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ShortStory 前編

※障がい者の「がい」の表記について、漢字でもひらがなでも特に決めごとはないようですが、ここではひらがな表記にします。

私の勤めているホームに、最近新しい利用者さんが入ってこられた。
不安からなのか、玄関から中になかなか入ろうとしない。

「新しい所だから不安だよね、一緒にお庭を見に行ってみようか?」
と、先輩職員が優しくその青年に声をかけているのを聞いていて、高校の時、倫理社会の授業で、担当の先生がしてくれた話しをふと強烈に思い出した。

「もう40年くらいも前の事になるだろうか、今日は、ぼくの保育園での思い出を話したいと思う」と、その先生は話し始めた。


保育園児だったぼくは、
共働きの両親と、生まれて半年ほどになる妹との4人家族だった。

毎日、朝が来るたびにぼくは胸が苦しくなった。
それが何なのか、何故なのか、自分でもよくわかっていなかった。

母が、朝からにこりともせずに、
ぼくの身支度を手伝いなから、朝食を食べさせ、ぼくの通園バッグにお弁当、着替え、妹の通園バッグにオムツカバー、紙オムツ、哺乳瓶、粉ミルクを詰めているのを見ていると、行きたくないとは言い出せなかった。

保育園に送ってもらう車の中で、
①お友達と仲良くする
②先生の言う事をちゃんと聞く
③お弁当は残さず食べる
毎朝この3つを唱えさせられる。

間違えないように唱えると、
良く言えたねと褒めてくれる母の笑顔を見るのが嬉しかったのと、
ぼくと妹を、保母さん(その頃は保育士と言う名称は一般的ではなかった)に預ける時に、
「夕方、また迎えに来るからね」と言いながら抱き締めてくれて、にっこり笑ってくれる。
それが嬉しくて、行きたくないと言わずに、いや、言えずに我慢していたのかも知れない。

保母さんは、ぼくを教室に、妹を乳児室に連れて行く。

教室ではぼくよりも早く登園していた園児たちが、ボールやら積み木やらで遊んでいた。

ぼくは積み木で遊んでいる園児の中に入って行った。
何段か積み上げられている積み木の1つをぼくが取り上げると、たった今積み上げたらしい園児が激しく怒って泣き始めた。
そりゃあそうだろう。
だけど、その頃のぼくにはどうやって遊んでいいのかがわからなかったのだ。

居心地の悪くなったぼくは、教室の後ろにある絵本コーナーの所にいる女の子の所に逃げた。
女の子は声を出して絵本を読み進めていた。

ぼくは入園してから何度も読んでいるので、絵本コーナーのほとんどの絵本を諳じていた。

夜寝る前、園にある絵本のおはなしを母に話してあげると、とても喜んでくれるので、その女の子も喜んでくれるとばかり思い込み、余計なことをしなけりゃいいのに、ストーリーを教えてあげた。
女の子は怪訝な顔をして、ぼくから離れていった。

早速、母との約束①を破ってしまう。

また1人ぼっちになったぼくは、何冊か手に取ってはみたけれど、段々つまらなくなってくる。
と、今度は外へ出たくなる衝動を抑えられなくなった。

上履きのまま、ぼくは園の門に向かってまっしぐらに走った。
門は施錠されているので出られるわけもなく、たとえ施錠されてなくても、鉄製の門は微動だにせず、ぼくの前に城壁のように立ちはだかり、もう永遠に母と会えないような気がして、門の所で大泣きするのがぼくの日課だった。

泣くと、お腹にも力が入るので、
必然的にお漏らしがついてくる。

泣いているぼくを先生は連れ戻しにくる。
最初の1ヶ月ほどは、
「どうしたの?お部屋に戻ってお友達と遊ぼうね。」
そう言ってなだめすかしてくれていた先生も、ぼくのためだけに仕事の手を止めさせられるのが、こう毎日毎日続くと、いい加減またかと内心思っていただろう。

これで約束②も守れなかった。

汚れた下着を取り替えてもらい、教室に戻されるとお弁当の時間になる。

泣き疲れたのでお腹は減る。
結局、母との3つめの約束だけは守った。

それから1ヶ月ほどが過ぎた頃、新しい保母さんが入ってきた。
他の保母さんがお姉さんなら、その人はお母さんのように、保育園児のぼくにはそう感じた。

┅後編に続く┅

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