとう」
翔子は父と母に目をやり、胸にこみあげる波を抑えながら、うっすらと目尻に涙のすじを浮かべる。
「悪いけど、翔ちゃん、感動するには早いよ。まだ、あと二つ架けたい橋があるんだ」
* * * * *
隣家との塀にそって孟宗竹の植えられた北向きの書斎は、とがった陽ざしが射し込むこともなく、気まぐれな風が通る日には、熱気のまとわりつく夏でも過ごしやすい。
軒をはねる雨粒が不規則なリズムを刻む。朝から小雨もよいで、どうやら梅雨入りは確実なようだ。
翔子は朝食の後片付けを済ませると、書斎の扉に手をかけた。真鍮のレバーハンドルは歳月でひずみ、ずいぶん重たくなっている。
幼い日、父が仕事中の書斎によく忍びこんだ。
扉の前で深呼吸すると、心臓をきゅっと縮ませ、息を喉の奥に吸い込む。両手をのばし慎重にレバーを下げる。父に気づかれるとゲームオーバーだ。ぎぎっと鈍い金属の擦れる音に鼓膜まで緊張する。扉の向こうには、想像力をぞんぶんに羽ばたかせる世界が待っていた。
鈍く光るドアノブに手をかけると、その感覚がレバーを伝ってよみがえる。この部屋には幾層にも折りたたまれた物語がまどろみ、来訪者を待っている。部屋じたいが厚い書物なのだ。時空を旅し、読み返すたびに新たな発見に胸躍らせる、書物そのものだ。
昨日、屋敷を老人ホームにするという話のついでに、玲人から「そんなわけだから、書斎の本で翔ちゃんが大切にしているものは、イギリスに持って帰っておいて」と頼まれた。
書斎は共有スペースになる。本を自室で読みたい人もいるだろう。紛失はもちろん、不注意で破いたり、嘔吐物がかかったりすることだって十分に考えられる。絶版になっている貴重なものも多い。だから、大切な本はイギリスで保管してほしいということだった。「古書の専門家だから、価値もわかるだろ」か。簡単に言ってくれるわねと、ため息がもれる。
レヴィ=ストロース、キルケゴール、プリニウス、キケロ……。指をさしながらたどる。歴史書、哲学書、美術書、医学書、物理、数学、天文、植物図鑑、小説、写真集から果ては絵本まで。さまざまなジャンルの古今東西の書物が、統一性もなく書斎の三方の壁を覆いつくしている。父が大学を退官する折に、経済学の学術書のたぐいの多くは処分したと言っていたけれど。
翔子は西側の本棚でマルクスの『資本論』を見つけ、足をとめた。
細く開けた窓から雨のにおいが滑りこむ。シミの浮いた背表紙を指でなぞりながら、昨日の玲人を脳裡に浮かべた。
ホームの名を『虹の家』にすると告げたあと、玲人は虹にちなんで、もう二つ架けたい橋があると言って翔子たちを驚かせた。
「ひとつは夢に近いけど、もうひとつは」と、ひと呼吸おいて「ぜひとも、実現させなければならない」とまなじりを引き締め発した言葉に、ぴんと空気が張った。
それは「利益を出すこと。儲かるしくみをつくることだ」という。
利益とか、儲かるとか。およそ玲人に似つかわしくない単語が飛び出したことに、翔子はオクターブ高い驚きをもらした。
おおらかで、儲けなど無頓着。患者さんの話を丁寧に聞き、不必要な薬は出さない。翔子は玲人のことを赤ひげ先生みたいな医者だと思っていた。
「僕個人は、別に利益なんてどうでもいい。赤字でも、ボランティアでもかまわない」
だけどね、と続ける。
「それではだめなんだ。こういうしくみで運営すれば、儲けが出るとわかれば、あとに続く人が出るだろ。そうでなくては、意味がない」
魚がいるかどうかわからない荒波の海へ、率先して飛び込むファーストペンギンになりたいのだという。
「成功すれば空き家問題にも小さな石を投じることができるかもしれない」
「空き家問題?」
話が意外な方向に飛躍して、翔子は目を白黒させる。
「京都では町家のリノベに一定の需要はある。けど、カフェやギャラリー、ショップが目的だから、小ぶりな物件のほうが好まれる。芳賀家みたいな中途半端に大きい屋敷は、カフェにはでかすぎるし、流行の結婚式場には小さい。潰してマンションを建てるにも狭い。区画を小さく分けて分譲住宅を建てるぐらいだ。地方だと、そんな需要も下がって空き家で放置される」
「いわゆる有料老人ホームは、立派なハコモノを建てるから大手企業でないと手がでないけど。僕たちがこれからやろうとしている、古民家を利用した老人ホームなら、建物はあるわけだから初期投資が少なくてすむ。自治体によっては、空き家のリノベに補助金がおりるところもあるし」
