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私の折々のことば

久しぶりに、新聞から私の印象に残った「折々のことば」を書いてみようと思います。
朝日新聞 2023年6月28日(水)朝刊




「あれは何だったのか」と記憶を絶えず呼び出し、補強する。
それが深い学びに変わっていく 


       ~ノンフィクション作家 稲泉 連さんのことば

「学びを語る」のコラム
  タイトルは「サーカス団の記憶 言葉にできぬ体験 丁寧に耕す」

 5歳の頃のほんの一年間、サーカス団の住み込みの炊事係だった母親と暮らした。
さまざまな事情を抱えた人が集まるサーカス団。その暮らしを本にまとめた。

 人は体験的な学びにつながる謎や問いとともに人生を歩んでいく。
サーカス団での言葉にならない強烈な体験も、広い意味での「学び」につながっている。
そして「それを言葉にするには、数十年の時間が必要だった」と言う。


 詩人長田弘さんの言葉を紹介している。
「じぶんの記憶をよく耕す」ことで、
その「記憶の庭にそだってゆく」ものこそ人生。

そして最初に太字で書いた言葉につながる。


(私)
 誰でも、こんなふうに言葉にならない体験をたくさん抱えて生きて。
それを反芻する、耕す。時々思う。あれはなんだったのだろう。
そしてある時、それが自分の中に浮かび上がってきて、言葉になる。
意味をもつようになる。

どんな体験も、その人の学びとなり、その人をその人らしくさせている。
すぐ学びになるときもあるし、時間や年月を必要とするときもある。

言葉にならなくても忘れていても、いわゆる「学び」にならなくても
体験はその人の中に存在する。

そんな気がする。



サーカスつながりで
突然よみがえる大昔の記憶。

小学生の頃、近くにサーカスが来た。
サーカス団の子どもが自分たちのクラスに転入してきた。

 興行期間だけのクラスメイトだ。

学校でサーカスを見に行った。
大玉の中を天地関係なく走り回るオートバイ。
空中ブランコも確かあった。
そのクラスメイトが何かの演目に出ていたような気もする。覚えていない。

今でもサーカスが好き。
実は明日見に行く。

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