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【マイヒストリー】自立を目指して21歳で通信制の短大へ入学。

3人の我が子が揃って発達凸凹、不登校、引きこもり、うつや自傷行為、拒食に過食、癇癪、感覚過敏などの精神疾患(症状)で荒れる日々を送ってきた
2010〜2016年までの6年間の我が家の様子を綴った物語が、2023年1月に書籍となり、出版させて頂きました。
外の世界で生きることに適応していけなくなったあの日から
心の世界を向いて生きてきた親子の物語です。ぜひ読んでくださいね😊✨


20歳で結婚し、21歳で娘を産んだ私。

ところが娘を出産した半月後に旦那が仕事中に大きな事故を起こしてしまい、
医者からは「社会復帰は難しい」と言われるほどの大怪我と身体に後遺症が残ってしまうという想像もしていなかった事が起きてしまいました。

「人生って本当にいつ何が起きるか分からないんだ…」
「そういえば私ってこれまで何もやり遂げてこなかったな…」
何でもすぐに諦めてきたこれまでの自分に対して、
「本気で何かやってみたい!」という思いと同時に、
「娘には絶対ひもじい思いをさせたくない!旦那が働けないなら私が自立する!」
と心の底からの想い、決意が湧いてきたのでした。

この旦那の事故は、私自身の生き方への価値観も大きく変わった出来事になりました。

そしてそんな私の決意に引き寄せられたかのように、たまたま実家で読んでいた新聞に通信制の保育の短大の募集が掲載されているのに目が止まり、
「ここに行く!」と直感的に感じ、そこからすぐに出身校の高校へ行き、必要書類を頂き、この通信制の短大へ入学願書を提出。

旦那の事故が1998年8月に起きたので、それから次の年の春の1999年4月に
大阪芸術大学短期大学部通信教育部保育学科に入学しました。
(入学当時は浪速短期大学という名称でしたが、在学中に変更されました)

ここからの日々は退院して家にいる旦那の療養生活と娘の子育てと、そして自分の学業との3つの草鞋を履いて過ごす時間となりました。

大変そうに感じるかと思いますが、旦那の事で先が見えない暗いトンネルの中を生きてる私にとっては、この学業は私がやれば必ず前に進む!諦めなければ絶対に結果が出せる!と私にとっては希望そのもので、光に向かって進んでる事が確実に実感できるものだったので、その光に向かって夢中になってこなしていました。

そして通信制の学校では色々な年齢の人たちが集まり、様々な人生の課題を経験してきた中でみんなそれぞれに自分の目的や志しを持った人たちが全国から集まるって来るので、こういったスクーリング授業で出会う人たちとの交流は、まさに今人生の課題を抱えて生きている私にとって、様々な人の人生や思いを聞くことができたこの環境はとても励みになり、頑張る力にもなり、ここでしか得れない貴重な学びと経験を与えてもらう事にもなりました。

私はこの通信制の短大の在籍中に2人目を出産したこともあって、小さい我が子
2人抱えての福祉施設での宿泊実習や幼稚園実習、保育実習に出る事は結構大変だったのですが、
(実習は毎回書き物が多く、チェックも厳しくて、実践保育の計画や環境設定、準備物の用意や予行練習と本当に盛りだくさん!)

特に幼稚園実習では早朝から10時間以上みっちりの実習で、帰ってからの子どもの世話と家事と実習記録を仕上げるのと苦手なピアノの練習で睡眠時間2〜3時間でこなしていたので、実習後半は追い込みと疲労で泣きながら自転車こいで実習先の幼稚園に行ってましたが、どの実習先の子どもたちみんな可愛くて、私を先生って呼んでくれて、私の実践保育で行った工作や遊びに一生懸命取り組んでくれて、自作で作った人形劇も真剣に見てくれて、全然弾けない間違いだらけのピアノが最後には弾けるようになった私にみんな拍手を贈ってくれたり、覚えたての字を一生懸命使ってお手紙を書いてくれたりと、沢山の子どもたちとの思い出になる時間と感動を経験させてもらいました。

私は我が子にもそうですが、子どもという存在から学びを与えてもらい、人間として成長させてもらってきたと、そう思います。
あの時の幼稚園実習と保育園実習では、娘と同じ年齢のクラスに入らせてもらっていたので、今はもう25歳の大人になってるんですよね〜すごいなぁ☺️

ちなみに私は36歳の時にADHDの診断を受けたのですが、これまでの学校生活では本当に勉強ができなくて成績が悪くて落ちこぼれだったのですが、今思えば学校は集中できない要素が沢山あった事や、あの頃は常に人との比較を感じていたので、自分の存在価値も低くて劣等感のかたまりだった事、人間関係でも嫌がらせや呼び出し(気に食わねーから体育館の裏に来い!みたいなやつです)を受けるなど居場所がなかった時期もあったので、こうして通信制での学び方は余計な刺激がなく、自分に集中できるという点も私の特性的に大きなメリットでした。

21歳の時に入学した大阪芸術大学短期大学部通信教育部保育学科。
在籍できる年数6年をめいいっぱい使わせてもらって、2005年3月にめでたく卒業する事ができました。
(ちなみに卒業式は娘がおたふくにかかってしまって出席できませんでした😭)

(通信制の短大でのスクーリングで😊右の友達は沖縄から来てました。色々な人との出会いや保育の学びの中で得た私の時間と経験は、今でも私の宝物です。しかし服がダサい…もしかして私旦那の服着てる?🤔)


サンキューソーマッチ😊