それにさ、と玲人はいう。
「意外とスタッフの人数は少なくて済むと思っている」
「ほら、ばあちゃんは、手伝いの和さんが一人で最期まで看取っただろ。あんなふうに、夫婦一組につきお手伝いさんが一人ついているぐらいの感覚がいい。基本的な運営方針は、『自立して暮らす』だから。なんでも介護するんじゃなくて、できないところだけ手を貸す」
「できるうちは食事のしたくだって、自分たちでしてもらう。安全のためにそばで見守るけど。今日は暑いからそうめんにしようなら、そうめんでいい。切通し進々堂の玉子サンドが食べたいとなれば、買いに行けばいい。散歩がてら、みんなで行っても楽しいよね」
「栄養管理はたいせつだ。でもさ、それにがんじがらめになって、美味しくなくなったら本末転倒。プラスチックのトレーに、冷めたおかずが少しだけ盛られていても、僕らだって食べたくないだろ。けど、経費や現場の効率を考えると、そうなる」
「スタッフも忙しいから、スムーズに食べてほしい。モソモソと食べていると、食事介助を始める。まだ咀嚼できていないのに、次のスプーンを口の前に突きつけられても、食べる気力はわかないさ。だから、よけいに口を動かさなくなって、かえって時間がかかる」
悪循環なんだよなと、玲人はため息をつく。
「食べることは生きることの基本だから、本来は楽しみのはずなんだよ」
「自分たちで食べたいものを作って、にぎやかに会話しながら食べる。その席にスタッフも入っていっしょに食べれば、楽しさも広がる。楽しければ、おのずと食は進む」
「介護をする、世話をするじゃなくて。お年寄りたちの生活の輪のなかにスタッフも入る。いわば大家族さ。いっしょに『やる』、共に楽しむって感覚。手を出すんじゃなくて、困ったときだけ手を貸す」
「そうすると、結果的にスタッフの人員も少なくて済むように思う。やってみないとわからないけどね。でも、そうなれば、経営もうまく回る。そのしくみを作って、後に続く人を増やし、希望の橋を渡したい」
「楽しい」にまさる介護はない。そう思わないか。
翔子は『資本論』を棚に戻す。
雨があがったのだろうか。風が孟宗竹のすきまを抜け、細く開けた窓辺でレースのカーテンを揺らす。大きく舞うカーテンの影でほっそりとした骨格の少年がはにかんだように見えた。
「れい兄ちゃん?」翔子は声をあげ目をこする。
今の玲人とは似ても似つかない細身のシルエットは、瞬くまに霧となって透けて消えた。
「もうひとつは、僕の長年の夢だ」
玲人はビールで皮下の血管が浮いた顔をさらに赤くし照れ笑いする。
「中学生の僕は、この家と書斎に救われた」
翔子は幼かったから確かなことは何ひとつ覚えていないけれど。玲人は中学三年の一年間、不登校になって芳賀家で過ごした。
「学校に行けなくなった僕にとって、この家だけが居場所だった」
毎朝、制服に着替えてなんとか家は出る。その背に母の貴美子は「芳賀家じゃなくて、学校に行くのよ」と念を押す。下校時刻になると家へ帰るが、「今日は学校へ行ったの?」と貴美子が訊く。それが玲人の心に鉛をのせる。
けれど、この家では。
叔父も叔母も祖母も。どうして学校に行かないのか、と尋ねない。
それどころか祖母は「学校など行かなくてもよろし」と言い、「家に帰らんでも、好きなだけここに居ったらよろし」と告げ、玲人をがんじがらめに締めあげていた鎖を、涼しい顔でこともなげにぶった切った。
無邪気な翔子の存在と、手あたりしだいに書物を読みふけった時間が、固く閉じた殻のなかでうずくまり、自らの心にナイフを向けていた少年をゆっくりと癒し、解放した。
「あの一年は、僕の原点になった」
大人の視点では、一年も学校に行けなくてたいへんだったね、となるのだろうけど。この屋敷で暮らした一年は、僕にとって、満ち足りたしあわせな時間だったと、今でも折にふれて思い返すよ。学校の勉強とか煩わしいことを、何ひとつ気にすることなく、好きなだけ本が読めて。『本草綱目』なんか読めなかったけど、図を眺めているだけで楽しくてね。あの時間があったから、医学への興味が育った。
「あのころの僕と同じように身動きできずにいる子たちの居場所は作れないか」
