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【連載小説】「北風のリュート」第28話

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第28話:散らばる異変(4)
「なあ、そろそろ種あかしをしろよ。シャーレの蓋を開けただけで、なぜ風蟲ワームを見分けられた? 顕微観察もせずに」
 白衣のポケットに片方ずつ手を突っ込んだ前かがみの姿勢で、徳山は上目遣いで流斗に迫る。裸足に履いたクロックスがきゅっと鳴る。
 流斗は鼻の頭を掻き、レイに視線を流す。5秒ほど静止しただろうか。
「実際に見せるのが手っ取り早いよな」とつぶやき、「いる?」と確認すると、レイはうなずく。
「赤い風蟲のほうを好む、と言ってたね。ついでにそれも実験してみよう」
 良いことを思いついたと片笑み、シャーレを二つ実験台に並べる。
 向かって右に赤い風蟲、左に透明な風蟲が入っている。
「では、マジックショーのはじまり、はじまり」
 マジシャンのようにおどけてお辞儀をし、シャーレの蓋をとる。
 レイは通気口のあたりを回遊している魚に目をやる。
 すいーっと数匹が降りてきた。ふわっと風が走る。
「えっ? 消えた……?」
 徳山が声を跳ねあげ、目をしばたく。
 右のシャーレから赤い風蟲が忽然と消えている。
 丸眼鏡の細いブリッジを人差し指で押さえ、シャーレに顔を近づける。
「喰われたんだ」
「喰われた?」
 実験台に手をついたまま徳山は流斗を振り返る。
「あ、今、透明な風蟲も食べました」
 レイの実況中継に、ぱっと左のシャーレに視線を転じる。首に掛けたルーペでシャーレの隅から隅までを浚うように観察するが、10数個体ほどいたはずのゾウリムシ状の姿は発見できなかった。
 徳山はくるりと背後に向き直り、「どういうことだ」と詰め寄る。
「だから、喰われたんだよ」
 いたずらが成功した子どもみたいに、流斗は得意げに口角をあげている。
「何に?」
 徳山の質問をスルーして、「いやあ、うまくいったねぇ」とレイに笑いかける。
「空の魚が赤い風蟲をより好むのも確かめられた」と満足げに顎をなでる。
「おい、空の魚ってなんだ」徳山が流斗の肩をつかむ。
「風の化身、かな。風は魚の姿をしていて、彼女にはそれが見えるんだ」
 ぽりぽりと鼻の頭を掻きながらいう。
「風蟲が消えるのと、どんな関係がある」
「へえ、風が魚の姿で見えていることは問題視しないんだ」
「そういうこともあるんじゃないか。菌屋界隈では、菌に呼ばれたといって新種を発見する奴もいるくらいだ」
 レイは口を半開きにして、徳山を見つめる。
「うん? どうした? 何か気に障ることを言ったか?」
 ぷるぷると首を振る。
「おい、それより、風蟲が消えた現象を説明しろ」
「だから、空の魚が食べたんだよ。食べたら無くなるだろ。捕食者の魚の姿が見えないもんだから、風蟲が突然消えたように見えるだけさ」
「風蟲は餌、つまり風のエネルギー源ということか。じつに興味深いな」
 研究者って……とレイは二人のやりとりに唖然とする。
 興味深いとか、おもしろいと思えれば、なんでも受け入れられる人種なのだろうか。
「赤くなって毒をもつようになったから、こいつの名称は『赤毒風蟲せきどくワーム』とするか」
 どうだ? と流斗が徳山に同意を求める。
「いいんじゃないか。先に食べたということは、赤毒風蟲は何か誘引物質を出しているのかもな」「そう、それだ……」「毒化したのは……」「変異の過程で……」
 二人の議論が潮騒のように続くのを、レイは丸椅子に腰かけ、うつらうつらと聞いていた。ボッシュを亡くした痛みと後悔で昨日からよく眠れていない。夢と現実の境界があいまいでふらふらと漂っている。
「だからさ、レインボー」と、流斗が真剣なまなざしを向ける。
「ボッシュは、こいつらが原因の気象災害の犠牲になったんだ」
(どういうこと?)
 レイは二人の議論をBGMとして聞き流していた。
 唐突にふられた話に脳の回転数があがらない。
 空の魚がレイの首筋をすり抜けていく。
「おまえ、しばらく実験すんだろ。教授の許可はとっておいたぞ」
「おお、持つべきものは微生物オタクだな。サンキュー」
 丸椅子に腰かけている徳山に背後から流斗が抱きつく。
 やめろよ、と徳山は肩に覆いかぶさる腕をはがす。
 流斗はしばらく名古屋に滞在し、赤毒風蟲の特性と気象への影響を検証するという。流斗が名古屋にいる。近くにいてくれる――。
「うちに泊まるの?」レイは上目遣いで訊く。
「いや、実験を急ぎたいから。徳山のアパートに転がりこむ」
 レイの胸はわずかにしぼんだ。

続く

 

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