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小林秀雄を読む日々

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『小林秀雄全作品』全32巻を、あきれるほど丁寧に読んでいきます。まず「『私の人生観』にたゆたう」を完結。新連載を準備中です。
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2023年1月の記事一覧

読んだだけでは駄目だ。眺めるのが大事なのだ。

「読んだだけでは駄目で、実は眺めるのが大事なのだ」とは、いったい、どういうことだろうか。…

既視の海
1年前
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ただ「物」がある。それがおもしろい。

美は人を沈黙させる。その言うに言われぬ感動を言葉にせずにはいられない激情に身を委ねたのが…

既視の海
1年前
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現実をありのままに描写した小説なんて箸にも棒にもかからない

近頃の小説家は移りゆく現実を受けとめて小説にするのに精一杯で、visionすなわち心眼を反映さ…

既視の海
1年前
2

細かな描写をすれば芸術的というわけではない

美は人を沈黙させる。その言うに言われぬ感動を、どのようにして言葉にするか。その感動を言葉…

既視の海
1年前
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文学は、文学にあらず。

この言葉が、気になる。 戦争について一億総懺悔が求められる世相のなかで「僕は無智だから反…

既視の海
1年前
4

「言絶えた実在の知覚」を「思い出す」

現代の文学は、沈黙を恐れている、その饒舌さは、この恐れを真の動機としている。俳句ぐらい寡…

既視の海
1年前
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黙して、語れ。

美は人を沈黙させる。その起点は、感動することだ。その言うに言われぬ感動を、どのようにして言葉によって現すことができるか。それを実践しているのが詩人であり、小林秀雄の目指す批評だった。 「美」の問題について絵画を中心に述べてきたが、やはり胸中には詩のことがあるのだろう、まずは「万葉」の歌、次に俳句を話題にする。1946(昭和21)年、仏文学者で評論家の桑原武夫が短詩型文学を否定した「俳句第二芸術論」である。 作者の有名・無名を問わず複数の俳句を匿名で並べてみても、見分けがつ

感動は分析できない。そこで文章が生まれる。

絵を描く芸術家も、絵をみる側も、一人一人の個性は違う。だが、優れた芸術には共感できる普遍…

既視の海
1年前
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知覚の拡大は、共感の拡大だ

芸術家も哲学者も、生活上の行為をするための物事から注意を逸らし、むしろ生活に役に立たない…

既視の海
1年前
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芸術家のほかに知覚を拡大できるのは誰か

なぜ芸術家は知覚を拡大することができるのか。人は知覚を行動するために用いている。しかしそ…

既視の海
1年前
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なぜ芸術家は知覚を拡大することができるのか

曖昧で間違いやすい知覚を補うために、人は科学と哲学という二つの方法を採り入れた。ただ、科…

既視の海
1年前
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なぜ科学も哲学も知覚の助けとならないのか

小林秀雄は「美」をどのようにとらえるかという問いに対して、大きな影響を受けている哲学者ア…

既視の海
1年前
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人の知覚はあてにならない

「こういう考え方を、私はベルグソンに負うのですが…」(『私の人生観』「小林秀雄全作品」第…

既視の海
1年前

「美しい」と「きれい」は異なる

「美」は解るものではない。「美」は求めるものだ。観念でも通念でもなく、眼の前にあるものを求めてこそ「美」なのだ。 古今東西、「美」とは何かという問いに対して数多の考え方が提示されている。だが、小林秀雄にとっての「美」を考えるとき、どうしても思い出してしまうのは、「今日の芸術は、うまくあってはならない。 きれいであってはならない。 ここちよくあってはならない」と語った芸術家の岡本太郎である。 美というのは普遍的であり、絶対的である。小林秀雄が「頭を働かすより、眼を働かすこと