その思いは、そうだな、医者になりたてのころからずっと僕のなかにあった。ただ、開業医をしながらでは時間的にも難しく、どんな形にすればいいのかも、おぼろげだった。
僕は小児精神科医ではないからね。カウンセラーの資格もない。教育者でもない。
「だから、フリースクールをしたいわけじゃない」
そういうのじゃなくて。家や学校以外の第三の居場所を作りたいんだよ。
いや、「作る」というのも、ちょっとちがうな。
門は解放しておくから、出入りは自由。ぶらりと入ってきた子どもが、縁側でじいちゃんたちが指す将棋をただ眺めているだけでもいい。「やってみるか」の声がけで、駒の動きを教えてもらったりしてさ。年寄りの時間の流れに、しぜんと混じっている。ひと昔前の日本には、どこにでもあった光景だ。縁側でおばあちゃんが、豆の筋をとりながら子どもたちに昔話を語っているみたいな。そんなのは、映画や芝居のなかの美しい幻想だと笑われるかもしれないが。ああいう関係をとり戻せたら、最高だろ。ペニシリン発見について語る啓志叔父さんの膝の上で顕微鏡をのぞいてもいい。無理にお年寄りと交わらなくてもいいさ。かつての僕がそうであったように、書斎で寝転がって好きなだけ本を読んでいてもいい。そういう時間が、その子にとっての何かのきっかけになるかもしれない。
そうだ、逆もいいね。子どもが老人たちにゲームやタブレットの遊び方を教えるのもありだ。教えるというのは、楽しい。自尊心にもつながる。どちらか一方が与える関係じゃなくて、互いが無意識に与えあう。何かを「しなくちゃいけない」じゃなくて、ただ羽を休める場所にしたい。今の子どもはね、忙しすぎるんだよ。物理的にも、心理的にも。
この夢が実現すれば、ほんとうの意味で『虹の家』が地域に溶け込んだことになる。いわば究極の理想形だ。でも、そういう大きな青写真というか、夢を空に描いていれば、進むべき方向も見失わないだろう。
そういって、玲人はさらに顔を赤くした。
それにしても、と翔子は思う。
――れい兄ちゃん、きらきらしていたな。
夢を語る青年の目をしていた。もう還暦をまわっているというのに。
私ではなくて、れい兄ちゃんが芳賀家の跡取りだったら、もっと早くに何もかもうまくいっていたわね、きっと。
玲人と比べ、自らの不甲斐なさに、翔子は唇をぎゅっと引き結ぶ。父と母は大きな翼を広げて、たいせつに私を育て庇護してくれた。それなのに。年老いた親に玲人に、私はまだ助けられているのか。情けない。
――お父さん、お母さん、ごめんなさい。
玲人のおかげで、相続の問題も介護の問題もみごとに解決した。けれど、それがあまりにもみごと過ぎて、長年目を背けてきた翔子の喉に小骨のような自責の棘がささる。喉がひりひりと熱くなる。
――水、お水がほしい。
扉をあけて、勢いよく廊下に出たところで、弾力のある何かにぶつかった。
「ショーコ!どうしたの? あわてて」
ジャンが自分の胸に頭からぶつかった翔子の肩を両手でつかみ、体勢を立て直してくれた。顔をあげると、高い位置にジャンのマリンブルーの双眸があった。すがりつきたくなる衝動を、翔子はぐっとこらえる。
朝食後、ジャンは父に誘われ母を伴い三人で建仁寺の双龍図を観に出かけていた。
「ジャン、翔子はいたか?」
背の高いジャンの後ろから父が顔を出す。
「玲人君が昨日話していた玉子サンドをジャンが食べたいというので、切通し進々堂で買ってきたんだ。いっしょに食べよう」
父が袋を掲げながら、斜め向かいの居間の扉に手をかける。
開けた扉から明るい光がぱっと踊りいで、廊下で舞うほこりにスポットライトを投げる。
雨はあがっていた。
南向きの掃き出し窓から、陽が居間に降り注いでいる。
翔子が膝をついて栗材のカップボードからサンドイッチの取り皿を選んでいると、掃き出し窓からテラスに出ていた父が、「おっ」と声をあげる。
「ジャン、また虹が出ているよ」
振り返ってジャンに声をかける。
雨あがりの陽射しが庭のそこらじゅうで乱反射し踊っている。
「まあ、今日の虹は、またみごとですこと」
盆にガラスのティーポットとケトルをのせて、居間に入ってきた母が感嘆をもらす。
