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「俺は訳あって声優になりたい奴の手伝いをしなければいけなくなった」第7話

第7話 レッスン⑥

光明の選んだセリフは次のようなものだった。

下記文章の主人公、雲(うん)を演じること。
【概略】
太公望に殺されたはずの放蕩息子、雲(うん)は、殺される四年前へと生きかえった。雲は再び殺されないようにするために、自堕落な生き方を変え、生き残るために武功を鍛え、太公望と戦わなくてすむような立ち回りをするのだが、結果として目立ちたくないのに成果を挙げ続け、次期教主である兄の真(しん)の協力者として認められるまでになる。そして、真とともに教主のもとに呼び出された際の会話である。

【雲のセリフを読むこと(太字にしてあります)】
天満宮にて、教主を前に、次期教主が確定した兄の真と主人公雲。
教主を見上げて雲が尋ねる。
雲「ところでなぜ、緊急招集令を出されたのですか?」
教主「諜報が届いた。中原の武林人が多数、四川のほうへ移動していると」
雲の脳裏にはかつて敗北した男の顔が浮かぶ
雲「……あいつがくる。太公望が……!」
教主「これくらいの数ならそう気にする必要もないが、時期が良くない」
雲「時期ですか?」
教主「そうだ。先日起きた事件、武林盟で信者を名乗る人物が我が派の武人に変装・侵入し、見つかった。そして人質をとったまま自爆したことで多くの死人が出てしまった。四川へ移動している先発隊もしくは斥候の可能性がある。ということで、雲、四川に行き様子を見てきてほしいのだ」
雲「お、俺がですか?」
体が震える雲。
雲「絶対嫌だ!そこは太公望がいる場所じゃねえか!!」
真が雲の肩に手を置く。
真「雲、私がお前を父に推薦したのだ」
雲「あっ……そうでしたか……」
真「中原進出へ一歩踏み出すことのできる名誉ある機会だ。お前が結果を残せば、お前が作った鉄獅子隊の立場も良くなる」
雲「そんなことちっとも興味ねぇよ!」
教主「真から推薦されたことも確かだが、私もお前を信用して任務を託すのだ」
にこやかにほほ笑む真。
雲「……笑ってんじゃねぇよ。えぇい、もう、どうにでもなれ!」
雲は教主に拝礼の形をとった。
雲「俺のことを信じて、このような重要な任務をお任せいただきありがとうございます! 教主! 小教主! 奴らの目的を徹底的に調べてまいります!」
満足げな教主と真。
雲「もしそこで死んだら、幽霊になってお前らのことを一生追いかけてやる!」

*読者様も考えてみてください

光明が、不安そうな声を出す。
「楓さん、どうでしょうか」
「う~ん、どうでしょうかって言われてもな。まず、この原稿の狙いはわかるか?」
「狙い……ですか。芝居が出来るかどうか、ですかね」
「そうなんだけど、具体的に芝居ってなんだろう?」

「芝居は、演技をすることですよね」
「芝居はもともと猿楽や能といった古典芸能を、芝に座って観ることから出た言葉と言われていて、演じられる作品そのものを指す言葉だ。そこで演者が演じることを演技としているんだけど、声の業界では、芝居と演技は明確には分けて使われていない印象だなあ。だから演技がうまいことを芝居が出来るともいうしさ」
「そうなんですね」光明はそう言って何度もうなずいた。
「みんな無意識に使ってるんだろうな」

「あ、それで原稿の狙いとはなんですか」
「そうだった、この原稿の狙いは、ずばり……」
「ずばり?」
「演技がどの程度できるかどうか、だ」
「そのまんまじゃないですか」
「うん、そうだ。そのまんま。でもこの原稿は少しいやらしい」
「雲が教主や真に対して、怒鳴るかどうか、僕は悩みました」
「なぜ悩んだんだ?」楓は笑みを浮かべる。

