「俺は訳あって声優になりたい奴の手伝いをしなければいけなくなった」第1話
あらすじ
東大寺楓が目を覚ますと不思議な空間にいた。投身自殺を試みた二本柳光明のビルの落下先にいたのが東大寺楓で、生死をさまよう肉体とは別に、精神の世界で二人は出会った。
声優の養成所試験を前に、自分の実力を悲観している光明と瀕死の重傷を負った声優事務所マネージャーの楓。光明は意識の回復を見せるものの、楓の肉体は意識不明の重体のまま。精神の世界で楓はいらだちを募らせるものの結局、光明のために声優・ナレーターにとって大事だと思える考え方などをマネージャーの視点から、サンプル原稿をもとに指導していく。
果たして光明は試験に通るのか、そして楓の生死の行方はどうなるのか?
第1話 プロローグ
目を開けるとそこは一面の闇に覆われていた。
東大寺楓はその場に立ち尽くしていることを感じるだけしかできなかった。
闇の中であたりを見渡しても、目が開いているのか閉じているのかもわからないほど、世界は黒かった。
手を動かしてみるが見えない。動かしている感覚だけがある状態だった。
両手で頭から順番に触れてみる。
頭、ある。髪の毛、毛量多いぼさぼさ頭、首、肩、両腕、胸、お腹。
ここで楓はTシャツにジャケットを羽織った姿なのだと認識した。
お尻、腿、ふくらはぎ、足と一通り触り終えると、大きめの声を発してみる。
「体は見えないけれど、ある」声は闇にかき消された。
「ここは……どこだ」周りを見ながらつぶやいてみる。再び闇に吸い込まれていく。
楓はここで気が付くまでの記憶を思い出そうとした。
「俺は収録現場に向かおうとして会社を出た……。六本木駅に行こうとして、日比谷線に乗るために駅に向かっていて……駅に向かっていて……ここまでしか記憶にないな」
辺りを見渡すと、少し離れた場所に白い靄が浮かび始めた。足元に不安を感じながらも、ゆっくりとその靄に近づく。
「だれか、だれかいませんか!」
不安を紛らわせるために大きな声を出してみる。
白い靄が動いた気がして、足を止める。心臓の音が大きくなった気がする。
白い靄は形を持ち始め、光に覆われたそれはやがて、体育座りの格好でうずくまる男性の形になった。
「おい! そこの君、君はここでなにをしているんだ!」思わず大きな声が出た。
うずくまる男性は顔を上げて楓を見る。
まだ若い。二十歳前後といった、色白の青年だった。
「言葉はわかるかな? 君はそこで何をしているんだ? ここはどこなんだ?」
楓が再び声をかけると、青年は目から涙を流すと、嗚咽し始め、顔を下にむけてさらに縮こまってしまった。
「え、あ、あの……なぁ、なんか言ってくれないと、その、なんか、俺が罪悪感を感じるんだけど、おい、なんだよ、もう!」
楓が必死に呼びかけながら近づいていくと、青年は「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」とひたすらに続けている。
楓は青年のすぐそばまで近づいて、声をかけた。
「えっと、その、君がわかることを教えてほしいんだけど」楓はなるべく優しく話しかける。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」青年は続ける。
「謝るのはあとにしてくれないかな。俺は今、この状況を把握したいんだ。君がなにか知っているなら教えてもらいたいんだけれど」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「はぁ……あの、君、言葉わかるよね」楓の言葉に怒気が含まれ始めると、青年は顔を上げて楓のほうを見た。
「お、やっと泣き止んだか。ちょっと、今のこの状況を知りたいんだけど、教えてくれないかな」楓ははやる気持ちを押さえて、なるべく優しく声をかけた。
「あの、すいません」
「……えっと」楓は左手で髪をかきしだいた。
「いえ、あの、すいません。この状況はすべて僕のせいなんです」青年が小さな声で言う。
楓は泣いている青年の姿にいらつきを覚え、拳を強く握りしめていた。
「ごめん、もっとはっきり喋ろう。そうやって泣いていれば問題が解決するのかね。何か知っているなら教えてもらえないかな。不安なのは俺も同じなんだよ。だからしっかり声を前にだす!」
思わず楓の声が大きくなった。その声で青年はびくりと大きく体を動かしたあと、楓をゆっくりと見上げて口を開いた。
