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誕生日を盗め!(#シロクマ文芸部)

「誕生日を盗んでいただけないかしら」

 マイアミのビーチに面したカフェで、リックはジョッキを手に、行き交う極彩色のビキニの肢体に目を細めていた。麦の液体で喉をうるおしながら小麦色の肌を眺める至福。惜しみなく降りそそぐまばゆい太陽。天国はここにある。ニューヨークでひと仕事をこなしたリックは、バカンスを楽しんでいた。恋人のミアも連れてきたかったが、「ごめんなさい。締め切り前でお休みがとれないの」と、ひどく残念がっていた。中堅どころの出版社で駆け出し編集者のミアは、ろくに休みもとれないことをいつも嘆いている。
 テーブルに置いたジョッキにちらりと影がさしたと思うまもなく、目の前の絶景がさえぎられた。大きなオバール型のサングラスをかけ、白地に黒のポルカドットのタイトなワンショルダードレスを着た女が、断りもなくリックの向いに腰かけた。つばの広い黒のストローハットの縁を少しあげ、口もとだけで艶然と微笑む。くそっ。せっかくのすばらしい眺めが見えないじゃないか。俺はステーキよりもアラカルトを楽しみたいんだ。ひと夏のバカンス、特定のだれかと親密になるめんどうはごめんこうむりたい。

「なにか勘違い、あるいは人ちがいをされているのでは?」
 ぬるくなったビールを流し込み、うろんな美女に目を向ける。 
「あら、知っているのよ。あなたは凄腕の泥棒リック・ベルガモットって。宝石や金塊には目もくれず、価値のないおかしな物しか盗まない変わり者の怪盗さん」
 リックはジッポーを片手で操りながら女をにらむ。
「では、報酬が高額だということも?」
 うまく着火しない。
「ええ、もちろん。3万ドルだったかしら」
 女がリックの手からジッポーを奪い、左手で風をさえぎりリックの咥え煙草に火をつける。
「5日後にゴードン邸で誕生日パーティが開かれるわ。そうね、1週間でどうかしら。1週間後の8月18日までにゴードンの誕生日を盗んで」
 女は化粧ポーチほどの大きさしかない白いエナメルのクラッチバッグを開ける。
「手付け金よ」
 1万ドルの小切手にマリコ・コウガとサインする。
「日本人か?」
「日本人じゃ信用できない?」
「いや、彼らのヒステリックな生真面目さには、心から敬服しているさ」
「Me tooよ。あなたの腕前には期待してる」
 じゃ、とマリコはストレートロングの黒髪を太陽になびかせて去っていった。日本人にしては肉感的なヒップのラインも、まずまずの合格点だ。

 マイアミの高級住宅街コーラル・ゲーブルズ地区でもひときわ目立つコロニアル様式の白亜の邸宅。一代で財を築いた当主のエリック・ゴードンがひと月前に亡くなり、今は息子のビル・ゴードンが屋敷の主人だ。
 マリコの依頼を受けて以来、「誕生日を盗む」とはどういうことかをリックは考えつづけている。ビル・ゴードンの35回目の誕生パーティを台無しにすればいいのか? いや、それでは盗んだことにはならない。
 とりあえず敵情視察は基本だ。リックは雑誌記者を装い、ビル・ゴードンに当主就任の抱負を聞かせてほしいとインタビューを申し出ると、あっさりと許可された。どうやら虚栄心の強いやからのようで助かった。

