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【11/22】意味を自然化すること(戸田山和久『哲学入門』を読む④)《基礎ゼミレポート》

前回から引き続き、Fさんをリーダー(reader)に、戸田山和久『哲学入門』(ちくま新書)65頁から読み進めていきました。


認知科学を参照する

これまで、意味を理解するということは、統語論的処理(※前回の中国語の部屋の議論を参照)以上の「何か」があると、私たちは直観的に感じます。例えばそれは「心を持つ」存在、信念や欲求を持つ存在であるということが人間とロボットを区別するものであると考えられます。とはいえ、「心」というものほど曖昧で漠然としたものはありません。そこで、意味を理解するとはどういうことなのかという問いを、生き物が生存のために何かをする、すなわち「認知」(cognition)という観点に着目して考えよう、その際、1950年代後半に生まれた認知科学を参照しようという箇所です。

まず、初期の認知科学の人間観として、古典的計算主義が説明されます。計算主義というのは次のような立場であると述べられます。

①脳内の物理的な「何か」として表現されている表象という存在者を認めること
②表象は言語のような構造(統語論的構造)をもつとする(思考の言語仮説)

すると、認知科学からすると、われわれ人間もまた人工知能と同じように脳内で統語論的処理を行っているだけであって、意味の理解を持ちえないということになります。言い換えると、古典主義計算主義にもとづけば、意味の出番はなくなってしまうように見える。そこで今度は、意味を理解しているとされるエージェントの頭のなかにある「表象」(representation)に着目されることになります。


表象をどう理解するか

表象を唯物論的・発生論的に考えるためには、まず、解釈者の存在を否定しなければなりません。というのも、Xの意味はその解釈者を必要とするなら、その解釈者の「xの意味は○○だ」という表象もまたメタ解釈者を必要とし、このメタ解釈者の表象もまたメタメタ解釈者を必要とし…と無限に後退するからです。

しかし、そのような想定をせずとも、人間のみならずあらゆる生物が、人間の解釈抜きに自力で、自分の表象によって何かを意味することに成功しているのだから、「意味する」という関係を自然界の中にある相互作用である因果関係だけに訴えて説明すればよいのではないか。これを「意味を自然化する」と戸田山氏は表現します。


因果的意味論について

「意味を自然化する」やり方として紹介されるのが、因果意味論(Causal Semantics)というものです。因果的意味論はこう考えます。

表象XがAを意味している ⇔ Aが、そしてAだけがXを生み出す原因である。
※⇔は後ろに来る文が前に来る文の必要十分条件であることを意味する。

しかし、この考えに基づくと、(1)表象間違い(misrepresentation)が起こりえない、(2)因果の連鎖からなぜ特定の原因だけが表象の原因として取り出せるのか(ターゲット固定問題)、因果意味論はこれに答えられないという難点が生じることになります。


目的論的意味論について

この難点を回避しつつ、かつ、因果関係で表象を捉える有効な考え方としてルース・ミリカン(Ruth G. Millikan, 1933-)目的論的意味論が挙げられ、その三段階の議論が紹介されます。

(1)第一段階:「本来の機能」とその機能不全によって表象間違いを分析
(2)第二段階:「本来の機能」を因果関係に還元(自然化)する。
 ・製作者の意図(人工物の場合)
 ・進化論、起源論的定義(自然物の場合)
(3)第三段階:本来の機能の自然化を意味の自然化に当てはめる

ここで「本来の機能」というものをどう考えれば良いのかについて、参加者の方々と議論がありました。(小林の)個人的な意見として、「本来の機能」は、アリストテレスの本質のように、実体の性質であり、それを欠いてしまう実体ではなくなってしまうものと考えると理解しやすいかと思います。例えば、「心臓の本来の機能は血液循環である」という場合、血液循環という機能を欠いてしまうと、心臓であるとは言えない(他の臓器と区別がつかなくなる)ので、それが心臓の本来の機能であると言えるのではないでしょうか(また、「赤い」という性質は心臓の性質ですが、それを欠いても心臓であることは変わりないため本質ではないので、「赤い」は心臓の本来の機能ではないと言えます)。


目的論的意味論への批判と応答(一部略)

ただし、目的論的意味論への批判もあり、これに戸田山氏が答える形で議論が展開されます。
【批判①】人間の持つ表象全般を扱えるのか。
【応答①】おっしゃるとおり。人間がもつすべての表象を同じ一つの意味論とする必要はない。目的論的意味論が意味しているのは、遺伝子レベルの自然選択を念頭においた「意味の自然化」を最下層である。
【批判②③】省略
【批判④】スワンプマンの思考実験:物理的レベルでは全く区別のつかない複製(スワンプ・トダヤマ)は、オリジナルのトダヤマと同じ心理状態にあっても、進化的歴史を欠いているため、同じ表象を持っていても何も意味しないことになる。
【応答④】想像可能性から実現可能性を引き出すことはできない、直観と対立する哲学説も、狭い内容と広い内容を区別すれば、直観と折り合いをつけることができるなどの応答はできるが、このような議論のやり方自体を認めない、無視する!

こうして、本来の機能を自然化する有望な方法として、ミリカンの進化論的議論が確認され、次章では「機能」をモノだけ世界観に書き込む作業が予告されて本章は終わります。


Fさんのまとまったレジュメと進行のおかげで、第一章を読み終わることができました。思いのほか難しい点も多く、読み流してしまうところを、参加者の皆さんと議論しながら理解することができました。


次回からは、第二章「機能」について読み進めていきます。
来週11月29日(火)はお休み、次回は、12月6日(火)22時から再開いたします。

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