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朝井リョウ著「正欲」読みました

 午後から「正欲」朝井リュウ著を読了しました。
半日で、最後の半分位一気読みです。



 うーーん、またうなる私。
これは何なんだ。
 衝撃をたくさん受けました。こんな本だったのか。(いつも思う)

 今回、内容はあまり詳しくは書きません。
というか、なにも書けない。ある種のショック状態です。


 表紙の裏に書いてある言葉をそのまま書くと、
「自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって
そりゃ気持ちいいよなーー」

 これは文中の誰の言葉だっけ。確かめていない。


 多様性、マジョリティ、マイノリティ・・・
わかったふりして、理解していますよというフリ。

 私も「フリ」をしていると思う。
「理解したい」と思うもの。
そのこと自体は悪くない。


 性、正しい性、そうじゃない性。
正しい性って誰が決めるんだ。

 そもそも、「正しい」ってなんだ。

大多数の普通の人がフツウに生活して、守られている社会。
フツウじゃない人が肩身の狭い、居心地の悪い思いを持つ社会。

では「普通」って何だ?

 いろんな事を考えました。


 
 

 私はたぶんマジョリティの中で生活している。でも、わたしを構成している要素はたくさんあって、そのどれもがマジョリティかと言ったら絶対そうじゃない。私も、社会からはじかれそうなモノを持っている。

 だから、こんなに居心地の悪い思いをして生きているのって、理解できるところもあるけど。

 正直、途中で、「そこまでいじけなくてもいいじゃん!』と叫びたくなった。


 小説の中身ほど露骨ではないにしても、
人は人を傷つけたり、本当には理解していない事も多いんだろうなと思います。


 それから、私が一番思ったこと。
この本は「性欲」が話の幹になっているけど、そうじゃないな。

 「性」は人間の本質(のひとつ)。でも性だけでなく、この世のあらゆること、ものの考え方も容姿も原理も学問も性格も生き様も・・・
何の脈略もなく並べていますが、そ、あらゆることの「正しさ」を疑ってみませんか、ということかと思いました。今、思っていることって、本当にそれしか考え方がないのか、と。

 自分が当たり前と思っていることの世界を広げてみる。

 それから、それでも自分が正しいと思ったら、言ったら良いじゃん。ぶつかっていったら良いじゃん。その先に、きっと繋がりがある。未来がある。
 
そう、もう一つのキーワードは「繋がり」。

 解説は臨床心理士の東畑開人さんです。その中で東畑さんも言っていますが、終盤、若い二人が思いをぶつける場面、ここが良かった。

 結末は「うーん」と唸ってしまいました。そこにも意味があるのでしょうね。


 実は私はこの解説を読んで泣きました。
引用しても良いですか。
これ書いちゃったら、もうこの小説の話は終わりなんですけど。書いちゃお。

「手に余る正欲に右往左往しながら、何度も何度も話し合う。この終わらない正交渉でしか、人と人はつながり続けることができない。朝井リョウも、フロイトも、人間とは、愛とは、そういうものだと言っているのだ」

 少し気持ちが軽くなりました。


 最後に、余談ですが、私は小説の読み方が少しわかった気がしました。
多少「これってどうなん?」とツッコミたくなる事があっても、そういうものとして読む。

 つまり、そこの広がっている世界をそのまま受け止める。味わう。自分の価値観を揺らしてみる。「どうなんだろうね」と考えてみることかなと思いました。

 

この表紙はまっすぐでないと。



追記: 映画化決定だそうです。
私、映画になる本を選んで読んでいるわけではありません。
話題になった本を読んでいる傾向はあります。
それが映画化するようなんです。
映画はあまり見ていないかも。

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