2020/09/16

起きた。今朝はチーズカレー(レトルト)。レンジをかけ過ぎて少々爆発した。おいしかった。気づくとあっという間にレトルトカレータワーが倒壊寸前になっている。また今度、実家に来る際に買いだめねばならない。

明日フグハウスに戻ることにした。途中で大きめの本屋さんに寄っていく。そういえば、ずいぶん行っていない。晩ごはんを食べているときにニュースで映っていてそのことを思い出した。人出も閑散としすぎず混みすぎずで落ち着いているようだ。明日の午後の速い時間帯に行くのが望ましそうである。

ゲームは好きで、レクリエーション効果がある。re-creation、すなわち再生の儀であって、日々の生活の混迷極まる状況において、壊れてしまった何かを修復する効果があると信じている。例えば、何かに向かって努力し、成功と失敗を繰り返して、目指すものに到達する。そういうきれいな物語のままで現実が成り立っていることは少ない。しかし、物語が信じられなければ、無明の中で、自分を正の方向に行かせることすら、あきらめてしまうかもしれない。

万難を排して、できるだけ自分の希望する方向に進むべく、ひとまずの仮説を立ちあげ、取り組み、結果を観察し、世界観を育てつつ、また再び仮説を立てて検証することのくりかえし、これがゲームでは高速で行われている。その体験から抽象化した試行錯誤のリズムが、ゲームを含めたゲーム以外の行いを活性化するための雛形となる。

そう思って、僕はゲームをやっている。と、同時に、ゲームをやっている最中には、そんな難しいことは考えずに夢中になっている自分の側面もある。ゲームを入手する決断を下す際には、(本を買うときも同じだが)、このゲームは自分の人生を変えるかもしれないことを、ほんのひとさじ、期待しながら、いつも買っている。それはゲームを遊んでいるときに夢中になっている自分ではなく、一歩引いて、しかしその分大きな景色を目を輝かせている、また別の側面の自分なのだ。

数学で例えると「むかし読んだあのテキストで、この部分の補題の定め方は、好意的に解釈することもできるものの、もっと洗練した方法を取れるはずだと感じた。だから、復刻版では直っているといいなと思ったら、前著の改訂版の時点ですでに手が入っていたことを、自分のゼミノートでを読み返していた再発見した(可環図式つき)」みたいな感じだ。この例え、要るか?

‐ 睡眠時間 3-11 (8h)
- 筋トレ:下半身コース+ワンダーコア

デカールちょっと貼る。

(2020/09/17 へ続く)

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