生きた人生そのものがロジックであり、思想である
宮本武蔵は兵法を極める方法論をもって自らの思想をつくり、「器用」を極めたものが国の指導者たらんと語った。そんな指導者観をもって小林秀雄は先に「政治家は、社会の物質的性質の調整を専ら目的とする技術者である。精神生活の深い処などに干渉する技能も権限もない事を悟るべきだ」(『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p172)と語り、後には「政治は、私達の衣食住の管理や合理化に関する実務と技術との道に立還るべきだ」(『政治と文学』「小林秀雄全作品」第19集p110)とも指摘している。
こうして指導者観に触れたとならば、やはり敗戦の話になる。
小林秀雄は軍国主義プロパガンダに加担した者として、戦後にずいぶん叩かれた。1938(昭和13)年3月から大陸に渡り、上海、杭州、南京、蘇州などで従軍記事を書き、兵士相手に講演も行ったためだ。しかし、それついては「政治的に無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについて今は何も後悔もしていない」(『コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで(座談)』「小林秀雄全作品」第15集p34)ときっぱり述べている。むしろ従軍記者経験からか、その戦争における薄っぺらさをすでに1940(昭和15)年の講演文学『事変の新しさ』で指摘している。
小林秀雄は、人々が何をなすにも、まず理論を求めるというのは、一つの心理傾向だという。何もないよりは、あったほうがまし。何もつかまないよりは、ワラ一本でもつかんだほうがまし。先立つ理論がなければ、何も出来ない。そんなものは人生をお粗末に見立てた考え方だと斬って捨てる。
そして理論を「ロヂック」と言い換えて、小林秀雄はいう。ロヂックはそんな浅薄なものではない。ロヂックを抽象的で機械的だととらえ、現実をどの程度まで覆うことができるものだと考えるのはおかしい。現実を合理的に解釈するための武器や装置としてロヂックがあるのではない。「生きた人生の正体が即ちロヂックというものの正体なのだ」(『事変の新しさ』「小林秀雄全作品」第13集p114)と断言する。
この考えが、宮本武蔵に対する小林秀雄の見方にある。「偉いと思うのは、通念化した教養の助けを借りず、彼が自分の青年期の経験から、直接に、ある極めて普遍的な思想を、独特の工夫によって得るに至ったという事」「実用主義というものを徹底的に思索した、恐らく日本で最初の人だとさえ思っている」(いずれも『私の人生観』)、つまり、宮本武蔵自身の生き方、人生が、すなわち宮本武蔵の思想であるということだ。
そんな宮本武蔵の思想を理解しようとせず、ただ『五輪書』や『独行道』にある言葉の上っ面と、『葉隠』における武士道の考え方を、先の戦争では精神上の美徳とした。小林秀雄がそれを「政治的観念の空転と焦燥」だと断ずるのも、わかる気がする。
(つづく)
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