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【連載小説】「北風のリュート」第31話

前話

第31話:鏡原クライシス(1)
 政府がぼやぼやしている間に、世間が動き、世界が動いた。
 謎の病による鏡原の危機的状況は、「鏡原クライシス」と呼ばれるようになった。連日、感染症の権威や危機管理の専門家らが10年前のパンデミックとの比較も交えた私見を競う。謎の病の発生源は何か。感染拡大を封じ込めるにはどうすべきか。
 
 海外の動きは早かった。
 真っ先に反応したのはアメリカだ。CDCの東アジア・太平洋地域(EAP)オフィスが、SNSで火が着いたばかりの6月3日に、厚労省に鏡原における呼吸困難患者急増の情報提供がなかったことに抗議し、現地に調査官を派遣した。CDCの東京オフィスであるEAPは、新型コロナが中国起源だったことを重視し、2024年に東京の米大使館内に設置された。5日にはアメリカ政府は、日本への渡航禁止と日本からの航空便の空港利用禁止を発表した。アメリカの動きに中国、ロシアが続く。それを皮切りにヨーロッパやアジア各国も次々に追随する流れが止まらず、日本はまたたくまに世界経済から締め出された。
 政府は各国大使館に抗議をしたが、逆になぜ即座に鏡原を封鎖しないと非難されるしまつだ。日本の食料自給率は改善の途にあるとはいえ、43%にとどまっている。人道的な交易の再開を政府は強く訴えたが、10年前の悪夢が諸外国にもある。「KAGAMIHARA Crisis」は、世界共通ワードとなった。
 財界が悲鳴をあげ、政府の初動の遅れを非難した。

【6月10日】
 週が明けた10日(月)、世界と経済界に突き上げられる形で緊急対策本部が、内閣感染症危機管理統括庁内に設置された。
 
「くそっ、まにあわなかったか」
 流斗は気象研究所第6研究室の机を叩き、NHKの速報を凝視する。
 昨日、ようやく証拠データが揃い、名古屋からつくばに帰ってきた。これらを基に対策本部設置を働きかけようとした矢先だった。
 内閣感染症危機管理統括庁トップは竹内官房副長官が兼務している。彼を座長に、国立健康危機管理研究機構(JIHSジース)総局長、厚労省大臣官房危機管理総括審議官、国立循環器病研究センター長、日本呼吸器学会長、G県知事、G県医師会長、鏡原市長の錚々たる陣容だ。メンバーをみると政府が事態を重くとらえていることはわかる。
 10年前のパンデミックの反省から時の首相の肝入りで創設された内閣感染症危機管理統括庁と日本版CDCと称されるJIHSが主導権を握ることからも、未知の感染症を前提とした対策本部であることは明らかだ。
「これじゃあ、だめなんだ」
 流斗は机の上の資料をかき集め、USBを白衣の胸ポケットに入れて廊下へと飛び出した。
「天馬君、どこへ」
 廊下ですれ違った若宮室長が走り去る背に声をかけたが、流斗は答えなかった。
 
 鏡原は見捨てられた――。
 小羽田雅史はNHKの速報映像を見ながら臍を噛んだ。
 こんな張りぼての見せかけ、と吐き捨てる。
 当該病の患者を診療した医師どころか、拠点病院の鏡原中央病院長の名もない。消防庁の幹部もいない。県医師会長は県庁所在地のG市で開業している医師で、G市では呼吸困難患者の顕著な増加はない。鏡原からは、市長の庭本信二がメンバーに入っているだけだ。
 鏡原の現状を肌で把握している者は一人もいないじゃないか。 
 呼吸困難患者は増え続け、医療現場は瓦解している。おまけに自称ポリスの影響もあり、鏡原への物流も困難をきたしていた。
 陸の孤島、いや監獄にされる。
 雅史は早くから県医師会に「ただの熱中症ではない」と異変の兆候を伝えていた。だが、厚労省は動かなかった。
 いくらAIを使って救急搬送の頻度や患者数の推移を管理しても、データをどう読み、どう生かすかは最終的には人の裁量だ。人口1400万人の東京と比べると、10万人の鏡原における救急搬送の数字など微々たるものにしか映らない。高齢化の進む地方都市で熱中症患者が増えただけと切り捨てられる。数字に想像力を乗せてこそ、データは意味をもつ。中央官僚の地方を軽視する読みの甘さが、透けて見える。彼らにとって、東京に危害が及ばなければよいのだ。
 有効な対策が打たれるはずもなかった。そのことに雅史は忸怩たる思いを抱いていた。

続く


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