伝言 6月18日 見る角度と残る感情

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古事記とか日本書紀を元に日本の歴史は言い伝えられているのですけど、それより古い文書でちょっと違うことが書いてあるものが結構ありますでしょ。あえて名前は言いませんが。なかには有史以前の日本のことが書いてあるものもあるんです。


ああいう古文書で一般的に残ってそれが事実だと言われるものは「勝者の言い分」なわけです。私はね、今どれが正しい記述でどれが嘘だとかを言いたいのではないんです。


例えばある文書には、高天原は最初、ユーラシア大陸にあって、そこに賊が押し寄せてくるから新しい高天原を目指せと神託があって富士王朝が出来たという話があるんです。


今のウクライナとロシアのことを見てみますと、「自分たちの国を守る」「自分たちの同胞を守る」がお互いの主張する正義なわけです。他の国に逃げる人たちというのは自分や家族の命を守るのが最大の正義です。


昔、日本にダムを作るときには、そこに在った集落を追い出して作るわけですが、自分たちの祖先から譲り受けた土地を守りたい人たちの何人かは、そこに残り生き埋めになった。そんな話もあります。これもまた、ダムを作ることで受ける恩恵が正義の人と、自分たちの土地を最後まで守り抜くことが正義の人と、命を優先して止むなく追い出される人たちの正義と、、


今でもありますでしょ。


ここに大きな商業施設を建てたいんだという人たちの正義と、その土地に古くからいる人たちが退きたくないという正義。



昔、縄文人という狩猟漁業の民族が日本にいて、稲作の弥生人があとからやってきました。退けと言われて南や北、稲作のできない山脈に移り住むものと、稲作民族に溶け込むものと、これもまた各々の正義が違う。


でも、縄文人も弥生人も、メソポタミアから流れてくる時期とルートが違うだけの、元は同胞なわけです。


守りたいもの、感情、事実、どのあたりを優先したいのか、自分の意見を通すためにどこまで意見の合わない人の話を聞くのか、または聞かないのか。その辺のことがずっと、人間のやることはあまり変わらないのです。



私はね、自分が霊的な存在で、肉体に宿らない霊というものを見ますし、神とか仏がいるのも良く知っていますから、自分の主張を守り抜くこだわりより、最善である選択を選びます。自分で良く考えてからお伺いをたてます。


ですから私の正論は感情論ではなくて迷路から出られるルートを見つけるだけなのですが、何より感情を意識して供養してます。


山が噴火しても、土地が揺れても、津波が起こったとしても、それがおさまるまで人が出来ることは少ないように、起こった感情というのはなかったことにできない。どんなにその感情が愚かで短絡的であってもです。天災が人を選ばずに巻き込むように。

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