「えっと、その、この状況は僕のせいで……」
「そこから先を知りたいんだけど」
「あ、はい、すいません。あの、僕がマンションの屋上から飛び降りたんです」
「飛び降り?」
思いがけぬ青年の言葉に楓は息をのんだ。開いた右手で親指を額に当てて、目のあたりを覆うと、軽く息を吸い、そして吐きだす。
楓はしゃがみこむと目を細め、青年を観察するが、どこにもけがらしいものはない。
「いや、でも、君、けがとかしてなさそうだし、周りは真っ暗でなにも見えないけれど、君の飛び降りと俺はなんの関係もないよね?」
「いえ、それが関係あるんです」
「ちょちょちょ、ごめん、意味がわからないんだけど」
「あの、その、飛び降りたときに……あなたが下にいたんです」
「えーっと、ちょっと待ってね。君がマンションから飛び降りた、で、飛び降りた先に俺がいたってことは、俺は君の巻き添えになって、この真っ暗な場所にいるってことなのか?」
「はい、たぶん? なのでもしかすると一緒に死んでいるかもしれません」死んでる!! 思ってもいない単語に楓は息をのんだ。
少しして楓は、闇に覆われた天を仰ぎ、両手を頭に当てて、乱雑に髪をかいた。
「いやいやいや、ちょっと! 死んでたら困るよ。俺まだ結婚もしていないし、やっと仕事も面白くなってきてさ、これから~ってところなのに、死んじゃったら終わりじゃないの!」
「あれ……?」青年は目を見開いてつぶやくが楓は気にしない。
「そうは言ってもさ、ここ真っ暗な闇だしさ、君は薄く白い感じに光ってるけど、俺なんて自分の手足さえもまだ見えないんだよ。俺、死んじゃったから光がない感じ? いや、ほんとそれ困るわぁ。じいちゃんとばあちゃんよりも先に死んだってことになっちゃうし」
楓は言いながら自分の声が震えていることに気づく。
青年は泣き止み、落ち着いた様子で話し始めた。。
「あ……。なんだか、僕は肉体とまだつながっていて、気を失っているだけなので目覚めようとしたらたぶん起きれるみたいです。で、お兄さんはおそらく意識不明の重体で、肉体の損傷もあるようで……」
「えー、意識不明の重体って、結構やばくね? それこそ俺、君のせいで死ぬの? それってどうよ、ちょっと、頼むよ」楓は髪をかきしだいた。
「本当にすいません」
「いや、謝られてもさ、ねぇ、困っちゃうよね。俺、こんな暗闇で生きていくの、あ、死にかけなのって、それどうしたらいいのさ」
「あの、僕の肉体を使ってください」
「いやいやいやいや、それじゃ君はどうするのさ。それに君の体を使ったところで問題はなにも解決しないでしょ。君の体で目を覚ましてもさ、中身が俺ってことは、それは君じゃないし、俺も俺じゃないわけじゃん?」
「でも、僕、もう生きるのに疲れたんです」
「疲れたって言われてもさ、俺を巻き添えにするんじゃないよ! 死ぬのは勝手だけどさ、人を巻き込んじゃだめでしょう。どうして迷惑をかけるような手段を選ぶかなぁ」楓は乱暴に両手で髪をかいた。
「僕は二本柳光明です」青年は楓から目をそらすようにつぶやいた。
「二本柳光明、すげぇ名前だな。俺は東大寺楓。名前では負けてなさそうだな」そう言って楓ははっはっと笑った。
「僕は、声優を目指して養成所に通っていたんです。でも、自分に嫌気がさすことばかりで、声優になるのは無理かなって。そう考えたら、なんかもう、いろいろなことがどうでもよくなっちゃって……」
「声優だあ?! おいおいおいおい、ちょっと待って。俺、これでも声優事務所のマネージャーだよ。自分の夢をあきらめるために、よりによって声優のマネージャーを巻き添えにするとか……君、実は声優業界に恨みでもあるの?」
「いえ、すいません。たまたまです、たまたま……」
「あー、わかった。あれか。君は俺の体がクッションみたいになって、大した怪我をしなかった。下敷きになった俺は、意識不明の重体、と。えー、なんだよそれ、困っちゃうな……」
「あ……」再び光明が声に出すと、楓のほうに身を乗り出した。
「ん? なんだよ、俺がどうかしたのか」
「光が」
「ん? あ、なんかほんのり体が見えてきた感じする? おお、手だ! 足だ! 自分の体が見えてきたぞ!」楓が感嘆の声をあげた。
「意識不明の重体からちょっぴり回復してきたのかもしれないですね」
「おお、そうか。俺、ほんとに死にかけてたってことか。三途の川とかなさそうだからまだ死に切っていないんだな。ほんのちょっぴり生きてるって感じか」