 インタビューは小一時間ほどで終わった。短い時間ではあったが、不肖の二世にありがちで、偉大な父に対する対抗心があからさまだった。誕生日にまつわる何かを聞き出せないものかと、手を変え品を変え話を向けたが、たいした収穫はなかった。
 そろそろ潮時かと腰を浮かせかけたときだ。
 にゃあ。
 小さな鳴き声をたて、三毛猫が扉の隙間から侵入した。
 後を追って来たのだろう、「ご歓談中に失礼します」と断ってメイドが扉前で頭を下げていた。
「バースがお部屋に入り込んでおりませんでしょうか」
「さっさと捕獲しろ」
 だが、子猫はすばしっこかった。怯えてパニックにもなっていた。
 マントルピースやコレクションボード、サイドテーブルなどに李朝の壺や初期マイセンの器、ガレのランプなどがこれみよがしに飾られている。まずいな、とリックは瞬時に判断した。高級品たちがどうなろうと知ったことじゃないし胸もすくが、この中に「誕生日」があるかもしれない。追いかけようとするメイドを手で制す。リックは麻のジャケットを脱ぐと、反対側から静かに近づき、子猫に向かってふわりと投げる。ジャケットごと子猫をくるんで捕まえた。
 子猫の首もとをつかんでメイドに渡す。
「バースはゲージに入れておけと、いつも言ってるだろ」
「申し訳ございません、旦那様」
 ぶっ、ぶっ、ふぇっくしょん。ビル・ゴードンは盛大なくしゃみをして顔を顰める。捕まえた(いや調度品を守った)リックに礼の一つもないのは腹立たしいが、これもチャンスだ。
「誕生日パーティも取材させていただけないでしょうか」
「ああ、かまわん。大いに喧伝けんでんしてくれたまえ」
 無駄に長い脚をソファで組み直し、薄っぺらい胸を反らした。

 パーティの前日、リックは電気業者を装ってゴードン邸に電話をかける。パーティのために一時的な電源増設の工事をすると偽り、各部屋の下見を済ませた。あとは当日に盗み出すだけだ。