翔子は母の手から盆を受け取り、テーブルに置くと、ジャンの隣にそっと立って掃き出し窓から空を見あげる。庭の築山の遠く背後あたりから、プリズムを通ったような光の帯が、大きな弧を描いて空の彼方に橋を架けている。ほんとうに、みごとだ。
「ショーコ、その涙、どうしたの?」
「えっ?」
驚いて顔をあげた翔子の頬に貼りついた滴のあとをジャンは人差し指の先でぬぐう。いつのまにか涙が頬に細い筋を描いていたようだ。それが陽を受けて光ったのだろう。翔子はあわてて、指先で目尻をこする。
「気分は上々よ。ただちょっと自分に失望しているだけ、いつものことよ」
「翔子、お前は自分の何に失望している?」
振り返って、父が翔子に向き直る。
「何でもないわ…」と言いかけ、翔子は思い直して、父のまなざしを正面で受けとめる。
「れい兄ちゃんが芳賀家の跡取りだったら……こんなにも長くお父さんやお母さんを悩ませることはなかった。私はどうして、れい兄ちゃんみたいになれなかったんだろうって考えたら、自分が情けなくって。不甲斐ない娘で、ごめんなさい」
また、熱いものが胸にこみあげてきそうになって、翔子はみぞおちに力をこめる。
頭を下げる娘に、啓志は穏やかなトーンで話しかける。
「いいかい、翔子」
子どものころから耳になじんだフレーズに、翔子は頭をあげ父を見つめる。
「いつだったか。週刊誌のインタビュー記事で読んだんだがね。ある著名人が、ええっと、誰だったかな。すまない、思い出せないが、こんなことを語っていた」
「親には育てる義務があるけど。子どもは三歳までの愛らしさで、それにじゅうぶん報いている。だから、親孝行なんて考えがおかしい。野生の動物たちは、子育てはしても親孝行をする生物などいない。そんなふうなことを語っていた」
「そのとおりだと思ったね」
啓志は、まだいくぶん表情をこわばらせている娘を見つめながら、ふっと笑みをこぼす。
「翔子。翔子は翔子のままでいいんだよ。玲人君になる必要はない。もちろん、玲人君には感謝している。今回の件もそうだけど、これまでも体の調子をずっと診てもらってきたからね。だからといって、玲人君が息子だったら良かったなんて、考えたこともないよ。息子ならジャンがいる」
啓志の言葉に、隣で朋子がうなずく。
「そうよ。私は翔子ちゃんを育てながら、翔子ちゃんといっしょにもう一度子ども時代を楽しむことができたわ。二度も子ども時代を持てた。とうに忘れていた子どもの目で、また世界を眺めることができたの。それは、翔子ちゃん、あなたとだから私は良かったのよ」
「そうだね」啓志が、朋子のあとを引き継ぐ。
「そのお返しと言ってもいいだろうか。親の最後のつとめは、老いていく姿を子どもに見せることだと思っている」
「子どもは、そうやって将来の老いとはどういうものかを知る。いわば、未来を先に体験することになる」
「人生は一度ではない。何度でも経験できるんだよ」
そう言いながら、父は空にあざやかな橋を架ける虹に目をやる。
「ショーコがレートになったら、僕の運命の人がいなくなるじゃないか」
ジャンが翔子の肩に手をかけ、抱き寄せる。
そうね。どんなにがんばっても、私がれい兄ちゃんのようになれることはない。私は私でいい。そういってくれる人たちがいる。不甲斐なさもひっくるめて、私なのだから。今さら背伸びをしてもしかたない。いつか母のように、すべてを静かに受けとめてたゆたう海になれるだろうか。
翔子は、父を、母を、ジャンを順に見つめる。
何度でもここに還ってくればいいのだ。
還るべき場所を玲人は残して、未来へとつないでくれるという。私にも何かをつなぐことができるかもしれない。
イギリスと日本と、私にはどちらにも還る場所がある。
愛する人たちのあいだを、過去と今とを、ゆらゆらと揺れながら生きていこう。いつか、死が分かつときが来ようとも。ともに過ごした記憶は消えないのだから。
いつでも、振り返って揺れて戻ればいい。何度でも、幾度でも。
虹は天と地を結んで橋を架けるという。
すそから淡く薄く、光の帯が水無月の空に透けて消えていく。
七色の鱗を光らせて龍が天に吸い込まれていくようだ。
うっすらと尾を引く光の行方から、翔子は愛しき人たちへ視線を移しやわらかに微笑む。
「今日は、私が紅茶のダンスを披露するわ」
<完>
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