「でも、僕は意識が戻っても、もう生きていきたくないんです」
その言葉を聞いた楓は頭をかきむしってから、光明のほうを見る。
「そうか、生きるつもりはないんだ……声優になれないと思ったから、ねぇ。そんなどうでも良いことだけで俺を巻き添えにしたっていうことか。なんだ、それじゃあ、また生きかえっても死ぬのか、君は」楓はだんだんと腹が立ってきた。
「僕、今日二十歳の誕生日を迎えたんです。声優の養成所に行って、来週試験があるのに、たぶん落ちます。事務所には入れないんです、だから、生きても無駄かなって」
「はぁ……生きても無駄ねぇ。君さ、声優になるためにどんな努力をしたんだ?」
「養成所で学べることは一通り頑張ってきたつもりです」
「まずさ、養成所の講師いるだろ。その評価はどうなんだ? 感触というか、そういう前評判的なものはさ」
「いいものはあるが内向的だってよく言われていました」
「なるほど、内向的ね。いいものはあるっていうのは具体的にはどういうことを言っているのかな?」
「声が中低音で、売れてる声優は低音で良い声かちょっと高めの、いわゆるイケボじゃないですか。僕は中低音なので、どっちつかずですけど、良い声だとは言われます」
「それ以外にはどうなのよ」
「見た目はそこそこ……だと思います。女の子にはモテていました」
「見た目そこそこっていうのが人によるしなぁ。俺は君のことを知らないし、ましてや女の子にモテていても死にたいとか、世の中のモテない男性を君は今、敵に回したよ」
「でも、夢が叶わないって思ったとき、今までの頑張りとか気持ちとか、費やした時間やお金なんかを考えたら、もう取返しがつかないじゃないですか!」
その言葉を聞いた楓は立ち上がると、強く握りしめた拳が震えていた。
楓はマネージャーとしてはまだ十年そこそこではあるが、それでもどれほどのタレントが悔しい思いをしながらオーディションの残念な結果を受け入れてきたかを知っている。
四十歳を過ぎてもバイトをしないと生活ができないのに、さまざまな想いを胸にしまい込みながら、そんな素振りも見せずに笑顔で接してくるタレントを知っている。
努力していることを楓がわかっていて、なんとかしたいと頑張っていても、現状をなかなか変えられないタレントを抱えるもどかしさを、楓自身が知っている。
そんなことも知らずに、この青年はわかったような口で、たかだか二十年程度の人生観で取返しがつかないと嘆いていることに、楓は思わず怒気をはらんだ声で発する。
「時間、お金、ねぇ。平均寿命からしたら人生はまだまだ続くのに、君はまだ二十年しか生きてない。まったく何を言っているんだ」
「だって、それだけ一生懸命やっていたんですよ!」
「一生懸命ね、みんな簡単にその言葉を使うんだよ。なにが、一生懸命だ! ふ・ざ・け・る・な!」
「僕の何を知ってそんなこと言うんですか!」青年がより輝く。
「君のことなんて知るわけないだろう。俺からしたら君は頑張ってきたと言いながら、その結果が怖くて戦いの場にすら立つこともなく、逃げようとした挙句に、無関係の俺を巻き添えにして死ぬことを選んだ負け犬なんだよ。一生懸命やったなら、なぜ結果が出るまで戦わない? 君はさ、自分に自信がないから、一生懸命やってきたなんて言って正当化したいだけだ!」
「そんなこと言われても……」
「図星だろ。みんなさ、一生懸命生きてるし、必死なんだよ。社会人になると特にね。他人の評価・目に見える売り上げ・足の引っ張り合い・作り笑い……生きていくために自分を殺してでもやり続けないといけないことなんて腐るほどある。それこそ挙げればきりがない。君は高校を卒業して専門学校に行ったのか、養成所に行ったのか知らないけどさ、親の金でやりたいことをやれる環境にいて、それで一生懸命やったと言いながら戦うことすらしていない。はははっ、それで君に何が語れるというんだ」
「でも、僕は……」
「それにだ、君の一生懸命っていうのは、どうせ教えてもらったことをただ繰り返してるようなもんじゃないのか? 自分で考えてやってみて、わからないことなんかを調べたり聞いてみたり、そういうことはしてきたか? 教えてもらうことが当然の、受け身の姿勢で思考停止してるんだよな、最近の若い子たちはさ。君はどうなんだ」
青年は、視線を落ち着きなく動かすと、口を開いた。
「そんな……こと、わからないじゃないですか!」
楓はしゃがみこんで青年をにらみつけた。
