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指導者こそ、人生観を持つ事に勝たねばならない

小林秀雄は、宮本武蔵が兵法の方法論をもって様々な芸事をも極めたことについて、「器用」を追究したと見ている。さらに宮本武蔵にとっては「思想」をも極める対象の一つだったと考えた。

思想とは一つの行為である。勝つ行為だ、という事です。一人に勝つとは、千人万人に勝つという事であり、それは要するに、己れに勝つという事である。武蔵は、そういう考えを次の様な特色ある語法で言っています。「善人よきひとをもつ事に勝ち、人数をつかふ事に勝ち、身を正しく行ふ道に勝ち、国を治る事に勝ち、民を養ふ事に勝ち、世に例法を行ふに勝つ」、即ち、人生観を持つ事に勝つということになりましょう。

『私の人生観』「小林秀雄全作品」第17集p194

この「善人をもつ事に勝ち…」というくだりは、宮本武蔵『五輪書』<地之巻>の結語部と註釈にはある。ただ、この言葉には前段があり、また意味は何となく分かるようで、分かったつもりになりたくない。そこで、やはり原文を参照してみよう。

先づ、気に兵法をたえさず、すぐなる道をつとめては、手にて打勝うちかち、目に見る事も人にかち、又鍛練をもって惣体そうたい自由なれば、身にても人にかち、又此道このみちなれたる心なれば、心をもつても人にかつ。此所にいたっては、いかにとて、人にまくる道あらんや。

《現代語訳》
まず心に兵法を絶やさず、正しい道を勤めていけば、手で打ち勝ち、目に見ることでも人に勝ち、また鍛練によって全身が自由なので、身でも人に勝ち、又この道に慣れ親しんだ心であるから、心でも人に勝つ。ここに至っては、どうして人に負ける道があろうか。

『ビギナーズ日本の思想 宮本武蔵「五輪書」』魚住孝至現代語訳

宮本武蔵は、兵法を追究する手法をもって諸芸を究めたが、あらためて「兵法の道」を追究する心構えや心意気を説いている。「此所に至ては、いかにとて、人にまくる道あらんや」とまで言ってのけるだけの鍛練を重ねてきたのだ。

大きなる兵法にしては、善人よきひとを持事にかち、人数にんじゅをつかふ事に勝ち、身をただしくおこなふ道にかち、国を治る事にかち、民をやしなふ事にかち、世の例法をおこないかち、いずれの道においても、人にまけざる所をしりて、身をたすけ、名をたすくる所、是兵法の道也。

《現代語訳》
(大将の)大なる兵法においては、優れた人材を持つことに勝ち、配下の大勢を使うことに勝ち、身を正しく行う道に勝ち、国を治めることに勝ち、民を養うことに勝ち、世のしきたりを行うことに勝ち、いずれの道においても人に負けないところを知って、身を立て、名を上げるというのが、兵法の道である。

『ビギナーズ日本の思想 宮本武蔵「五輪書」』魚住孝至現代語訳

この「大きなる兵法」というのは、指導者論である。もちろん武術の指導者にとどまらず、国の指導者である。そして、武士の精神を説いている。兵法を極める、つまり指導者に必要なのは、あらゆることにおいて自己を磨く鍛練をすることであり、それが己に勝つということである。

人はどうやって生きるのか。どのように人生をいきていくのか。それは己を磨くことだ。そうして他人のみならず、自分をも「観る」ことができる。それを小林秀雄は「人生観を持つ事に勝つ」という言い方をしているのだ。

(つづく)

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