「それは、雲からしたら教主や真という存在は自分より上にいる存在ですよね。そんな相手に向かって『絶対嫌だ!そこは太公望がいる場所じゃねえか!!』とか『そんなことちっとも興味ねぇよ!』『……笑ってんじゃねぇよ。えぇい、もう、どうにでもなれ!』と叫んでしまったら、最後の教主に向けて『徹底的に調べてまいります!』なんて言葉遣いの整合性が取れないと思ったんです。だから、最後の『もしそこで死んだら、幽霊になってお前らのことを一生追いかけてやる!』というのも含めて、運の心の中の声かなと。そう考えると、この原稿のセリフは、教主や真への態度と心の中の声のギャップをどれだけ面白くできるかどうか、じゃないかと思ったんです」
「なかなか良い考察だと思うよ。あとは、決めゼリフがしっかり決められるかどうか、だな。最後の教主への拝礼後のセリフがビシッと決められるか、そこが決められると最後の悪態がより活きるわけだ」
「なるほど」
「それで、せっかくだから質問をするけれどさ、『物語』とはどういうものか考えたことはあるか?」

「物語は、ある人の出来事とかそういうのをまとめたものというか、なんでしょう。経験とか空想とか自由な発想による作品という認識ですね」
「よし、じゃあ、物語とはなにか、仮に主人公を光明として話をすすめようか」
「あ、はい!」

そう言うと楓はホワイトボードを目の前に出して見せ、横棒を引いた。
「光明の生まれた年をこの横棒の左端とする。そして右端が光明が死んだ年だ、仮に八十歳とでもしておくか」
「死ぬ年を描かれるなんてなかなかない経験ですね」光明は苦笑いする。
「まぁ、適当だから気にするな。それで、主人公の光明は二十歳、このあたりかな」
楓はそう言うと、横線の四分の一辺りに縦線を入れ、『光明(20)』と書いた。
「今回の物語は、光明の二十歳のときに起きた出来事を作品としたものだ。養成所で頑張る日々、試験を前に苦悩し、自殺を試みるも奇妙な縁で声優になるための指導を受ける、みたいな物語だとする」
「そのまんまですね」苦笑いの光明。
「そこもスルーしてくれ、説明だからな」
光明はそう言いながら、線上の『光明(20)』から矢印を下に向けて書き、『物語』と書いて丸で囲んだ。

「小説や脚本、台本というのは、基本的には『主人公となる特定の登場人物の、ある時期におきた、ある出来事を抜き出して描いたもの』となる。今回は仮に台本として話を進めるとしようか」
「はい、お願いします」
「つまり、今回の主人公である光明の、物事の考え方や他人との接し方、言葉遣い、行動などは、この台本に描かれたセリフや行動などによって把握しなければいけないわけなんだけど、この図を見てほしい」
 光明はそう言って、ホワイトボードに書かれた『光明(20)』よりも左側の線上に斜線を入れた。
「今、斜線を入れた『光明(20)』の左側、この台本に描かれていない部分が、作品となる出来事を迎えるまでの光明の人生になるわけだ。つまりこの斜線部分で、どんな両親・家庭環境・教育・出会い・恋愛などをして、どんな考え方や精神性・思考様式・思想などを持った人間になったかが決まるんだよ。そして言葉遣いや考え方、行動などで表現されるのが『光明(20)』に起きた出来事の中に反映されて、それを描き出したものが台本になるわけだ」
「はい、そうですよね」
「ということは、台本での光明のセリフや行動、他者との接し方などはすべて、この台本に描かれていない部分をどのようなものとして想像し、台本内の光明というキャラクターとの整合性をとるのか、という考え方が大事になってくる」
「ああ、その見えていない部分がセリフの元というか、それによって行動が決まりますもんね」
「そうだ。だから、ただセリフにこう書いてあったというだけの認識でそのセリフをどう言えばいいのかって考えるから、整合性がとれない。整合性がとれないということは、キャラクターとして破綻する、つまり演技が出来ないということにつながる。当然、演技が出来ないの言葉の中には、表現力が足りないなども含まれるけれど、セリフやどんな行動をとるのかなどは、そのキャラクターを規定するべきもののはずなんだ。それはおそらく、台本を書く側に決められたルールのようなものだと思う」
「見えない部分をどのように想像し、補い、キャラクターの整合性をとるかが芝居をするということなんですね」
「俺はそう考えているけどな。書かれていない部分をどう想像するか、それが微に入り細に至れば、そのキャラクターのセリフには説得力が出るし、より魅力的なキャラクターになるんじゃないかと思うんだ。少なくとも作品を書く側には、各キャラクターに細かく設定を作っていたりすることが多いと思う。設定資料なんてものは、それをわかりやすくまとめたものなんじゃないかな」
「僕の考え方や行動は、今まで生きてきたことが重なって出来上がったもので、僕のこの性格とかも過去の延長線上にあるものなんですね」
「そう、だからよく知っている人間が普段しない行動をし始めたときには、周りがそれを異変ととらえるだろう。今まで遊び惚けていた奴が心を入れ替えたように勉強し始めたり、真面目に生きてきた奴が急に悪いことに手を出すようになったら、そのきっかけとなる出来事があると考えなければいけない。そのきっかけとなった出来事がなにか、どのような心境の変化があったのかを考えることが、その人物を理解する鍵になるわけだ」
「そう、ですね」

