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【連載小説】「北風のリュート」第42話

前話

第42話:空の赤潮対策本部(4)
 
市長は立ちあがると、流斗の提案の綻びを衝いた。
「避難では自家用車の使用を禁止するんでしたな。ですが、患者搬送を先行し快復映像を発信すると、一斉避難前に脱出を図る市民も多数現れると思われます。いや、殺到するでしょう」
 あ、と流斗は自分の迂闊さに舌を打つ。
「市長の懸念はもっともです。自家用車による自主脱出を認めるかどうかですね」
 流斗は起こりうる可能性を脳内でシュミレーションする。
「現在、鏡原から他市に通じる主要幹線道は交通機動隊が封鎖しています。自主脱出を禁止しても、ロックダウンの解除とともに車が列をなす。通行を禁止すれば暴動が発生するでしょう。かたや通行を許可した場合、自称ポリスが鏡原からの脱出を阻止しようと、鏡原ナンバー車に危害を及ぼす可能性があります」
 いずれも最悪の事態だ。
「ロックダウンの即時解除をお願いしたが、二十五日の全住民避難まで維持した方が良いかもしれません。警察の見解はどうですか」
「察庁の村上だ。暴動ほどしまつに負えんものはない。解除はぎりぎりがいいだろう。だが、ロックダウンを解除しなければ、俺たちを殺すつもりかと暴動が起きる可能性も否定できん」
「そうですね。市長、住民振り分け作業の短縮は可能ですか」
 流斗が市長に問う。
「正直、六日間でも厳しい。休日返上で職員にはがんばってもらうが、これ以上は……」
「そうでしょう。混乱を避けるには、準備は万全が第一です。暴動対応は自衛隊の配備もお願いすることになる。鷺池陸将の考えは?」
「解除は二十五日が無難だろう。命を助けるはずの作戦で、犠牲者を出すわけにはいかん」
 鷺池が即答する。
「数日だけ遅らせるという手もあるぞ」
 議長の榊原が鋭い眼光で流斗を見つめる。
「どういうことです?」
「解除の手続き中ということにしてだな、個別通知の準備が整った段階で解除する。一週間は待てなくても、二日ぐらいなら待てるんじゃないか」
 確かに、と一瞬、光が見えたように思った。いや、だが、しかし。
「とても魅力的な案です。ですが、患者移送もそこまで遅らすことになり、間に合わなくなる可能性も。それに……」
 流斗はちらっと市長に目をやる。
「住民を小手先でだますことになります。いったん信を失えば、回復は不可能です」
「では、どうするというのだ」榊原が憮然とする。
「折衷案ですが。本日の記者会見は見送ります。明日の午前に、呼吸困難患者を数名ドクターヘリにて小牧基地に移送し、症状が快復した映像を撮影する。午後に会見を開き、映像を公開。全住民避難と赤い瘡蓋掃討作戦を公表。同時にロックダウンの解除も公表します」
「それでは、市長の懸念が解消されとらんだろ」
「優先順位の転換です」
「どういうことだ」
「我々がやろうとしているのは、鏡原を空っぽにし、赤い瘡蓋掃討作戦を実行することです」
「だから?」榊原の声に苛立ちが混ざる。
「最優先事項は、住民の命と安全。鏡原に留まるのが危険とわかれば、一刻も早く脱出したくなるのは当たり前です。津波が起きれば、命を守るため高台に逃げるよう呼びかけます。本来は、鏡原は危険だから逃げてください、と警告すべきなんです」
 流斗は息を継ぐ。焦点は榊原からそらさない。
「それを、なぜ、こんな手の込んだ避難計画を立てるのか。感染症という間違った噂が広まってしまったからです。それさえなければ、危険だから一刻も早く逃げてとアナウンスするだけで良かったんです」
 榊原も流斗を凝視したままだ。
「まず根本を正します」
「それが、ドクターヘリでの搬送映像か」
「そうです。事実を見せるのが、最も強い。感染症ではない事実を世間に証明します」
 流斗は唾を呑みこむ。
「自主脱出は禁止すべきではないし、禁止しないのであれば、脱出する人たちの安全確保が優先されるべきです。その上で、全住民避難計画と瘡蓋掃討作戦を実行します」
「一度の映像で、簡単に風評がなくなると?」
 榊原は尋問の手を緩めない。
「それは無理でしょう。けど、自称ポリスに『正義』がなくなります。彼らの行為は単なる器物損壊や傷害になる」
「鏡原を脱出した車が、どこで被害に遭うかわからんぞ」
「脱出後は我々の役目ではなく、地域の警察の役割、通常業務の範疇です」
「周辺警察に自称ポリス取り締まり強化を通達しよう」
 警察庁の村上が即座に応じる。
「自主脱出を禁止しないなら、避難計画そのものが不要になるのでは?」
 疑問の声が飛ぶ。
「市外に避難先の見込みのある人がどれだけいるかによります。それを事前に把握するのは難しい。一斉避難では政府が責任をもって移送と避難所を用意すること、避難までは十分な酸素ボンベを配給することを丁寧に説明すれば、案外、一斉避難を選ぶ人も多いのではないでしょうか」
「避難計画に脱出者をどう反映させるのですか。作業が複雑になり六日間での完了が困難になります」
 市長が悲鳴をあげる。
「避難計画は脱出者を無視して策定してください。ロックダウンで封鎖中の四地点に検問を設け、同乗者全員の氏名と住所を確認する。そのデータは、一斉避難時に乗り遅れがないかの照合に活用すればいい」
「十万人が五万人に減り、避難が二日に短縮可能になってもか」
「はい。そのつど変更を反映させると作業が煩雑になりミスも起こります。N鉄や航空便も直前でころころ変更すると混乱します」
 榊原は腕を組み目をつぶる。一分程そうしていたが、カッと目を開けた。
「本日の記者会見はキャンセルし、明日へ延期する」
 知事が職員に会見キャンセルを伝えるよう指示する。
「明日の午前中に鏡原中央病院から患者をドクターヘリにて小牧に移送。消防庁はヘリの手配を。基地には私が話をつける。会見は夕方のニュース放送に合わせ、十七時でどうだ?」
「よろしくお願いします」
 流斗は立ったまま机につきそうなほど深く頭を下げた。
「本日はここまで。各自、明日からの作業の手配を進めてくれ。鏡原の存亡、ひいては日本の存亡は皆さんの働きにかかっている。よろしく頼む」
 議長の榊原も頭を下げた。
 
 流斗は両手を机について大きくため息をつく。
 長い一日だった。
 最後の攻防を反芻する。読みが甘かった。似たようなことは、次々に出てくるだろう。所詮はすべてが机上の空論なのだから。それを空論にしないよう軌道修正を重ねるしかない。
 県庁職員がブラインドをあげる。
 振り返ると、夏の射るような陽ざしは力を弱め、日暮れ前の透明な空があった。積雲が一列に並んでクラウドストリートを作っている。日没前の美しい空。この空を鏡原に取り戻すんだ。
「きれいに並んだクラウドストリートだな」
 気象研究所長の高塚が隣に立つ。そういえば、今日初めて所長の声を聞いた。池上たちのように援護発言をしてくれたわけではない。それでも、隣に小柄な所長が座っているだけで、流斗はふだんの自分を保てた。
 鷺池が流斗の肩に手を置く。「よく榊原の猛攻に耐えたな」池上がにやついている。「手加減しとっただろ」榊原が苦笑している。
 流斗は三人の猛将に、さまにならない敬礼をする。
 これからだ。明日からようやく鏡原を救える。
 体の芯が震えるのを感じた。

続く

 

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