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『百冊で耕す』読了した

この本を読みかけていると書いたのは今日のことだったが、
午後あれから読み出し、夕方読了した。

 発行日に書店で買うというこだわりを見せたにもかかわらず、
「ある男」を先に読んでしまった。


 うーん、ずしんときている。
いろんな感想が頭を巡っている。

インプットの半端なさ


 まず最初の感想は、「近藤さんはどれだけの本を読んでいるのだろう」ということ。
(そこ?と言われそうだが、正直のところ、そこ)


 子どもの頃から読んで相当読んでおられたということだが、
たぶん1、000、2.000・・・10.000冊?
いや、ご自分で言っておられないのでわからないが、
私からしたら、途方もない数の本を読んでおられるのは間違いない。

 それも、日本の本だけじゃなくて、英語、スペイン語、ドイツ語・・・。
インプットの量が半端ない。

 そして、本当に本を読むのが好きなんだろうな。

  外国語の本を読むのは苦労すると書いてあるけど、
それでも、好きなはず。楽しい時間のはず。至福の時。

 いや、「好き」という言葉では表されないのかも知れない。
生きることそのものか?

光っている言葉


 次に思ったのは、
膨大な読書量と、それだけではない、近藤氏のあらゆる経験から紡ぎ出される
珠玉の言葉の数々。

  それも、各章のA面、b面の最後の一文(言葉)が心にしみる。
第1章B面の最後の一文を。

 18世紀のフランス革命。次々と処刑される貴族。
処刑場に向かうまで本を読んでいた公爵は、
 いよいよ階段を上がる段になって、ページの端を折った。

 そして近藤氏はこう書いている。ここは引用させて欲しい。

「本を読むとは、未完の人生を生きることだ」(p38)

 私はここで涙が出そうになった。
ああ、この本を読みたい。そう思った。

 (各章がレコードのようにA面B面になっているって、後から気がついた。スミマセン)
 
  そして、各章の最後の一文が近づくと私はドキドキした。
まるで恋人に会うように。

 他にも「孤独でも、孤立はしなかったーー本があるから」
「読むことは愛されること」そして「読むことは愛すること」

 近藤氏は詩人か。

 本を読む人はなんとなく信用してしまう。


この方法が実践できるか


 3番目は、この本のやり方では私は本を読めないだろうというだ。

 この本は、中に書いてあるように、
主にプロ、もしくはプロを目指す方を対象に書いているのだろうと思う。
 私はプロではないし、プロにもなれない。

 そして私はズボラ。本当に。
丁寧なことはできない。本当に。
最近とみに字が乱れる。きれいな字が書けない。

 書類整理が一番不得意な人。
あ、いっぱい書いちゃった。

 だから書き抜き帳は書けない。
ましてや、外国の本をノートに書いて、辞書を引き引き自分の本を作る
なんて無理。

 でも、読んだ本の感想は必ずブログに書いている。
あほみたいに時間をかけて。
この本のことも書いている。

 だから許して欲しい。暗唱ノートができなくても。

 

とにかく読め!

 気持ちがとても楽になったところがある。
難しい本を読め、古典を読め、わからなくても読め。

  そんな読書、どこがおもしろいんだ、なんて反発したくなる。
修行か!

でも、それでいいんだ、と思った。
 わからなくてもいいから読む。

 読書はわからなくてはいけないと思って読んでいた。
一字一句も逃さずに、まではないけど、
わからない箇所があれば繰り返して読んでいた。

 でも、自分にとって難しいところはそのままで良い。
そのうち、引っかかる場所がある。
わかってくる。

 そうすると面白くなる・・・かもしれない。

それを言われると

 一番グサッときたところ。
朝起きてSNSしないで本を読みなさいと言われたところ。

 実は私、これ、やっている。
布団の中で手元の電気付けて、スマホ見ている。
Twitter見ている。

 これを、さあ朝の習慣にできるか。
できるさ。
だって、こんな素敵な文章が書いてあったもの。

 眠くても少ししか読めなくても読む。そうして自分を世界につなぎとめる。
そうやって欠かせない儀式にする。
(ここから引用)
「落ち着く
 自信が出る
 自分で自分を、小さく承認できる
 今日も生きていて、いいんだ」(P.188)

そんな素晴らしい朝を迎えたい。

最後に

 他にもたくさん書きたいことがある。
 この本は、途中から赤ボールペンで線を引いた。
後から読むとき、絶対便利。

 最後のリスト、案外知っている本もあった。
私にも読めるかもしれない。

 実はアウトプットの『三行で撃つ』を読んでいない。
読もうと思うのだが、私にはインプットがまだまだ足りないと思う。


 朝のラジオで、阪神の元監督矢野燿大氏が、
本を読むことの大切さを述べていた。 

 作家の西村賢太が好きなのだが、
西村氏も本をむさぼるように読んだと言う。

 あるお年寄りとの話の中で、
幼くて貧しい時、お風呂の薪をくべながら本を読んだと聞いた。

 本を読むと言うことは生きるということだ。


 実は近藤さんのことを勝手に「師匠」と呼ばせていただいている。
この本を読んで、さすが私の師匠、先生と思い直している。

 何だか宇宙を見ているのではないかと思う。
もしくは深い森の奥を。深い海の底を。
そして、自由人だ。


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