「だから、俺はこの仕事を『日常の延長にある』と言うんだよ。無意識的にしてきたことや考え方などをどれだけ意識的にできるか、それを意識的に観察し、理解するのか。それが出来れば、あとはそれをどのようにして、この仕事に応用していけば良いかを考えればいい。今までやってこなかったことをやれなんて求めることのほうが、実は少ないんじゃないかな」
「無意識的にやっていることの意識化ですか……」
「そうなんだよ、だから毎日の一瞬一瞬をどれだけ大切に過ごせるのか、そこでなにを感じ、考えるのか、その積み重ねがその人の生き様になるんだと思うんだ。その生き様は、内面の積み重ねではあるけれど、きっと表に出てくるものだと俺は思っているし、内面が充実されればそれだけ魅力的な人物になれると思う。俺もそう思っていたけれど……はは、この話はこの辺にしておくか」
「楓さんならきっと、あ……いえ、すいません」
光明の脳裏には楓の肉体が意識不明のままであることが思い出された。

「そういうわけで、物語はなにかという話から演技についても少し触れたわけだけど、提出用の原稿についてもせっかくだから少しは触れるか」
「ありがたいです!」
「この原稿で見落としてはいけないことはなにか、わかるか」
「なんでしょう。放蕩息子が生き残るために武功を身に着けたっていうのも大事な気がします」
「そうだな。放蕩息子が真面目に武功を習い始めたら、周りの目はどう変わるか。そして成果を挙げて、兄に認められるようになるとあるから、もとから真面目な奴ではなかったということだ。それが真面目になって、その結果も出した、そんな弟を兄はどう見ているんだろう」
「頼もしくなったな、とかですかね」
「そうかもしれない。わざわざ雲を推薦して、雲の作った鉄獅子隊の立場も良くなると言ってるということは、雲のためになることをしてあげてるわけだ。これは雲を信頼していると考えられるよな」
「でも雲は迷惑そうな雰囲気も出してますね」
「そうなんだよな、つまり、雲からしたら死にたくない、殺されることを回避することが人生の最大の目標なんじゃないかって考えられるわけだ」
「だから心の中で悪態をつくんですね」
「そうそう、そうやってキャラクターの理解を深めていけばいい」

「でも、演技は好き勝手にできませんよね」
「それも考え方かな。不正解はあるけれど、正解はないんだよ」
「不正解はあるけれど、正解はない……ですか」

「そうなんだ、『その解釈は間違い』というのは当然ある。でも『これが正解』というのはないんだよ。なぜなら、正解の範囲は広いから。想像してみてほしいんだけど、空中に丸でも四角でも描いてみればいい。その丸や四角の範囲内は正解なんだよ。つまり、表現には幅が存在するんだ。雲が悪態をつくのも、『心の中で悪態をつくという正解』の範囲内であれば、そしてそれが『雲というキャラクターの整合性のとれる範囲であれば』それはすべて正解なんだ」
「なるほど」
「だから不正解はあるけれど正解はない、なんだよ。そして、どんなキャラクターとして理解したのかが明確であれば、それは表現として出てくる。表現力が足りないとしても、やりたいことというのは伝わるものなんだ。だから『間違わないようにやるんじゃなくて、堂々とやりたいように演じる』ことが大事になってくる。間違っていなければ、あとはどこまで表現できるか、だからな」
「そうしたら僕はもっと面白く演じたいです」
「そう、あとはセリフになるとテンポ感が一定になったりするから、そうならないようにしろよ。感情が前に出たら、テンポ感なんて統一されるわけないからさ。なぜかみんな、一定のテンポで喋ろうとするんだよ。それがおかしいと思えないのも、日常とかけ離れるからだろうけどさ」
「はい、もっと感情を前に出したり引っ込めたりしてみようと思います」