「ちょっとはさ、俺の立場になって考えてみてよ。いいか、俺は君の負け犬人生を決定づけた自殺の犠牲者だ、君がどうとか関係なく、俺は今、ちょっぴり生きている程度の重体。君の言葉に説得力なんてあるわけないでしょう?」
「すいません」青年は楓の勢いに押されたように弱弱しい声を出す。
「はあ……うん、まぁ、人ってね、すぐいっぱいいっぱいになっちゃうものじゃない? 俺だってそうだよ、つまらないことで悩んだり一喜一憂したりね。でもさ、悩んでいる時間は無駄なんだよ、わかる? 無駄な時間なんだ」
「無駄……ですか?」
「そう、無駄。その悩んだりしている時間はさ、自分の脳内を動かしているだけで、体は動いていないんだよ。だから結果はなにも変わらない。結果が変わらないのに変わることを願っていても仕方ないでしょ。だから無駄な時間なんだ」
「それなら、どうしたらいいんですか」青年の言葉に怒気が含まれた。
「これは俺の場合だけど、と前置きしておくけどさ」楓は立ち上がって喋りながら両手を広げ、喋り始めた。
「まず、空から自分を見ているイメージをしてみる。俯瞰して、空から自分を見るんだ。それができたら、さらに上空に上がっていく。自分が小さな豆粒みたいになって周りの地形が見えて来たりして、それでも高度を上げていくとだ、日本地図が見えてくるだろう。さらに外国なんかも見えてきて、大気圏を飛び越えると宇宙から地球が見えてくる。青い地球、美しいなとか感傷に浸ってもいいけどさ、この世界は広いんだよ。その広い世界の中の、ちっぽけな人間の中の一人である自分の悩みって、どれだけ小さいんだろうって考えるんだ。ここで重要なのは、自分を満たす悩みというのは、この世界からしたらとてもとても、すごく小さな悩みなんじゃないかって、まずは自分が認識することなんだ。俯瞰が苦手なら空を見上げてもいい。空を見上げて、どこまでも続く空の下にいる自分の小ささを認識するんだ。そんな小さな自分が抱える悩みなんて、どんな大きさだろうって考えてみるんだよ。そうしたら自分が悩みを勝手に大きく感じているだけで、ちっぽけな自分が抱えている悩みなんて、本当は大したことなんじゃないかって思えてくる」
「はい、それで?」
「うん、だから、俺は紙とペンを用意して、悩みを書き出すんだ」
「書くんですか?」
「そう、書く。みんなさ、やらないんだよ。人間の脳みそなんてね、ほんの一分前の会話でさえ完璧に再現できないくせに、自分で考えたことは正しいって勘違いしているんだ。俺からしたら傲慢だね。人のことを云々考える時間があるなら、紙に書き出して問題解決のために向き合うほうがよほど有意義だ」
「でもなんで、書くんですか」光明が楓の目をしっかりと見つめている。
「人は紙に書いた文字を見ると、同じ思考にはまることを防ぐことができるんだよ。脳内で考えると『もうだめだ、どうしよう、こうしよう、でもだめだ、もうだめだ』って結局ループする。だから自分で自分を追い込んでしまうんだね。紙に書き出していくと、負のループから抜けるための前向きなアイディアを出す助けになる。前向きなアイディアが出なくても、現状を把握し、何ができるか、できないことはほかにないか、と前に思考が進むんだ」
光明は肩を落とした様子で、あぐらをかいた。
「僕、頭の中でぐるぐる考えてました」
「そう、だいたいみんなそうやって問題を複雑にしていくんだよ。俺からしたら無能とはそういう人を言うんだと思うね」
「無能な僕が巻き添えにしてすいませんでした」
「あ、ごめん。まぁ、ちょっと言い過ぎたけどさ、悪かった。俺はこういう人間だからさ、いや、人間だった、かな。あ、でもまだ死んでないから、こういう人間だからでいいのかな。ともかく、この闇、明るくならないものかね」
ポーンッと音が響くと、明るい空間が広がった。
「おお、ええ、どういうこと? いきなり明るくなったよ」
「えっと、僕には明るく見えてましたけど……」
「ええ、ほんと? 俺ずっと闇の中で、自分の手足すら見えない状態だったよ?!」
「不思議な空間ですね」
「ほんとに、それ。不思議だね。死にかけたら三途の川に行くって話も眉唾だな、こりゃ」
「ぶつかった衝撃で、この中途半端な空間に来たんですかね」
「どうだろう。幽霊になっていないってことは、ここは精神世界ってことなのか。君の感じていた見え方と俺の見え方が違ったように、それぞれの世界が重なり合っていると考えると、これは不思議としか言いようがないな」