 今日も惜しみなく陽光が降り注ぎ、ビキニが極彩色の絵画を描いている。ビーチに面したテラス席に黒のストローハットを見つける。
「ご所望の誕生日ですよ」
 先日とは逆に、リックがビーチを遮断するように向かい席に腰かけ、テーブルの上に籠を置く。女はサングラスを外して、切れ長の目を細める。
 にゃあ。
 子猫が甘ったるい声で鳴く。
「それにしても、よくこの猫のことだとわかったわね」
「バースと略して呼ばれていたので、はじめは気づきませんでしたよ。だが、微かな違和感があった」
「違和感?」
「そう、違和感はいくつかあった。ビル・ゴードンは明らかに猫が好きじゃない。いや、猫アレルギーを持っている。なのに、なぜ子猫を飼っているのか? それが一つめの違和感」
「あら、よく、ビルのアレルギーに気づいたわね」
 ふふ、と女は片頬で笑う。
「屋敷のなかの調度品はいずれも、ひと目でわかるような高級品で埋め尽くされていた。それなのに、なぜ飼い猫はただの三毛猫なのか。その猫だけが、あの屋敷というよりもビル・ゴードンにそぐわないんですよ。これが二つめの違和感」 
 マリコはケージから猫を取り出すと愛おしそうに胸に抱く。
「そう、この子の名はバースデイ。娘と同じ日に生まれた猫よ。エリックが娘の出産祝いにプレゼントしてくれた。あの人の置き土産」
「あなたはエリック・ゴードン氏の愛人と噂されていた」
「そうね」
 そんなことはどうでもいいの、とでも云うように、マリコは膝に乗せた子猫の背を撫でている。 
「一つわからないのは、なぜ、この猫がゴードン邸に居たのか、ということです」
「手違いよ」
「手違い?」
「ええ、エリックは私のコテージで倒れた。心筋梗塞でね。救急搬送されたけど助からなかった。葬式が済むとすぐに、ビルが大勢の使用人を連れて乗り込んできたわ。たぶんこの子は、あの日、クローゼットに掛けているエリックのスーツのポケットにでも入って寝ていたのね。そこがお気に入りの場所だったから。それに気づかず、あの人たちは、ごっそりとエリックの物を持ち帰ったのよ。何もかも、ごっそりとね。ビルが出ていくとき、こう言ったわ。『お情けで、この家だけは残してやる』ですって」
 マリコは大きくため息をつく。
 リックは胸ポケットからジッポーを取り出す。今日は難なく煙草に火を着けた。
「ねえ、どうやってこの子を盗み出したの」
「ああ、それは簡単ですよ」
 パーティ前日に電気業者に変装して屋敷を下見し、猫のケージがバックヤードに置かれていることを確認した。パーティ当日、「水がほしい」とバックヤードをのぞき、気づかれないように足でケージの鍵をあける。あとは門まで数メートル間隔で小指の先ほどのマタタビを撒いて歩いた。バースが付いてきていることを確認しながら。
「ついでにいいですか。まだ二、三、違和感というか、腑に落ちないことがある」
「あら、何かしら。すべてお答えできるかはわからないけど」
「エリック・ゴードンはなぜ、お嬢さんを認知しなかったのでしょう? 同じ日に生まれた猫をわざわざ探してプレゼントするくらいの愛情をお持ちだったのに」
「財産分与をするのが嫌だったんじゃない? 私も認知を求めなかったし」
「そうでしょうね。なぜなら、本来あなたの名前は、マリコ・コウガ・ゴードンのはずだから」
 一瞬、子猫を撫でていた手が止まる。
「あなたはエリック氏の愛人なんかじゃない。認知されなかった婚外子だ」
 艶やかな髪と同じ漆黒の瞳がにらむ。
「泥棒って探偵まがいのこともするのかしら」
「依頼人のことを調べなければ、ご要望に応えることもできませんからね。なぜエリック氏があなたを認知されなかったのかは尋ねません。だが、おそらくビルは、あなたが妹だと知らず、愛人だと思い込んでいるのではありませんか?」
「そうよ。今さら正す気もないわ。父は、エリックは、知らなかったのよ、私の存在をずっと。母が亡くなるまでね。事実を知って私を訪ねてきたとき養子にすると言った。でも、断った。もう成人していたから。せめてもの償いにとコテージを買ってくれた。私に会うためだけにコーラル・ゲーブルズに自分の別荘まで購入したわ。それまでの時間を取り戻したいからですって。男ってロマンチストよね。だから、はた目には愛人にしか見えなかったでしょうね。もちろん娘の父親はエリックじゃないわ」
「エリック氏は、あなたの将来を心配されたのでは」
「そうね。財産分与の話もあったけど、断った。だって、相続争いなんて不毛な消耗戦、ばかばかしいだけでしょ」
「ええ、それでも、父親としては何かしたかったでしょうね」
「どういうことかしら?」
「もう一つ解せないことがあるんですよ。なぜ、ビル・ゴードンは手違いで持ち帰った、雑種の三毛猫を処分しなかったのか」
 マリコが目を反らす。
「三毛猫のオスは遺伝学的に存在が不可能だそうですね。だが、ごく稀に、特殊な遺伝子が発現し生まれることがある。三千匹に一匹、あるいは三万匹に一匹といわれるくらい希少だ。つまり市場価値が高く、数万ドルで取引されることもあるとご存知だったのでしょう?」
 マリコは口を噤んだままだ。
「ビルはそのことに気づいた。それで、あなたから取り上げたのですね」
「あら、どうかしら。そうであったとしても、この子を売るつもりなんてさらさらないわ」
 マリコは子猫を抱きあげ、そのマズルにキスをする。
「だって、娘と同じ日に生まれたかけがえのない家族なんですもの。そして、今日、8月18日が娘とバースの1歳の誕生日よ」

<了>

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今作は、エドワード・D・ホックの『怪盗ニック』シリーズへのオマージュとして書きました。
ニック・ヴェルヴェットは、2万ドルの報酬で<価値のないもの>だけを盗むことで、知る人ぞ知る怪盗。ニックが依頼を受けて盗んだものは、プールの水、古いクモの巣、サーカスのポスター、映画の没フィルム、アパートのごみなど。なんでこれを? どうやって盗む? そんなおもしろさにページをめくる手が止まらない作品です。

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今週も、また、ぎりぎり滑り込みでの参加です。
小牧部長様、どうぞよろしくお願いいたします。


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