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音楽が聞こえたら #1

ロックキッズ(たぶん死語)として過ごした十代を経て、たくさんの音楽を聞いてきたけれど、実態が伴ってこそ自分の人生に影響があるということ。日常のふとした時に聞こえた音楽こそ心に残ってる音楽かもしれない。そんな楽曲をエピソードを交えて紹介します。

第一回は、音楽が聞こえたら #おうちへ帰ろう

This must be the place/Talking Heads

近所の河川敷を夜に散歩していると何だかこの曲の何とも可愛いらしい音が頭のなかで流れてきた。早速イヤホンをして、Spotifyでこの曲をかける。同じフレーズを繰り返す単調なドラムとベースに、フルートのような可愛らしい音。ペッペッとミュート混じりのカッティングが心地よい。若干気持ち悪く聞こえるデヴィット・バーンの歌声だけどどことなくやさしく歌おうとしている印象だ。真夜中に電気を消して、テレビの通販を無音で流している部屋で深夜に聞きたい、そんなゆるっとしたダンスナンバーである。

トーキング・ヘッズの5枚目のアルバム、「Speaking In Tongues」に入っているのがこの曲、「This must be the place」。邦題は「きっとここが帰る場所」。同名の映画が出ているので知っている人もいるかもしれない。彼らのアルバムとしてはちょっと微妙な位置にある(いずれも代表曲がつ前作「Remain in the light」と次作「Little Creatures」の間で、ブライアン・イーノのプロデュースを外れた過渡期にあたる)。

最初に聞いたのはたぶん大学生のときだったと思う。建築学科のアメリカ人教授が母国の大学に行くことになった。入学して2ヶ月ほどでさほど親しくはなかったけれど、先輩たちが主体になってアメリカ流のお別れパーティを開いた。たしか軽音楽部の顧問だったから、軽音楽部の先輩たちがちょっとした演奏もしていた記憶がある。で、机の上に「勝手に持って行ってね」と教授の私物があった。ほとんどは難しそうな建築関係の本だったけど、CDがいくつかあって、ツェッペリンやビートルズやローリングストーンズなどの名盤が並んでいた。僕は当時はまだ聞いていなかった、キングクリムゾン「Discipline」やトーキング・ヘッズの「Remain in Light」、そしてこのアルバム「Speaking In Tongues」を持ち帰った。一通り聞いて、あの教授ともっと仲良くなりたかったなあと思ったのだった。

どんな歌詞だったかなあと調べてみたらハッとした。以下は僕のざっくりとした和訳(たぶん結構間違っていると思う)。

家(家庭)…それが僕の欲しいものなんだ
抱き上げてグルグルと回してもらうと
気が遠くなるように感じる
生まれつき心臓が弱いんだ
僕は楽しまなければならない
僕たちは口に出して言わないほうが上手くやっていけるみたいだ
地に足を付けて 空を見て
それでOK 何も間違っていないと思う
僕たちにはたくさんの時間がある
君の瞳は輝いていて
君は僕のすぐそばにいてくれている
(中略)
僕たちは歌を口ずさんだりしながら行ったり来たりする
それでもいろんな人たちの中で君の顔が見える
僕は家を見つけた一匹の動物なのだ
少しだけでも同じ場所を共有しよう
そして僕の心臓の鼓動が止まるまで君は僕を愛する
僕が死ぬまで君は僕を愛してくれる
光輝く瞳 君を射抜く瞳
君が僕の隙間を覆って
僕の頭を殴ったら…(痛い)


たまに「結婚の良さ」を聞かれることがある。

僕が結婚した理由は割とノリに近くて、付き合う時からこの人だと決めていたので大した話のネタがない。しかし妻にとってはしばらくの間は結婚というのがピンと来ていなかったらしい。付き合っている時から1ヶ月に一度は「結婚するの?」と聞かれていた。そんなこんなで、お互いいい歳して2人で移住・同棲・転職と共に人生を激変させておきながら結婚はしていなかった。

それから1年近くが経って、仕事柄海外出張の多い妻が3度目の海外出張(転職1年目にして)から帰って来た後のこと。「帰る場所があるだけで安心」と、僕は妻にとって「帰る場所」として認定を受けた。そんなこんなで結婚した。

結局のところ、あれこれ結婚のメリットを言っても聞かなかった妻が、「実家の他に帰る場所」というのが結婚の一つの理由になりえたのだ。僕にとってはちょっと意外、「ソコかい!」という印象だった。

結婚というのは、面倒なことに一度すると、どんなに仲が悪くなってもなかなか別れることができない。毎日話すネタもないのでそんなにしゃべることもないし、あまり言葉も必要ではなくなる(「僕たちは口に出して言わないほうが上手くやっていけるみたいだ」)。

だけど付き合っている時と違って気軽に別れられないからこそ時間の猶予があって(「僕たちにはたくさんの時間がある」)。大喧嘩してもなんだかんだ帰る場所が他になかったりすると人間ずっと不機嫌にしてもいられない。

僕はよく家出すると言って河川敷でストロングゼロを飲んで帰ってきたり、酔っ払っていろんな人と会って浮かれたりはしゃいでも結局帰る(「いろんな人たちの中で君の顔が見える。僕は家を見つけた一匹の動物なのだ」)。別れた後のヴィジョン語ってものすごい正論で返されてグウの音も出なくなる(「君が僕の隙間を覆って僕の頭を殴ったら…」)。

で、そのうち何となく仲直りしたりする。翌朝にはいつものようにベーコンエッグとトーストを食べて珈琲を飲んでいる。

帰る場所とは、離れられない場所なのだろう。

そんなことを思いながら、この曲を聞きながら家路についたのだった。

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