「ここまで話をしてきたわけだけど、もうひとつあったんだ」
「はい、お願いします!」
「ナレーションとセリフの違いってなんだか考えたことあるか?」
「え、そりゃナレーションとセリフは違いますよ」
「なぜ?」
「だって教えてくれたじゃないですか。ナレーションは、なにかを伝えたい企業があって、伝えたい対象がいて、それを伝えて欲しいからナレーターにお願いするわけですよね。ナレーターは伝えたい内容を伝えたい相手に伝えたときに、どのように感じてほしいかとかを考えて、それをどう伝えるかじゃないですか」

「じゃあ、セリフはどうなんだ?」
「それは、伝えたい想いとかを言葉にして」
「だれに?」楓は笑みを浮かべた。
「そりゃ、伝えたい相手がいるからセリフがあるわけで」
「それで?」
「あれ? 想いを伝えたい僕が、想いを伝えたい相手に、伝える。あ、でも、伝えたい相手との関係性を考えるから丁寧語だったりするわけで」
「そうなんだよ。面白いことに、根底は同じだと俺は思うんだ」
「別物だと思っていました」
「みんな疑問に思わないんだよ、不思議なことに。ナレーションもセリフも、根底は同じなんだ。誰かに伝えたいことがあって、それを伝えたときにどんな気持ちになってほしいかを考えるから、伝え方が決まる。それが企業であればCMという形になり、物語の中であればセリフとして台本に描かれる。違うとすれば、どのような形でそれを伝えるのか、見せるのか、それだけなんだよ」
「見せ方とか媒体とか、そういう違いしかない」
「そう、つまり、情報なのか想いなのか、伝える対象が個人かどうかとか、そういう変数があるだけで、結局のところ、人は誰かに想いを伝えたい存在なんだってことなんだ」
「言葉はそうやって出来上がったのかもしれませんね」
「正直な感想を言うんだな」
「違いますか。だって、言葉があれば意思疎通が図れて、伝えたいことを伝えられるんですよ。それがどれほど素晴らしいことか」
「それはどうだろう。俺は最近、ふと思ったんだよね」
「違うんですか?」
「違うかどうかなんてわからない。でも一つ言えるのは、今の世の中は便利すぎる世の中だってこと」

「便利なのは良いことだと思いますけど、関係ある話ですか?」
「便利だからこその不便さってのもあるんだよ」
「ちなみにどんなものがあるんですか」
「たとえば、テレワークだから自宅にいるだろうっていうことで、二十一時からオンライン会議をしたいとか言い始める上司、とか」
「それは労働基準法とか引っかからないんですか」
「労働基準法にひっかかるかどうかを考えて仕事していないからな。目の前の仕事を期限内に終わらすことしか頭にないんだよ、ふつうは」
「ブラック企業じゃないですか」
「うちの会社じゃないよ、そういう話が巷にはごろごろあるってことだ」

「でも便利なのは良いことだと思いますよ」
「そうだな。例えば昔、メールで告白して振られた子がいて、相談させてくださいって言われて話を聞いたことがある」
「ありそうですね」
「それでな、俺は言ったんだよ。感情は文字情報にしちゃいけないよ、と」
「だめなんですか?」
「考えてみろ。メールで『光明くん大好き♡』なんてメッセージが女の子から届いたとして、読む側の光明の気分が良いときだったら、光明は嬉しいと素直に受け取ると思う。でも気分が落ち込んで最悪のときにそんなメッセージを見たら、光明はどう感じる?」

