「俺は訳あって声優になりたい奴の手伝いをしなければいけなくなった」第9話
第9話 レッスン⑧
光明は遠くから聞こえてくる声で目を覚ました。
頬に涙の跡がある。
顔をタオルで乱雑に拭うと、聞こえてくる声のほうに意識を向けた。
「おーい、聞こえるかー」楓の声だ。
「か、楓さん! おはようございます!」
「なんだよ、ちょっと声が聞こえなくなったと思ったけど、ちゃんと意思の疎通はできるようだな」
「さっきはどうしたんですか。急に声が聞こえなくなって、呼びかけても反応がないし」
「ごめんごめん、ちょっと意識が遠くなって、気づいたから呼びかけてみたんだけど、そんなに時間が経っていたか?」
「そうですね。僕もいつの間にか眠っていたようです」
「ああ、そうか。悪かったな。ちょっと急激な眠気があって、意識が飛んでたみたいだけど、とりあえずは大丈夫だ」
「でも……本当に大丈夫なんですか」
「ああ。それでモノローグについて話をしていなかったなと思って、光明が提出するサンプルに使うかどうかわからないけれど、伝えられることは伝えておきたいと思ったんだ」
「ありがとうございます!」
「それで原稿のほうは?」
「では読ませていただきます」
光明が選んだ原稿は次のようなものだった。
大学三年生の時、アフリカのある貧しい村に行った。
舗装されていない道をバスに揺られて数時間。
疲れ切って到着した自分を、
村の子どもたちが笑顔で迎えてくれた。
ちゃんとした学校はない。
学びたくても、学べない環境。
将来の夢は「お医者さん」「政治家」「学校の先生」
元気な声でいろんな回答が返ってきた。
子どもたちに勉強を教えている村の大人の授業にさえ、
目を輝かせて一生懸命に学ぶ子どもたち。
そうだった。
学ぶことは、学べることは喜びだった。
子どもたちを見て気づかせてもらえた。
気づくことで世界は変わる。
気づくことで自分は変わる。
舞浜国際大学
光明は、ふうと一息吐くと、楓に声をかけた。
「どうでしょう?」
「セリフだな」
「だって、セリフじゃないですか」
「モノローグは独白だと言ったよな」
「ええ」
「独白とは、心のうちを相手なく吐き出すことなんだよ。相手がいないのに、なぜセリフになるんだろう?」
「え、でも、伝えたいじゃないですか」
「そう、伝えたいんだ。でも、モノローグという形で伝えるということは、具体的にこれこれこうです、という伝え方をしたくないということでもあるんだ」
「どういうことですか」
「モノローグが独白とすると、その反対はダイアローグ、対話になるんだ。伝えたいことをストレートに伝えたければ会話形式にするなり、セリフとして訴えかければ良い。じゃあ、なぜモノローグという形をとるんだ?」
「えっと、心の中を表現するほうが相手に伝わると思ったから……ですか?」
「そうだよな、直接的な表現よりも、共感を呼び起こさせたい場合などでは、モノローグという形でそれとなく訴えかけるという方法が有効なときがある。また良いものを良いと伝えるよりも、考えてもらって共感して納得してもらえたほうが良く感じる場合なんかもある」
「これは良いものなのでぜひ買うべきですと言われても、心は動かないですよね」
「時と場合によるけれど、今の時代は、企業側が購買者よりも一歩後ろに下がって『あなたのお役に立ちたい』という時代なんだ。モノは溢れている、お客には明確に欲しいものが特にない。それでも売れなければ商売にならない。じゃあどうするか。あなたのお手伝いをさせてください、そのためのなにかを提供できますよ、という姿勢でなければモノは売れない時代なんだよ」
「それで共感を得たいっていう手法になるんですね」
「そう、上から目線では人は耳を傾けてくれないんだ。だから、素朴な人柄・朴訥さを感じさせる伝え方や、自分の言葉で語れる人にモノローグを読ませたいんだ」
「じゃあ、僕が読んだようなセリフにしちゃだめですね」
「そうなるよな。心の声が思わず口から零れ落ちるといった、そんな表現が必要になる」
「ウィスパー!」光明の声が思わず大きくなる。
「そうだ、よく覚えていたな。こういうモノローグでこそ、ウィスパーといった表現方法がしっくりきたりするということになるんだ。芝居をしない芝居をする、そんな伝え方で良いのかは疑問もあるが、セリフという形ではないことは確かなんだ」
「難しいですね」
「そう、だから舞台役者の出番だっていう話をしたんだよ」
「やってみます」
光明が読み直したものは、ウィスパーが出来ているとは言い難いものではあったが、一音一音の言葉を丁寧に、光明なりの言葉にしようとするものとなっていた。楓は微笑みを浮かべたまま、光明に言い放った。
「光明、努力は怠るなよ」
「はい!」
「よし、とりあえずはこれで俺の授業はいったん終わりだ。自分なりによく考えて、当たって砕けるつもりで精いっぱいあがいてみるんだ」
「はい、頑張ります!」
「そうだな、せっかくだから俺の好きな言葉を光明に授けよう」
『人は誰しも正しい選択をしようと考える。だが大事なことは、正しい選択をすることではなく、正しい選択だったと思えるように行動を起こすことができるかどうか、だ』
「あ、ありがとうございました!」光明は涙を浮かべた。
「はは、今生の別れになるとは俺も思っていないから安心するんだ」
「あの、本当に、ありがとうございました。そして、僕の行動で、楓さんにはご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした!」
「過ぎたことは気にしない主義なんだ。いつまでも泣いていないで、さっさと試験のための準備に時間を使うんだ。一分一秒を無駄にするんじゃないぞ」
「はい! 頑張ります。ありがとうございました! あ、それで楓さん、最後に僕、決めたことがあるんです」
楓は大きく息を吐くと、ソファに体を横たえた。少し熱に浮かされたような気分ではあったが、伝えられることは伝えられたという充実感に満たされていた。
光明の言葉が楓に届いているかどうかはわからなかったが、それでも光明は声を荒げて楓に感情のまま吐き出した。
