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【連載小説】「北風のリュート」第29話

前話

第29話:散らばる異変(5)
【6月2日】
 鏡原中央病院看護師朝倉凪の投稿が引き金だった。
 鏡原で原因不明の呼吸困難患者が激増し、医療現場が崩壊の危機に瀕していると伝えるつぶやきはまたたくまに拡散した。捨てアカの投稿はすぐに削除されたが、「#鏡原で謎の病」のハッシュタグはバズり、ネット界隈が狂乱した。
 煽ったのはわかりやすい不気味な絵面だ。
 曇り空に覆われ昼でも暗い鏡原の画像が、続々とアップされる。大半が無許可でのドローン撮影だ。立ち枯れている樹木、野菜がだらしなく萎びる畑。公園の芝生は枯れ、河原の柳は縮れた葉をぶら下げて頭を垂れている。赤黒い不気味な空。つごう良く不穏な映像が切り取られ拡散する。それらにコメントが増殖して重なる。

《これマジ?》《鏡原全滅》《まじヤバ》《死の町》《こわっ》《呪いか》
 
 拍車をかけたのは、四日に投稿されたペットの突然死だった。
 ミニチュアダックスが泡を吹いて死んでいる写真に「#ペット突然死」「#鏡原危険」のタグが付けられると、「うちの犬も」と同調する投稿が相次ぎネットが沸騰した。
 ヤバっ。ヤバい。ヤバい。ヤバい。鏡原ヤバい。ヤバすぎwww。
 ヤバいの増殖が止まらなくなる。
 追随するようにマスコミ各局が連日特集を組んで報道し始めた。ペットの突然死はセンセーショナルさもあり競って報じられ、AIで作成されたフェイク画像も混在し拡散の勢いが止まらない。
 バラララララッツ。
 報道ヘリが厚く曇った鏡原上空を飛ぶ。救急車のサイレンは鳴りやまず、赤黒く重たい雲の下で不快な警戒音がこだましていた。

【6月4日 小羽田家】
 昨日、ボッシュの火葬を済ませた。
 灰白色に煤けた骨を拾いながら、「ボッシュは赤毒風蟲せきどくワームによる気象災害の犠牲になった」という流斗の言葉がエンドレスでレイの脳内を巡っていた。
 流斗はN大学で引き続き赤い風蟲の生態を調べ、鏡原に滞留している赤い雲を一掃する方法を考えるという。
「大きな力を動かすには、わかりやすいデータが必要だからね」
 鏡原に戻る列車の窓から厳しい目で空を睨んでいた。こんな横顔もするんだと思った。
「手伝いましょうか」とおずおず申し出ると、「レインボーが協力してくれると助かるけど。学校はどうするの? それに」と一瞬ためらってレイを見つめ「レインボーにしかできない宿題もあるよね」と示唆された。
 宿題……。
 自分が何を放り出しているかわかっている。ボッシュを失って、心が前に動かない。
 授業はオンラインに切り替わっている。六限目が終わって動画でも観ようとブラウザのトップページを開き、レイは全身が凍り付いた。
 鏡原でのペットの突然死の記事や画像がずらりと並んでいる。
 口から泡を吹いて白目を剥いているミニチュアダックスやトイプードル。ゴールデンレトリバーやハスキー、コリーなどの大型犬も。画面を次々に切り替える。皆、口から泡を吹いてぐったりと横たわっている。
 ボッシュと、同じ。
 レイは椅子を蹴倒して立ち上がり、モニターの両端を握りしめる。
「ボッシュは赤毒風蟲による気象災害の犠牲になったんだよ」
 流斗の言葉が、急に現実味と恐怖を帯びてレイを揺さぶる。
 『龍秘伝』を探そう。 
 レイは窓を開ける。昼の三時なのに空は重く淀んでいる。雲の底は赤く暗い。幼い頃から空を見上げるのが好きだった。透明な魚が青空に透けて泳ぐ姿が美しかった。ボッシュと並んで空を見上げた。
 あの空を取り戻したい――。
 北堂家で手掛かりが切れたとき、『龍秘伝』なんてただの巻物、見つかったところで何ができるのと、都合よく自分に言い訳をしたけど。唯一、交信してくれた魚の遺言なのだ。北堂家で途切れたのならその先をたどればいい。ボッシュが警鐘を鳴らしてくれたんだ。
 レイは小袋に入れたボッシュの遺骨を握りしめ、階段を駆け下りた。


続く

 

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