「そりゃ、俺のことなにも知らないくせにとか、ふざけるな、ですかね」
「そう。文字情報というのは、受け取り手の気分次第でいくらでも解釈が変わるんだ。だから感情表現を文字情報で送るということは、誤解を生むおそれがあるということだな。その解釈の違いで喧嘩の原因になったりする。たいていはタイミングが悪かったとなるんだろうけど、それは根本的に間違っていることに気づいていないってことだ」
「でもそれは不便さじゃなくて運用の仕方の問題じゃないんですか。それに言葉ができたことは直接的につながらない気がしますけど」

「現代はさ、いろいろなものが便利になったせいで、人間は退化しているんじゃないかと思うんだ」
「進化じゃないんですか」
「退化だろ。便利な世の中だから肉体的にも精神的にも脆い。便利が肉体を弱める結果になったのは事実だ。昔の人は、今よりも生活環境は劣悪だった。でも、生きていくために必要な能力として、肉体的な強さや別の能力なんてものがあったんじゃないかと思うんだ。オカルトの代表、超能力と言われるものは過去の遺産なんじゃないかなんて思ったりする」
「オカルトじゃないですか」
「でも、たとえばお腹が痛いときや頭が痛いとき、なぜ人は痛い場所を触るんだ? あれは、昔の人間は触ることで痛みを和らげたり治すことができたことの名残じゃないのか?」
「まぁ、たしかに触りますね。触りながら『痛いの痛いの飛んでけ~』なんて子どもの頃にはお母さんにやってもらったりしたことありましたね」
「そうだろう、つまり、いつからか人は便利さを手に入れることで本来の能力を捨ててきたんだと思えてくるだろう」
「でもそんなこと言ったら、なんでもありになるじゃないですか」
「どうだろうな。でも、蟻や蜂は個という存在でありながら共感覚というものがあると聞いたことがあってだな、離れていても仲間に何が起きたのかを感じることができるという話もあるんだよ。それは俺たちからしたらテレパシーってことになるのかもしれないけれど、昔の人間にはその感覚があったんじゃないか、それが俺の考えなんだ」
「そんなことありますかね」
「その名残が、察するっていう感覚なんじゃないか。クラスメイトの誰が誰を好きか、なんてこととか経験したことあるだろ?」
「ああいうのって不思議とわかりますよね」
「あれの延長で、昔の人は誰がどんなことを考えているとかがわかってしまったんじゃないかって思うんだよ。そうなると、集団で集まったときに、誰が好きで誰が嫌い、誰が何を考えているけど俺はそうじゃない、とかが相手に伝わってしまうと情報が錯綜するし、知らなければうまくいくものがうまくいかなくなる。だから、言葉で、『私はあなたが好きなんだ』と言って内心を隠さないといけなくなったんじゃないかって」
「それじゃあ、嘘をつくために言葉が進化したってことですか?」
「わからない。でも、言葉は想いを伝えるためにあるというと、なんだか感動的なイメージだけどさ、それ自体がすでに嘘なんだって考えると、俺は面白いなって」
「楓さん、それは単に性格がひねくれているだけじゃないですか」光明は苦笑いを浮かべた。
「これは性格がひねくれているんじゃない、あらゆる物事を多角的に見る思考が身に着いている、というんだよ」楓はそう言って大笑いした。

【光明ノート】
・物語とは、あるキャラクターのある時点に起きた出来事をとりあげてまとめたもの。
・台本のセリフや行動、他者との接し方などはすべて、台本に描かれていない今まで生きてきて経験してきた部分をどのようなものとして想像し、台本内のキャラクターとの整合性をとるのか、という考え方が大事。
・見えない部分をどのように想像し、補い、キャラクターの整合性をとるかが芝居をするということ。
・ナレーションもセリフも、根底は同じ。誰かに伝えたいことがあって、それを伝えたときにどんな気持ちになってほしいかを考えるから、伝え方が決まる。それが企業であればCMという形になり、作品の中であればセリフとして台本に描かれる。違うとすれば、どのような形でそれを伝えるのか、見せるのか、それだけである。
・文字情報というのは、受け取り手の気分次第でいくらでも解釈が変わる。
・楓さんは少し性格がひねくれている。

第8話につづく

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