楓が遠くを見ても、明るいが白い空間がどこまでも続いているだけだった。
「僕、さっきからちらちらと自分の姿がフラッシュバックするように見えるんですけど、そういうの見えたりします?」
「え、俺? いや、真っ暗な闇しか感じなくて、君がぼーっと明るく見えていただけだったよ。今はどこまでも白い空間が続いてるようにしか見えないし。これ、自分の今の状況とか見えたりするものかね」
ポーンッと音が響くと中空が四角く切り取られたようになる。
画面は二つあり、そこは病室で処置を受けている楓と、青年の姿がそれぞれ映し出されていた。
「おい、なんだ、あれ、俺と……君か?」
「あ、はい、そうみたいです。僕、腕と足の骨折でもしてるんですかね」
「おいおいおい、ちょっと待ってよ、俺、頭に包帯ぐるぐる巻きで、酸素吸入器つけられてるじゃないの! あーあーあー、足が変な方向向いちゃってるよ。これ、きっと複雑骨折か、もしかしたら粉砕骨折とかしちゃってそうじゃないの」
画面には楓の痛々しい姿が映されている。
「でも君、ちょっとイケメンだね。うん、少し幼さがあるけど、その幼さはまぁ、若いからしょうがないか」
「本当にすいません。あのあらためて僕、二本柳光明と言います」
「あ、さっきも言ったけど、俺は東大寺楓ね、今が旬の四十歳、だったはず」
「東大寺さん、あの、本当にすいませんでした」
「まぁさ、謝られてもしょうがないじゃない。俺ね、過ぎたことはいつまでもクヨクヨしない主義なのよ。過ぎた時間は戻らないしさ。『反省はしても後悔はするな』、これ尊敬するナレーターの言葉ね。でもまぁ、自分のああいう姿を見ちゃうとね、なんと言っていいか、うまい言葉が浮かばないね」
楓はふうとため息をつく。
「あ、なんか、ちょっと上に引っ張られてる感じが」光明がそう言うと、上を向く。
「もしかして、精神が体に引っ張られてるとか、そういう感じ?」
「えっと、なんでしょう。ちょっと体のほうに意識を向けてみますね」
そう言った瞬間、目の前の光明が消えた。
「あ、消えた……」楓の言葉だけが消えた光明に向かって投げかけられた。
画面に映った光明のまぶたが痙攣すると、ゆっくり目が開く。
「おいおいおい、良かったじゃないの! ああ、でもあいつ、また死ぬのかな……」
楓は目をつむって手を合わせて、自分の体に意識を向けてみる。
「……あれ、体に意識を向けても何も変わらない」
楓は腰を下ろしてあぐらをかいた。
「あー、もう! なんなんだよ!」大声で叫ぶ。
「あの……」光明の声が響き渡る。
「あ? おい、君の声が聞こえる!」
「あーあーあー、東大寺さん、聞こえますか」
「聞こえる! 聞こえてるよ! 姿は見えないけど」
「東大寺さんの声も頭の中に聞こえます!」
画面の中の光明が瞬きをするのを見た看護士が「先生、先生!」と叫ぶようにして病室を出ていく。
「はぁ~、えっと、二本柳君、これからどうする?」
「東大寺さんのためにも、僕、頑張ろうと思います!」
「もう二度と自殺とかしないって約束できるかい?」
「ええ、本当に東大寺さんに申し訳ないし、生きて、東大寺さんに報いたいと思います」
「そうかそうか、まぁでも俺、まだ一応生きてはいるんだよな。どうしたものかね、俺」
楓はあぐらをかいて、どこまでも続く白い空間を見回す。
「とりあえず、東大寺さんと意識が繋がっていることをご家族にお伝えしましょうか」
「伝えても信じないんじゃないかなぁ。それに君が加害者なわけじゃん? だから君が何を言っても、死なせたくない気持ちの表れとしか見てもらえないでしょ」
「そうですよね……そうしたら東大寺さんのご家族に治療を続けてもらうよう取り計らってもらいますので!」
「君にそれを頼んだところでなにか変わるの?」
「はい、たぶん。ここの病院、おそらく父の病院なので、意地でも治療を継続してもらうよう取り計らってみます」
「おいおい、君は御曹司かい」
「そんな大げさなものじゃないです。でも、両親に加えて兄と姉が医師で、自分は高卒の落ちこぼれといったところですから……」
「そりゃ大変な家庭だな。家族の中で一人だけ違う道を志すなら、それだけ頑張らないとだめだしなあ。とりあえず治療継続の件は頼むよ。俺は体が回復するまでこの、何もない世界で、一人寂しく妄想にふけて時間を過ごすしかなさそうだな」
「あ、東大寺さん!」
「ん? なんだい?」
