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【連載小説】「北風のリュート」第30話

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第30話:散らばる異変(6)
「お母さん、ひいおばあちゃんの、琴乃おばあちゃんの実家はどこ?」
 キッチンにいた母に息せき切ってレイは尋ねた。
 午後診までの時間、母はこまごまとした家事をこなす。夕食の下ごしらえを終えて一服するところだったのだろう。紅茶缶を手にしていた。
 母はすぐには答えず、レイから視線を外してポットに茶葉を入れる。なかなか答えてくれない。じれったくなって詰め寄ろうとすると、
「琴乃おばあちゃんは、北堂の家に嫁いで来たんじゃなくて……北堂家の生まれなの。家付き一人娘だったのよ」と、片頬を歪ませて困ったような表情を浮かべた。
 曾祖母の琴乃が家付き一人娘。それってどういうこと?
 レイは頭のなかを整理する。
 琴乃の実家ではなく、琴乃の母親の実家までたどらなければいけない? 
「北堂のおじ様の電話番号を教えて」
 いつものレイなら、あっさり撤収しているところだ。でも、ボッシュのためにも諦めるわけにはいかない。愛犬の遺骨を握りしめる。
「恭一さんは市役所にお勤めだから仕事中よ。邦和叔父様ならいらっしゃるんじゃないかしら」
「邦和おじ様って?」
「恭一さんのお父さんで、琴乃おばあちゃんの息子。そうね、琴乃おばあちゃんの母親のことなら、恭一さんより邦和叔父様のほうがいいでしょう。お母さんが電話してあげようか?」
 レイは自分で掛けると首を振った。
  
 母が午後診に向かったのを確かめ、レイは自室に戻った。
 スマホは北堂邦和の番号を表示している。しばらくその画面を見つめていた。すぅっと肺に息をためる。
「あ、あの。小羽田レイと言います。美沙の娘の」
 全部言い終わらないうちに、バリトンの声が響いた。
『美沙ちゃんの娘のレイちゃんか。こないだは、留守にしとってすまんかったな。探しもんも見つからんかったみたいで、申し訳なかった』
 レイはごくっと唾を呑みこむ。心臓がせわしない。
「あ、あの。琴乃おばあちゃんのお母さんのご実家を知りたくて……」
 声がだんだん尻すぼみになる。
『房江おばあ様の実家か。龍秘伝やったか、あれをまだ探しとるんやな。名古屋から嫁いで来たと聞いとるが。母さんがまともやったら話が早かったけど、認知が進んどるからなあ。連絡先を探してみるわ。時間がかかるかもしれんが、ええか』
 レイは「よろしくお願いします」とスマホに向かって深々と頭を下げた。
 ふうっと大きく息を吐く。心臓が早鐘のようにうるさい。
 
 邦和からの連絡を待つ間もレイは何かせずにはいられず、流斗に実験の手伝いを申し出た。
「手伝ってほしいけど、ペットの突然死がクローズアップされて、自称ポリスが暴走しちゃってるからね。鏡原と名古屋を往来するのは危険だ」
 SNSの呼びかけで集まった自称ポリスたちが、龍ケ洞トンネル出口に土嚢をおいて封鎖する行為があり、交通機動隊が出動する騒ぎとなっていた。名古屋に勤めに出ていた人たちも、次々に自宅待機を求められている。風評に踊らされる群衆ほど恐ろしいものはない、と流斗は嘆く。
「実験画像を送るから、何か気づいた点があったら教えて」
 名古屋に来るときはタッチーに付いてきてもらいなよ、一人はダメだよ、と釘をさされた。任務で忙しい立原に甘えるわけにはいかない。
 レイは自転車の荷台に楽器ケースを積み空を見上げる。雲の底がますます重く赤くなっている。
 空の魚に尋ねたいことが山ほどある。
 どうすれば、あの日のように彼らは交信してくれるのだろう。
 堤の下に自転車を停め、竜野川の土手を歩く。
 ここだ。航空祭の日にここで風琴を弾いていて流斗に声をかけられた。「珍しいね、それ、リュート?」と。あれから二か月も経っていないのに、空はこんなにも違う。レイは土手に座り、風琴を抱くようにしてつま弾く。空の魚が近づいてくる。
 お願い、もう一度でいいから、誰か話しかけて。訊きたいことがあるの。
 
 風龍幽谷に隠れ 龍人風徒秘す
 三密鳴動すれば 風穴道をひら
 風花天地を鎮め 虹龍鏡に消ゆ
 
 口伝を唱え風琴を奏でる。これは、どういう意味で何を伝えているのだろう。「龍」が目立つ。そういえば、鏡原には「龍」の付く地名が多い。龍ケ洞トンネル、龍源神社、龍ケ淵、龍泉狭、龍ノ口。竜野川もそう。そして私は《龍人の血を継ぐ娘》。偶然だろうか。 
 
『すまんなあ。意外と手間取ってしもて』
 北堂邦和から連絡があったのは、八日の土曜だった。
『結論からいうと、糸が切れてしもた』
 四角い声がスマホ越しに詫びる。
 高祖母の房江は名古屋で味噌蔵を営む小池家から北堂家に嫁いできたことまでは、戸籍で簡単にわかったそうだ。
『せやけど』と邦和の声が曇る。そっからが難儀したんや。
 小池家は名古屋城が炎上した名古屋大空襲で全焼していた。無差別爆撃で命の危機が迫るなか、なんぼ秘伝やいうても巻物なんか持ちださんわなあ。しかも小池家はその後、名古屋を離れていた。房江の兄にあたる跡取りの正一が戦死し、店も蔵も焼けてしまったため、商売を畳み、嫁の実家の掛川に身を寄せた。正一の孫にあたる人から話を聞いたが、「掛川に移るときは当座のわずかな物しか持ってなかったようです」と語ってくれたそうだ。
 またか。また、つながりかけた糸が切れてしまった。
 レイはスマホを握りしめる。あと一歩と思うたびに、砂のように掌からこぼれていく。

続く

 

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