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【我が子の不登校、引きこもり、精神疾患】「誰の責任にもできない」からの「覚悟」で挑んでいる。


3人の我が子が揃って発達凸凹、不登校、引きこもり、うつや自傷行為、拒食に過食、癇癪、感覚過敏などの精神疾患(症状)で荒れる日々を送ってきた
2010〜2016年までの6年間の我が家の様子を綴った物語が、2023年1月に書籍となり、出版させて頂きました。
外の世界で生きることに適応していけなくなったあの日から
心の世界を向いて生きてきた親子の物語です。ぜひ読んでくださいね😊✨


人生って決断の連続の中を生きてますよね。
決めてないようで、自分が全部決めている。
それは行動も思考も、決めているのは全部自分です。

誰かの振る舞いや意見に対して自分がどのような解釈をつけるのかは自分が選択できるので、誰かの放った言葉を自分がどうするのかは自分で決める事ができるのです。

とは言えども、人は良くも悪くも誰かの言動に精神的、感情的な部分に影響を受け、傷ついたり悲しくなったり、怒ったり、恨んだり、許せなかったり…
または喜んだり、やる気が出たり、満たされたり、幸福を感じたりするもの…

私は3人の子どもたちの不登校や引きこもり、精神疾患などを引き起こす状況を生きなくてはいけなくなってから、とにかく、誰の責任にもしたくないという思いが強くあったので、誰のどんな状況、誰のどんな言動が降りかかってきても、それに対して自分で納得がいく解釈をし行動に移してきました。

これは精神科の先生や学校、学校の先生、カウンセラー、子どもたちに関わってくださった方々、そして我が子たちに対してもそう思っていたので、この状況を生きていく中で私の身に降りかかってくる事や経験していく事、人から言われる事、痛みや苦しみといった味わう事になる全ての感情も…

誰の責任にも、誰のせいにもしたくない…と言うより、「できない」と感じていたのが正解で、結局、全部自分の人生に返ってくるのなら、自分のしていく解釈と決断に責任を持ちたいという気持ちが強くあったのです。

もちろん子どものこういった状況は、親のあり方を求められる場面も多く、その責任や日々の子どもへの対応は、普通に考えれば気が狂いそうになるくらい大変な事であり、親の対応一つで激しく反応してしまう過敏な精神状態の子どもとの日々は、相当なストレスもかかります。

色々なリスクも常に抱えています。

それでも、ここを生き続けて来れたのは、私のこの、
「誰の責任にもできない」思いからくる全部を含めた覚悟があったからです。

なので私は、子どもたちとの日々を含めた外側で起きている事に対して自分がどういった解釈するかの自問自答する感覚の筋力みたいなのが鍛えられたように思います。

こんなに無理難題な課題の多い子育て、息継ぎもできないくらいに張り詰めた緊張感のある日常の中を生きてきたあの頃…

そして、今なお、日々色々起こるし抱えているものはあるけれど、そんな嵐のような過渡期が過ぎた今現在の私はというと〜…

(公園のベンチで怪しいおばさん👆)

ある意味で何かを成し遂げた感、出し切った感、到達した感がありまして、残された人生の時間を味わっているような、こうしてぼーっとしながら太陽の暖かさを感じる時間が最高に幸せだと思う次元で生きてま〜す😊

ありがたや〜
ありがたや〜

(終わり…👋)

サンキューソーマッチ😊