「楓さん、聞こえているかわからないですけど、僕の夢がもう一つ増えたんです。それは、この試験に合格して、楓さんにマネージャーをやってもらうことです。だから、絶対、絶対、僕は合格するので、楓さんも絶対にこっちの世界に戻ってきてくださいね! 絶対ですよ」
ベッドで仰向けになった楓はその目を閉じていた。
【光明ノート】
・モノローグが独白とすると、その反対はダイアローグ、対話。
・今の時代は、企業側が購買者よりも一歩後ろに下がって『あなたのお役に立ちたい』という時代。
・人は誰しも正しい選択をしようと考える。だが大事なことは、正しい選択をすることではなく、正しい選択だったと思えるように行動を起こすことができるかどうか、だ。
楓は目をつぶると、不意にアインシュタインの手紙のことを思い出した。
アインシュタインの手紙とは、理論物理学者アルベルト・アインシュタインが娘に充てたとされる手紙のことである。これは実際にアインシュタインが書いたのかどうかは不明で、おそらくアインシュタインの名を騙った者によるものだと思われるが、そこに書かれていることは興味深いものである。
私が相対性理論を提案したとき、
ごく少数の者しか私を理解しなかったが、
私が人類に伝えるために今明かそうとしているものも、
世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。
必要に応じて何年でも何十年でも、私が下に説明することを
社会が受け容れられるほど進歩するまで、
お前にこの手紙を守ってもらいたい。
現段階では、科学がその正式な説明を発見していない、
ある極めて強力な力がある。
それは他のすべてを含み、かつ支配する力であり、
宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、
しかも私たちによってまだ特定されていない。
この宇宙的な力は「愛」だ。
科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、
彼らはこの最も強力な見知らぬ力を忘れた。
愛は光だ。
それは愛を与え、かつ受け取る者を啓発する。
愛は引力だ。
なぜなら、
ある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。
愛は力だ。
なぜなら、
それは私たちが持つ最善のものを増殖させ、
人類が盲目の身勝手さの中で絶滅するのを許さないからだ。
愛は展開し、開示する。
愛のために私たちは生き、また死ぬ。
愛は神であり、神は愛だ。
この力はあらゆるものを説明し、生命に意味を与える。
これこそが、私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。
それは恐らく、愛こそが人間が意志で駆動することを
学んでいない宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、
私たちが愛を恐れているからだろう。
愛に視認性を与えるため、
私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。
「E=mc²」の代わりに、私たちは次のことを承認する。
世界を癒すエネルギーは、
光速の2乗で増殖する愛によって獲得することができ、
愛には限界がないため、
愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った、と。
私たちを裏切る結果に終わった宇宙の他の諸力の利用と制御に
人類が失敗した今、私たちが他の種類のエネルギーで
自分たちを養うのは急を要する。
もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、
もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、
もし私たちがこの世界と
そこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、
愛こそが唯一のその答えだ。
恐らく私たちにはまだ、この惑星を荒廃させる憎しみと
身勝手さと貪欲を完全に破壊できる強力な装置、
愛の爆弾を作る準備はできていない。
しかし、それぞれの個人は自分の中に小さな、
しかし強力な愛の発電機を持っており、
そのエネルギーは解放されるのを待っている。
私たちがこの宇宙的エネルギーを与え、
かつ受け取ることを学ぶとき、
愛しいリーゼル、
私たちは、愛がすべてに打ち勝ち、
愛には何もかもすべてを超越する能力があることを
確信しているだろう。
なぜなら、愛こそが生命の神髄だからだ。
私は自分のハートの中にあるものを
表現できなかったことを深く悔やんでおり、
それが私の全人生を静かに打ちのめしてきた。
恐らく謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、
私がお前を愛しており、お前のお陰で私が究極の答えに
到達したことを、お前に告げる必要があるのだ。
お前の父 アルベルト・アインシュタイン
楓は目をつぶったまま、空から降り注ぐ光を感じていた。
「光明、アインシュタインの手紙によると、宇宙の力は愛なんだってさ。世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で増殖する愛によって得ることが出来て、愛には限界がないから愛こそが存在する最大の力であるんだそうだ。愛ってなんだろうな。奉仕の気持ちか? 無償の愛とか言うしな、見返りを求めない感情、それが愛なのか? どうだろう。俺は、愛とは、許すことじゃないかって思うんだよ。光明はこの短い時間での付き合いしかないけどさ、努力していたよな。お前の頑張りは感じていたよ。だからさ、今の俺の体の状況はどんなものかわからないけれども、それによってどんな結果になろうとも、俺は光明、お前を許すよ。俺は、お前のすべてを許す。願わくば、光明の夢が叶うよう、それだけを祈るよ」
第10話 エピローグにつづく
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