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【連載小説】「北風のリュート」第43話

前話

第43話:空の赤潮対策本部(5)
【6月19日、G県庁】
 県庁舎前は報道記者やカメラクルーでごった返していた。
 『鏡原クライシス緊急対策本部』がすでに稼働しているのに、別の対策本部を立ち上げるというだけでも耳目を集めていたが、その上、昨日予定していた会見を急遽キャンセルした。それが放送局の興味を引いたらしい。かなりの報道陣が詰めかけている。昨日の会見中止は苦肉の策だったが、結果的に良かったとカメラの多さに流斗は目を細める。
 昼過ぎから降っていた小雨も今はあがっている。二階の連絡通路から群れる報道陣たちを眺め、会見場の議会棟三階大会議室に向かった。
 榊原に続いて席に着くと、フラッシュの閃光が無秩序に様々な角度から光り、目がちかちかした。ネクタイが曲がっとるぞ、と会見場に入る前に榊原から指摘された。シャツのしっぽが出とる、と池上に嗤われた。
 官房副長官の榊原の隣にぼさぼさ髪の若者が座ると、記者席がざわついた。流斗の左隣に榊原、右隣に鏡原基地の池上副司令、その右に鷺池陸将だ。榊原の左に樫本県知事と庭本市長が並んだ。威圧感のある三人の幕僚に挟まれた上席に風采も肩書も貧相な青年が座しているのだ。「あいつは誰だ」のひそひそ声が止まない。「黙らせるか」と池上が小声で訊いてきたが、「いや、いいです」と返した。今から話す内容をきちんと放送してもらえればいい。鏡原クライシスの真実を伝えてもらえればいい。それだけだ。
 対策本部長の榊原が、『鏡原クライシス・空の赤潮対策本部』の発足とその構成メンバーを読み上げ、「鏡原クライシスとは何かについて、気象研究所研究官の天馬流斗氏から説明します」と流斗にマイクをずらした。
 流斗はぺこりと顎先を下げただけの礼らしきものをすると、前列で構えるカメラの束に向かって説明をはじめた。カメラの向こうにいる十万人の鏡原市民と日本国民に向けて。
「鏡原クライシスは、感染症ではなく、気象による未曽有の災害です」
 ゆっくりとカメラの前の人に諭すように告げる。
 感染症ではないとの断言に、どよめきが高波となる。それが静まるのを待つ。潮が引くのを見計らって、
「鏡原クライシスの原因、それは『空の赤潮』です」と断じた。
 空の赤潮? 疑問符がぱらつく。
「仕組みについてご説明します」
 尚、放送には事前に各局に配信している画像をお使いください、と但し書きを申し添え、スクリーンに鏡原の空の状況や簡明な解説図を映し出す。
 お年寄りや中学生にも届くように、わかりやすい言葉で、印象に残る映像を使い、ポイントを押さえて説明した。鏡原クライシスとは何か、『空の赤潮』『赤い瘡蓋かさぶた』などイメージしやすい言葉で解説した。本来の赤潮や瘡蓋とは仕組みも働きも異なる。正確さが求められる学会でこんな用語を使おうものなら失笑されるが、誰にでもわかってもらうには、正確さよりイメージの共有だ。
 異常気温で発生した微生物が鏡原盆地に蓋をし、酸素不足に陥っているのが原因です。ウイルスによる感染症ではないため、人から人へ伝染するものではありません。
「鏡原を出れば、呼吸困難は快復します」
 納得と、とまどいと、驚きが記者席で激しく点滅する。
「それを今から証明します」
 午前中にドクターヘリに同乗して迅が撮影した動画を流すと、ざわめきは、どよめきに変わった。
 小牧基地に到着すると患者の酸素チューブを外す。パルスオキシメーターの数字もアップで撮影され、血中酸素濃度がみるみる改善していく。患者が深呼吸し笑顔になる。
 やらせじゃないのか、という声があがった。
「やらせを疑われるのも理解できます。時間の都合上、編集した動画をお見せしているのですから。元データ画像は政府広報室のホームページに格納しています。マスコミ関係者だけでなく、一般の方も誰でもダウンロードしてご覧いただけます。マスコミ関係者に限りますが、搬送ヘリへの同乗取材にもできるだけ対応します」
 不安を除くためなら何でもしよう。誠実に対応する、それしかない。
 局と相談しているのだろう。会議室の後ろでスマホを耳にあてる記者たちがかなりいる。
 ざわめきが一巡したところで、榊原にマイクを返した。
「これらを踏まえ」流斗とは格の違う榊原の声に、一瞬で座が静まった。