「そうしたらですね……あの、僕、本当に一生懸命頑張るので、僕が声優になるためのレッスンをしてもらえませんか?」
「はぁ? なんで?」
「だって一人でそこにいるのも寂しいでしょう」
「誰のせいで」
「すいません、でもこうやって意識が通じているのなら、マネージャーという視点から指導してもらえれば、僕も声優になる可能性が広がりますし、どうですか?」
楓は髪の毛を両手で乱雑にかきしだくと、中空を見て声を発した。
「マネージャーの視点はなぁ、タレント視点とは全然違うと思うからなぁ。でもまぁ、ここに一人いるのもつまらなさそうだし、それでよければ付き合ってもいいけど……俺は結構厳しいよ。それに、俺はタレントじゃないからさ、なるべく理屈で伝えるようにしたいと思ってる。だから実践がなければ俺の説明は意味がないんだ。ちゃんと実践できるか?」
「ええ、夢が叶うチャンスですから、是非ともお願いします!」
「わかった。じゃあ、とりあえず体の回復が優先だからな、寝ろ。体を一刻も早く回復させるんだ」
「わかりました! それでは次に目を覚ましたときにお声がけします!」
画面の光明は病室にかけつけた医師と看護師に囲まれて、いろいろと質問を受けているようだ。楓はその画面をみながら、再びため息をついた。
「まぁ、今まで学んだことをひとつひとつ教えてみるか。でも、ちょっとここ、殺風景すぎるんだよな。体は痛くないけど、地べたにあぐらっていうのもなぁ。ソファとかあるといいんだけど」
そう一人つぶやくと、ポーンっと音が聞こえ、目の前に二人掛けサイズのソファが現れた。
「お、ソファ! ああ、そうか。ここは精神世界というよりも深層意識とかそういうところなのかもしれない。ユングだったか、深層無意識は他人とか分け隔てなく繋がっているとかいう話だったから、それで彼と意思疎通が図れたのかな。願いを叶えるのは無意識下に定着させたほうが良いとか自己啓発系の本にもよく書かれているし、もしかしたら、イメージでどうにでもなるのかもしれないな」
楓はそう口に出すと、自宅のベッドをイメージした。
ポーンと音が響くと、目の前にベッドが現れた。
「うわ、まじだ。やべぇ、ベッド! よし、じゃあ、俺なりにこの世界で少しでも過ごしやすいように一つ一つ環境を変えていくことにしますか」
楓はそう考えると、ベッドに横になった。
【光明ノート】
・悩んでいる時間は何も生み出さない。無駄である。
・空から俯瞰して自分を見るイメージを広げてみる。この広い宇宙の中の、ちっぽけな自分の悩みはどれほど小さいものなのかを認識する。悩みは自分が勝手に大きく感じさせているもの。
・紙とペンを用意して、悩みを書き出す。書き出したものを見ながら考えると、同じ思考にはまることを防ぐことができる。脳内で考えてしまうと、いつまでも負のループから抜け出せないことになりがち。
・マネージャー視点はタレント視点とは異なる。実践がなければ意味がない。
第2話 レッスン につづく
https://note.com/deft_guppy8199/n/nd88775291b01
第1話:https://note.com/deft_guppy8199/n/nd5d3e62f1148
第2話:https://note.com/deft_guppy8199/n/nd88775291b01
第3話:https://note.com/deft_guppy8199/n/n473f13d2b2fd
第4話:https://note.com/deft_guppy8199/n/n99b4c4ce2ba9
第5話:https://note.com/deft_guppy8199/n/n1a77b3365e2b
第6話:https://note.com/deft_guppy8199/n/n578df47d3d6c
第7話:https://note.com/deft_guppy8199/n/nba8dfb18a4d3
第8話:https://note.com/deft_guppy8199/n/ne1f8b2651923
第9話:https://note.com/deft_guppy8199/n/na3b84867fe10
第10話:https://note.com/deft_guppy8199/n/n25093ac3c813
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