「鏡原全住民の一時避難と赤い瘡蓋掃討作戦を実行に移します。市民の避難は、六月二十五日から二十八日までの四日間、予備日も含め二十九日に完了し、三十日に『赤い瘡蓋掃討作戦』を決行します」
 ホールは蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。
 <閣議決定は経ているのか>
 <住民避難は、どこに、どのようにして>
 <赤い瘡蓋掃討作戦の具体的内容は>
 質問が散弾銃のように飛び交う。司会者が「質疑応答は後ほど時間の許す限り受け付けます」と会場を制した。
「閣議決定だが」と、榊原が官房副長官の立場から答える。
 超法規的措置として『空の赤潮対策本部』の審議決定事項は、閣議決定を経ずに総理大臣の専権事項として承認されることになっており、すでに総理によって了承済みであると告げた。また、短期決戦の有事であるため、野党の了承も得ていると明らかにし、記者たちの口を封じた。
「具体的な避難計画と作戦を説明する」
 榊原は避難先として三空港を挙げ、その選定の意図並びに空路と陸路での移送計画の概要を説明した。続いて池上が、ペトリオットミサイルによって赤い瘡蓋に穴をあけ、強力な下降気流を利用し赤い瘡蓋を吹き飛ばす作戦を解説した。
 計画の壮大さと破天荒さに、唸り声しか漏れなかった。
 これから各局の解説委員や有識者が批判と解説を展開するだろう。批判されてもかまわない。鏡原クライシスが、感染症ではない、異常気象が原因であることが理解され、鏡原を救うことさえできれば。作戦に穴があるなら指摘してくれた方がありがたい。
「最後に庭本市長より、全市民避難計画の進捗状況の報告があります」
 司会者の声で流斗は我に返った。
 庭本市長には、避難計画作業で忙しいなか、列席してもらった。作業がどこまで進んでいるかをこまめに発信することで、住民の不安を押さえましょう、情報はガラス張りにしましょう、と力説した。
 丸顔でたれ目の容貌と気さくな人柄で『アンパンマン市長』と人気の庭本の公式SNSはフォロワー数が二万を超える。二万なら鏡原全世帯の七割近くをカバーできているじゃないか。これを利用しない手はない。
 流斗の要望に庭本は、丸く盛り上がった頬をほころばせ「朝夕の二回、作業の進捗状況を発信しましょう」と請け負ってくれた。
 庭本にマイクが回ったとたんに、会場の空気がなごむのが流斗にも肌でわかった。決して笑っているわけではないのだが、細いたれ目が微笑んでいるように見えるのだ。
「全市民の避難先と日程の振り分けは、AIを使って速やかに行います。優先順位は、乳幼児と高齢者のいる家庭です。こちらは空路利用で、前半の二日間に。家庭に一人でも乳幼児がいる場合、優先対象になります。高齢者は後期高齢者とします。日程や乗車便の個別通知は世帯主のマイナンバーカードにお知らせします。個別検索サイトの立ち上げも検討しましたが、システムの整備が間に合わないため見送りました。代わりに、問い合わせ窓口を増設し、県にもご協力いただきます。こちらの番号については、明日、市のホームページと私のアカウント『アンパンマン通信』からお知らせします。情報は、一日二回、朝夕に更新します。『アンパンマン通信』をフォローしていただければ、自動的に情報が配信されます。あ、これはフォロワーを増やすキャンペーンではありませんよ」
 アンパンマン似の顔で締めると、どっと笑いが起きた。
 予定の二時間を大幅にオーバーして会見は終了した。
 
 流斗は連日、政府広報はもちろん各局の特番に出演した。
 『空の赤潮』説は、世論の理解を得るのにわかりやすく簡明だった。『赤い瘡蓋』もイメージしやすく、早速マスコミが飛びつき、連日、各局が解説報道を繰り返した。流斗にも出演依頼が相次いだ。短期決戦を成功させるには、情報をガラス張りにし印象に残すことが重要だ。できる限りカメラの前に立った。ぼさぼさの頭と、くしゃくしゃのシャツで。「スタイリストとやらは付かんのか」池上が作戦の打ち合わせのたびにこぼしていたと迅から報告を受けた。
 
 アメリカを始めとする世界各国より、酸素ボンベの大量提供が約束され、災害支援物資として次々に空輸されてくる。世界がいっせいに鏡原の援護に回った。住民避難に充てられる三空港以外では、国際便が飛び始め、経済も動き出した。

続く

 


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